韓国紙の東亜日報は3日、消息筋の話として、日本と北朝鮮の実務者が6月に中国やシンガポールなどで複数回にわたって水面下で接触したと報じた。日本人拉致問題や高官級会談の開催を巡り協議したが、見解の相違が埋まらなかったとしている。
日本側は接触について事前に米国に伝えたという。(共同)
私たち地方議員は、かつて幕末の坂本龍馬らが幕藩体制を倒幕した草莽の志士のごとく、地方議会から「誇りある国づくり」を提唱し、日本を変革する行動者たらんことを期す。(平成17年5月30日~)
韓国紙の東亜日報は3日、消息筋の話として、
日本と北朝鮮の実務者が6月に中国やシンガポ
ールなどで複数回にわたって水面下で接触した
と報じた。日本人拉致問題や高官級会談の開催
を巡り協議したが、見解の相違が埋まらなかっ
たとしている。
日本側は接触について事前に米国に伝えたという。
韓国紙の東亜日報は3日、消息筋の話として、日本と北朝鮮の実務者が6月に中国やシンガポールなどで複数回にわたって水面下で接触したと報じた。日本人拉致問題や高官級会談の開催を巡り協議したが、見解の相違が埋まらなかったとしている。
日本側は接触について事前に米国に伝えたという。(共同)
北朝鮮は2016年に拉致問題の再調査を中断し
て以降、米韓に対話攻勢を仕掛けることがあっても、
日本をほぼ無視してきた。ここ数年の経緯からすれ
ば、今回の談話は唐突だった。
北朝鮮の元外交官で韓国政府の諮問委員を務める
高英煥(コヨンファン)氏は、米韓との交渉が行き
詰まり、中露からの支援も限られる中、「北朝鮮は
扱いやすい相手として日本を戦略的に選択した可能
性がある」との見方を示す。
バイデン米政権の北朝鮮への関心は薄く、韓国の
尹錫悦(ユンソンニョル)政権は、日米と対北安全
保障協力だけでなく、韓国人や日本人拉致問題を含
む北朝鮮の人権問題での連携の強化を目指す。
人権問題を巡る国際社会からの批判は金政権が最
も神経をとがらせるものであり、連携強化を「これ
以上見過ごせない」との北朝鮮の判断もあったと高
氏はみている。
【ソウル=桜井紀雄】北朝鮮の金正恩(キムジョンウン)政権が外務次官談話で日本との協議を否定しない立場を明示した背景に、外交的にも経済的にも閉塞(へいそく)状況が続く中、その打開に向けた新たな交渉相手として日本を選んだ可能性が指摘されている。
連携を強める日米韓にくさびを打ち込みたい思惑も見え隠れする。
北朝鮮は2016年に拉致問題の再調査を中断して以降、米韓に対話攻勢を仕掛けることがあっても、日本をほぼ無視してきた。ここ数年の経緯からすれば、今回の談話は唐突だった。
北朝鮮の元外交官で韓国政府の諮問委員を務める高英煥(コヨンファン)氏は、米韓との交渉が行き詰まり、中露からの支援も限られる中、「北朝鮮は扱いやすい相手として日本を戦略的に選択した可能性がある」との見方を示す。
バイデン米政権の北朝鮮への関心は薄く、韓国の尹錫悦(ユンソンニョル)政権は、日米と対北安全保障協力だけでなく、韓国人や日本人拉致問題を含む北朝鮮の人権問題での連携の強化を目指す。
人権問題を巡る国際社会からの批判は金政権が最も神経をとがらせるものであり、連携強化を「これ以上見過ごせない」との北朝鮮の判断もあったと高氏はみている。
対北協議に前向きなことなど、日米韓のうち比較的「弱い輪」として狙ったのが日本だと、高氏は分析した上で「韓米日協力に亀裂を生じさせる目的もある」と強調する。
米韓首脳が4月に対北抑止力強化をうたった「ワシントン宣言」を発表した後も北朝鮮は目立った軍事的行動に出ていない。高氏は「それほど経済難が深刻な表れだ」とも語る。北朝鮮が対日協議に言及する裏に経済協力への期待という本音があるのは明白だ。
