主人は命をかけてこの国のために本当に働いて、
そして今、魂となって、その魂もまた、この国の
ためにこれからも皆さんと共に働き続けると思い
ます。
私は数字の中に色々なメッセージをいつも受け
取るんですけど、主人は(義)父と同じ67歳で
亡くなりました。去年の初めに、今年でオヤジの
年を超えられるなと言っていましたが、超えるこ
となく同じ歳で亡くなってしまいました。(義)
父は志半ば、本当に総理大臣目前でしたけど、主
人は長い間、総理大臣をすることができた。同じ
67年でも、主人の67年は本当に豊かなもので
あったというふうに思っています。
そして主人の後を継いだ吉田真次さん(衆院議
員)は38歳、主人が初当選した時も同じ38歳
でした。主人の初当選は平成5年、今年は令和5
年。そして主人が出馬表明をしたのが、父が亡く
なった平成3年の7月8日でした。色々なことが
重なって、もちろん色々な感情はありますけど、
主人が戻ってくるわけではないので、私はなんと
かこの主人の死に意味を持たせたいといろいろと
考えているところです。
昭恵夫人「LGBTの友人に会って
議論重ねた」(動画あり)
安倍晋三元首相銃撃から1年となり開かれた「安倍晋三元総理の志を継承する集い」の会場に入る昭恵夫人=8日、東京・元赤坂の明治記念館(萩原悠久人撮影)
安倍晋三元首相が参院選の応援演説中に銃撃されて死去してから1年を迎えた8日、東京都内で行われた「安倍晋三元首相の志を継承する集い」での昭恵夫人のあいさつの全文は次の通り。
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本日は一周忌にあたり、呼びかけ人の皆さまに、このような素晴らしい会を開いていただき本当にありがとうございます。世界に咲き誇れ日本、安倍晋三元総理の志を継承する集い。全国各地から大勢の皆さまにご出席をいただき、そしてこの会を開いていただくにあたり、多くの皆さまにご尽力いただき、この会場のどこかでおそらく主人も喜んで、皆さんに感謝していることと思います。
一周忌にあたり今日は増上寺で法要が行われ、大勢の皆さまに参列をいただきました。
去年の今日のことを思い出すと、本当に朝から涙が止まらなくなって、申し訳ございません。朝、普通に食事を一緒にして、「行ってきます」と出かけて行って、そのあと11時半頃に秘書の人から撃たれたという電話が入り、本当に驚きましたけれども、そのあと、まさか亡くなると思ってなかったので、主人の下着や私の着替えなどを急いで支度をして奈良に向かいました。
奈良は遠かったので、ちょっと準備の時間などもあって、結局着いたのが(午後)5時少し前でした。先生方のお話を伺って、ああ、これはもうダメなんだなというふうに思いましたけど、最後、主人の手を握ると、気のせいかもしれないですけど、握り返してくれたような気がしました。そして、主人のその時の顔は本当に安らかで笑顔でした。
それ以来、たくさんの方々にお話を伺ったり、本や雑誌を読ませていただいたり、今日のお話を伺っても、主人がいかにこの国を愛し、そして多くの方にお支えを頂きながら日本の国のために一生懸命頑張ってきたか、改めて知ることになり、私は素晴らしい人と結婚していたんだなと本当に誇りに思っているところです。
2012(平成24)年に再び(自民党)総裁選挙に出馬をするという時、最初、主人は随分、悩んでいました。私がどうするのと聞くと、どうしようか悩んでいるんだと。
周りからは今回の総裁選挙に出馬をしても、当選しないかもしれない。元総理が総裁選挙に落選するようでは、その後の政治家としての人生が終わってしまうので、今回は見合わせた方がいいんじゃないかということも言われていると。でもその時、もう主人は出馬の覚悟をしていたようで、自分は出たいと。
もし落選したらどうするのと聞いたところ、今回もし、一生懸命頑張ってだめだったら、命を奪われるわけではないので、また次再チャレンジすると、その次ダメでもまた再チャレンジすればいい。自分の経験を生かし何度でも挑戦して、この国のために働きたいということを言ったので、私はそれなら私も一生懸命応援します、その代わり命がけでこの国のために働いてくださいねということを言いました。