国際社会の制裁や新型コロナウイルス禍に伴う国境封鎖で北朝鮮経済は長期間逼迫(ひっぱく)。対中交易総額こそ最近、コロナ前の9割に回復したものの、中国からコメを大量輸入して食糧難をしのいでいる現状がある。
今月初めに漁船で脱北した一家は、経済難やコロナ禍で強まった住民への統制に耐えきれずに脱北を決心したと証言。住民らの鬱屈した不満の一端を示した。
北朝鮮は今回、「拉致問題は解決済み」との従来の主張を繰り返したが、高氏は「拉致問題に進展がなければ、日本を動かせないことを北朝鮮はよく知っている」と指摘。日朝協議が進めば、行方不明者などとして一部拉致被害者の資料を出す可能性も否定できないとの見通しを示した。
立憲民主党の生方幸夫(うぶかた・ゆきお)衆院議員(比例代表南関東ブロック)が、9月に千葉県松戸市で行った会合で、北朝鮮による日本人拉致問題について「日本から連れ去られた被害者というのはもう生きている人はいない」などと発言したとして、
拉致被害者家族会と支援組織「救う会」は11日、発言の取り消しと謝罪を求める抗議声明を出した。声明では「すべての拉致被害者の救出のため心血を注いできた被害者家族、支援者、被害者自身の生命に対する重大な侮辱であり冒涜(ぼうとく)だ」と非難した。
救う会などによると、生方氏は9月23日、松戸市での会合で拉致問題について見解を問われ、横田めぐみさん(57)=拉致当時(13)=について「横田さんが生きているとは誰も思っていない。自民党の議員も」とした上で、「拉致問題、拉致被害者は今、現在はいないと捉えられる、政治家は皆そう思っているということ」などと発言した。
また平成16年に北朝鮮が提出し、日本側が別人と鑑定しためぐみさんの偽の遺骨について「遺骨からDNAを鑑定して、それが横田さんであるのかないのかというような技術力はなかった」とした。
死亡の根拠について問われると、「客観的情勢から考えて生きていたら(北朝鮮は横田さんを)帰す。帰さない理由はない」と説明。「生きているのだったら何かに使いたい。1回も使ったことがないですから、残念ながら亡くなってしまっているから使いようがない」などと主張した。
一方、14年の日朝首脳会談で北朝鮮が拉致を認めて謝罪し、帰国した5人の被害者について、北朝鮮に一度返すとした約束を日本側が守らなかったとし、「首脳同士で話をして決めたことも守らないなら、それはだめなのではないか」と述べた。
「拉致した当人は北朝鮮政府なのだから、責任を取らなきゃいけない」とする一方、「自分の意志で入ったが、もう自分の意志では出られなくなったという人を含めて行方不明者、拉致被害者というように言っている」と指摘。「日本国内から連れ去られた被害者は、生存者はいないのだと思う」と重ねて主張した。
これに対し、家族会などによる抗議声明では「生方議員は人の命に関わる重大な人権問題について、日本政府の基本的立場を否定して、北朝鮮の主張に賛同している」と批判。生方氏が所属する立憲民主党に対し、「生方議員発言を党としてどう考えるのか、ぜひお聞かせ願いたい」としている。
北朝鮮は14年9月の日朝首脳会談で拉致を認めて謝罪し、5人を帰国させた。だが、ほかの被害者については8人が「死亡」、4人が「未入境」と主張した。
16年の日朝実務者協議ではめぐみさん本人のものだとする「遺骨」を提出したが、持ち帰った日本側は約1カ月かけてDNA型鑑定を進め、別人の骨であることを確認した。北朝鮮側は遺骨について「火葬した」と説明したが、通常の火葬よりも高温の1200度で焼かれていたことが判明。DNA型の検出を困難にしようとした可能性が指摘されている。
政府は拉致被害者の「死亡」を裏付けるものが存在しないとして、北朝鮮に誠実な対応を求めてきた。岸田文雄政権も拉致被害者全員の早期帰国を最重要課題に掲げている。
「かつてないほど悪い環境にあるはずの北朝鮮にいる姉、ほかの被害者が心配だ」。めぐみさんの弟の拓也さん(52)は懸念を示しつつ、「北朝鮮当局もいよいよ尻に火が付いた状態だろう。
日本からの支援には拉致解決が不可欠であることは分かりきっているはず」と、対話に乗り出してくる可能性があるとみる。
一方、家族らは進展の希望を幾度となく、打ち砕かれてきた。先月29日、家族らは首相官邸を訪れ、菅首相や加藤勝信官房長官兼拉致問題担当相と面会した。平成9年の家族会結成以来、10人の新首相と、11度もの顔合わせを重ねてきた。
北朝鮮による拉致被害者の横田めぐみさん=拉致当時(13)=が5日、56歳になった。母の早紀江さん(84)ら家族は、大黒柱の滋さんの死去という悲しみが癒えぬ中にある。
一方、先月には拉致解決を最優先・最重要課題に掲げた安倍晋三前首相を引き継いだ菅義偉政権が発足。新型コロナウイルスの影響などで窮状にあるとされる北朝鮮の動向もあり、家族は局面打開に向けた「チャンス」の到来も感じている。
「朝起きてお父さんの写真に『おはよう』と声をかけるところから、一日が始まります」。早紀江さんは近況をそう明かす。居間に飾る滋さんの遺影の周りには、いくつものめぐみさんの写真。「くっついていてほしいから」と、すぐ近くに並べた。
めぐみさんの誕生日が近づくと、当時のことを思い出すという。「すぐ産まれるかと思ったが夕方までかかったこととか、その日のお天気のこととか」。
早紀江さんは少し笑みを浮かべたが、「まさか影も形も見えないまま、こんなにも長い時間が過ぎるとは。どうして助けてあげられないんだろう」とうつむく。離れ離れになってから、もう43年近くがたつ。
北朝鮮は新型コロナの感染拡大や相次ぐ台風による水害で打撃を受け、慢性的な食糧難や医療態勢の逼迫(ひっぱく)が加速。各国の人道支援などを得ようと、拉致問題への対応を含め外交戦略を見直すのではないかとの分析があり、家族もわずかな期待を寄せる。
「かつてないほど悪い環境にあるはずの北朝鮮にいる姉、ほかの被害者が心配だ」。めぐみさんの弟の拓也さん(52)は懸念を示しつつ、「北朝鮮当局もいよいよ尻に火が付いた状態だろう。
日本からの支援には拉致解決が不可欠であることは分かりきっているはず」と、対話に乗り出してくる可能性があるとみる。
一方、家族らは進展の希望を幾度となく、打ち砕かれてきた。先月29日、家族らは首相官邸を訪れ、菅首相や加藤勝信官房長官兼拉致問題担当相と面会した。平成9年の家族会結成以来、10人の新首相と、11度もの顔合わせを重ねてきた。
もう一人の弟、哲也さん(52)は「何度も見た光景だと率直に感じた。次こそは、拉致が解決したお礼を言いに来る機会になれば」と改めて早期の進展を求める。
コロナ禍で開催の見合わせなどを余儀なくされた各地の集会や講演会も今後、順次再開される見通しで、兄弟は積極的に足を運ぶつもりだ。「今はチャンスの時期。ここから再スタートのつもりで頑張っていく」。家族会事務局長として救出運動の先頭に立つ拓也さんは意気込む。
早紀江さんは滋さんが死去した後、体調が思わしくないという。食欲がなく、食べてもおいしいと思えない。例年、誕生日には小さなケーキとコーヒーを用意し、滋さんとお祝いしてきたが、まだそういう気持ちになれない。
「必ず助けてあげる。それまで待っていてね」-。早紀江さんは無心に再会への祈りをささげるつもりでいる。(中村翔樹)