主人は命をかけてこの国のために本当に働いて、そして今、魂となって、その魂もまた、この国のためにこれからも皆さんと共に働き続けると思います。
私は数字の中に色々なメッセージをいつも受け取るんですけど、主人は(義)父と同じ67歳で亡くなりました。去年の初めに、今年でオヤジの年を超えられるなと言っていましたが、超えることなく同じ歳で亡くなってしまいました。(義)父は志半ば、本当に総理大臣目前でしたけど、主人は長い間、総理大臣をすることができた。同じ67年でも、主人の67年は本当に豊かなものであったというふうに思っています。
そして主人の後を継いだ吉田真次さん(衆院議員)は38歳、主人が初当選した時も同じ38歳でした。主人の初当選は平成5年、今年は令和5年。そして主人が出馬表明をしたのが、父が亡くなった平成3年の7月8日でした。色々なことが重なって、もちろん色々な感情はありますけど、主人が戻ってくるわけではないので、私はなんとかこの主人の死に意味を持たせたいといろいろと考えているところです。
先日、出雲大社にある方の結婚式で伺いましたけど、その6月14日、母の誕生日だったんですけども、神職の方が9年前の6月14日10時半。ちょうどその結婚式が行われていた時間ですけど、安倍総理が参拝されましたよとおっしゃいました。
去年も奈良を6月に訪問いたしましたけど、今年も6月末に奈良に行かせていただき、橿原神宮に参拝をさせていただきました。そしてその時も橿原神宮の宮司から、総理が来られた時に「真実一路」という書を書いていただきましたといってコピーを頂いたのが6月10日。私の誕生日でした。色々なところで主人はこうしてメッセージをくれてるんだなというふうに思っているところです。
以前、森(喜朗)総理は神の国、日本は神の国と言って問題になりましたけど、私は間違いなく日本は神の国だという風に思っています。
脈々と続いたこの素晴らしい歴史ある日本、本当に主人はこの日本を誇りある国にするために頑張って参りましたので、私もこれから主人の魂と共にこの国のために尽くしていきたいと思っているところですので、みなさんどうぞよろしくお願いをいたします。
そして先ほどお話しもいただきましたように、本当に主人は陰で努力をする人でした。どんな時でも原稿は自分書いて、そしてそれを何度も何度も練習をしておりました。
先ほどお話をいただいて高市(早苗)先生には、お風呂のところまで追いかけてくるという話をいただきましたけど、私はもう何度も聞くと飽きてしまうので、途中で聞かないこともありましたが、今、思えばもっと熱心に聞いてあげればよかったなというふうにも思っていますが、私の話は本当によく聞いてくれる夫でもありました。
皆さんにとりましても優しい主人の思い出がたくさんおありかと思いますけど、最後に私が主人に頼んだのがLGBTの友人に会ってくれということでした。(LGBT理解増進)法案のことで私はLGBTの友人がたくさんいるのでいろいろと批判の声がありました。
主人にそれを伝えて直接話を聞いてもらえないかといったところ、主人はいいよと言って一緒に食事をしてくれました。食事をしながら、飲みながら、彼らの話を熱心に聞いて、一つ一つの課題に対して、法律にしなくても、これはこういう解決方法があるんだと。日本は昔から差別をするような国ではないんだと、議論を重ねて彼らは大変、喜んで納得をしていました。
どんな人ともきちんと話をして、そして解決を見いだしていくという主人の姿に、私は本当に感謝をし、また尊敬をしていました。これから皆さま方、どうか主人がいなくなって悲しいという思いは持たれていると思います。私も本当に悲しいですけども、怒りの感情を持つのではなく、恨みの感情を持つのではなく、どうか主人が亡くなったことで奮起をしていただき、この日本の国のために皆さんの力を合わせていただくことが主人に対する供養だと思いますし、語り継いで頂ければと思いますのでよろしくお願いいたします。本日は本当にありがとうございます。