拉致事件について菅義偉首相は「解決に全力を傾ける」と誓われました。拉致問題担当大臣に再び就かれた加藤勝信官房長官も「あらゆるチャンスを逃さず、1日も早い帰国につなげていく」と約束なさいました。必ず行動に移していただけると強く期待します。
首相の職を辞された安倍晋三さんも、必ずお体を回復され、再び私たち家族とともに力強く取り組んで頂けることを祈っています。
拉致事件から長すぎる時間が過ぎ、被害者も家族も年老いて、残された時は本当にわずかです。だからこそ、私たちには「結果」がすべてなのです。
めぐみちゃん、こんにちは。元気ですか。夏の酷暑がようやく和らぎ、少しずつ秋の気配を感じるようになりました。43年もの忍耐の日々が続き、今年も気付けば9月です。本当に、いつになれば、すべての拉致被害者が帰国できるのかという怒り、情けなさ、もどかしさと向き合いながら、一生懸命、拉致事件の解決を呼びかけています。
今、日本では大きな政治の動きがあります。拉致問題の解決を最優先、最重要課題に掲げてきた安倍晋三首相が辞任され、拉致問題を担当する菅義偉(すが・よしひで)官房長官が首相に就任されました。
私たちはこれまで、十数代にわたるすべての政権を心の底から信頼し、被害者救出を託してきました。それは今後も変わりません。無慈悲な国家犯罪で連れ去られた子供たちに、祖国の土を踏ませる最後の決め手は、政治のゆるぎない決意と行動力に他なりません。
9月はお父さんやお母さんの記憶に刻まれた月です。平成14年9月17日の日朝首脳会談で、北朝鮮はやっと拉致を認め謝罪しました。蓮池(はすいけ)さん夫妻、地村さん夫妻、曽我ひとみさんの5人の生存が明らかになりましたが、めぐみちゃんや多くの被害者が「死亡」と一方的に断じられました。
昭和52年、新潟でめぐみが姿を消してから20年を経て、平成9年に北朝鮮で生きていることが分かり、全国の被害者家族、支援者の皆さまと団結してようやく解決の頂に差し掛かったと思ったのもつかの間、地獄に突き落とされました。
その後、被害者死亡の証拠や説明は嘘だと分かりました。めぐみだとして送られてきた「遺骨」は、まったく別人の骨と鑑定されました。矛盾が暴かれるたび、生きたあなたの吐息を感じ、闘い続けることができました。
拉致の残酷さは、被害者の姿が見えず、声も聞こえず、無為な時が、じりじりと過ぎることです。まさに「生殺し」の日々です。でも、拉致被害者はもっと辛く厳しい時を北朝鮮で耐え忍び救いを待っています。
これほど非道なことがあるでしょうか。拉致事件はまさに「命」の問題です。
国民の皆さま。どうか今一度、捕らわれた子供たちの姿を思い描き、救出へ声をあげてください。そして政治家、官僚の皆さま。与野党の違い、さまざまな立場の違いを越えて、議論を交わし、知恵を絞り、被害者を帰国させるため、全身全霊を尽くしてください。
日本が一丸となり、拉致事件という「国家の恥」を一刻も早くすすいで、日本のみならず、世界にとって幸せな未来がもたらされることを願ってやみません。
今年も気が遠くなるような暑さが続き、84歳のおばあちゃんになってしまったお母さんは、いつ倒れてしまうか不安にかられつつ、あなたに会いたい一心で、日々を過ごしてきました。
年を重ねると、老いや病と直面します。食べることさえ、しんどく感じることがあります。これが「生」の実感なのでしょうか。
6月に天に召されたお父さんは、祭壇に飾った写真の中でニッコリとほほ笑んでいます。「お父さん、おはよう。がんばろうね」と毎朝呼びかけ、祈ります。立派に闘い抜いたお父さんを、明るく天に送りましたが、あなたと再会するため病室で必死に命の炎を燃やした心中を思うとき、体の真ん中をもぎ取られたような寂寥感(せきりょうかん)が漂ってきます。
新型コロナウイルスの災禍で、世界は大きな打撃をこうむっています。拉致問題をはじめ、さまざまな外交の動きがむなしく感じられ焦りが募ります。街頭での署名活動、人を集めた集会を開けず救出運動も厳しい現実に直面しています。
ただ、危機を迎えた今だからこそ、局面を切り開く好機でもあるはずです。
拉致事件について菅義偉首相は「解決に全力を傾ける」と誓われました。拉致問題担当大臣に再び就かれた加藤勝信官房長官も「あらゆるチャンスを逃さず、1日も早い帰国につなげていく」と約束なさいました。必ず行動に移していただけると強く期待します。
首相の職を辞された安倍晋三さんも、必ずお体を回復され、再び私たち家族とともに力強く取り組んで頂けることを祈っています。
拉致事件から長すぎる時間が過ぎ、被害者も家族も年老いて、残された時は本当にわずかです。だからこそ、私たちには「結果」がすべてなのです。
どうすれば、良き結果がもたらされるのか。国内外を訪ね、たくさんの人に訴えました。国会の議場で政治家の皆さまに尽力をお願いしたこともあります。
もがき苦しみ、命がけで行動し、たくさんの方の力添えがあってなお、事が進まない現実に、複雑な拉致問題の暗い闇を垣間見るような気がしています。まずは、日本国が一丸で立ち向かわないと、高い壁を突き破ることはできません。
だからこそ、すべての国民、拉致事件を知らない若い世代の方々にも事実を知り、解決を後押ししていただきたいのです。かつて日本に工作員が入り込み、大切な若者を次々と北朝鮮へ連れ去りました。国外でも日本人が同じように拉致されました。多くの人々が捕らわれたままなのです。
これほど重大で非道な事件がなぜ起きたのか。同じような惨劇が起こらないと言い切れるのでしょうか。問題の根源を見据え、すべてをすっきり解決しなければ日本の未来を安心して子供たちに引き継げません。
めぐみちゃん。頼りないお母さんですが、毎日、あなたを思い、何とか暮らしています。お父さんもニコニコほほ笑み、私たちを見守っているはずです。どうか、どうか、力強く生き抜いて、救いを待っていて。子供の時と同じように、弾ける笑顔で「ただいま!」と声をあげ、元気に帰ってくることを信じています。
北朝鮮で異常な出来事が続いている。その原因は、金正恩朝鮮労働党委員長の個人資金である党39号室の外貨が制裁の結果、枯渇してきたことだ。安倍晋三首相の置き土産と言うべき最強圧力(マキシマム・プレッシャー)が効果を上げてきたのだ。
≪安倍首相の信念と戦略≫
先圧力、後交渉という戦略の下、安倍政権は、日本の独自制裁と厳格な法執行でまず朝鮮総連からの対北秘密送金を完全に止め、トランプ米大統領に39号室資金をターゲットにした制裁の効果を説いて、核ミサイル開発を理由に厳しい国連安保理制裁と米国の独自制裁で金正恩政権を追い込んだ。
昨年2月のハノイでの2回目の米朝首脳会談で、トランプ大統領が金委員長に2回も拉致問題解決とそのための日朝首脳会談実現を迫った。それを受けて安倍首相は先圧力の段階はほぼ完成したと判断し、昨年5月に無条件での日朝首脳会談を金委員長に提案した。
その後、時間の経過とともに39号室の外貨が枯渇し、通常40億~50億ドルあった外貨がついに今年に入り1億ドルを切ったという情報がある。制裁が効果を上げる中、今年1月からコロナが蔓延(まんえん)し、8月以降、集中豪雨と台風の被害が続いている。
金正恩委員長も苦しさを認めた。8月19日に労働党中央委員会総会を開き、史上初めて「経済計画目標の未達成」と「人民生活が向上していない」ことを公式に認めた。労働党中央委員会総会の決定書にこう書いた。「過酷な内外の情勢が持続し、予想できなかった挑戦が重なるのに合わせて経済活動を改善することができなかったので、計画された国家経済の成長目標が甚だしく未達成となり、人民の生活が著しく向上しない結果も招かれた」
≪生活苦認めた北朝鮮≫
人民の生活が著しく向上しないというのは、悪化したという意味だ。認めざるを得ないほど経済がひどい状態なのだ。北朝鮮は1961年から経済計画を始めた。61年~67年までの第1次7カ年計画、71年~76年の6カ年計画、78年~84年の第2次7カ年計画はいずれも次の計画を始める前に数年の調整期間が置かれ、事実上未達成だったがすべて「目標を達成した」と発表された。87年~93年の第3次7カ年計画は93年12月に金日成主席主導で、「縮小達成」と発表された。ここでも「達成できなかった」とは言わず「縮小達成」と言った。94年からの金正日時代は計画がなかった。
金正恩委員長が2016年に第7回の労働党大会を開いて、「国家経済発展5カ年戦略」を打ち出した。その5カ年戦略の目標が「未達成」だったと史上初めて認め、それだけではなく「人民生活が向上していない」ということも認めた。認めざるを得ないほど本当に経済が苦しいということだ。
その上、金正恩政権を決定的に追い詰める事態が起きた。8月25日に、中国政府が北朝鮮との国境を完全に封鎖するという挙に出たのだ。中国政府が中朝国境の税関を閉鎖してモノの流れを止めると同時に、北朝鮮人の中国入国をストップさせた。モノと人の流れを完全に止めたのだ。現地では少なくともこの状態は9月末までは続き、年末まで続くという見方もある。その理由について、私は次のような衝撃的情報を入手した。
「北朝鮮のハッカーが中国人共犯者と組んで中国本土、香港、マカオなどの金融機関をハッキングして仮想通貨など2億ドル相当を盗んだ。中国人被害者が多数出た。8月末、中国安全局(情報機関)が中国内の北朝鮮と関係している人物に対して一斉に家宅捜索をかけてコンピューターを押収した。中国が、北朝鮮に対して帰国している犯人の北朝鮮ハッカー200人を9月末までに中国に引き渡すように要求し、それがなされるまで国境封鎖を続けると通報した」
≪今こそ拉致被害者取り戻せ≫
現在、海外にいる北朝鮮関係者は多額の外貨上納を迫られている。ハッカーらも例外ではないはずだ。ところが北朝鮮ハッカーが金融機関を襲っていることが広く知られるようになり警戒が厳しくなってきた。そこで、禁じ手とも言える中国人の口座から金を盗んだのではないか。39号室資金枯渇の影響がここにも表れている。
中国が石油や食料なども止めたならば、軍も維持できない。金正恩体制は持ちこたえられない。まさに体制の危機だ。
安倍首相は数年前まで「拉致問題が解決しなければ北朝鮮に明るい未来はない」と言っていたが、最近は「拉致問題が解決すれば明るい未来がある」という言い方に変えている。トランプ大統領も金正恩委員長に核ミサイルを放棄すれば明るい未来があると直接説得した。体制危機に瀕(ひん)した金委員長の決断をどう引き出すか。
そのためには安倍首相が提案した無条件の首脳会談しかない。トップの決断を引き出す前の連絡事務所設置は、横田めぐみさんたちの「死亡」を再確認するための合同調査に付き合わされるだけで、とても危険だと強調したい。(にしおか つとむ)
キム氏は「日本政府には自由を奪われ、祖国に帰れない自国民を救い出す責任がある」と主張。日本政府の依頼があれば、積極的に協力する意向も示した。
日本政府が北朝鮮による拉致被害者と認定した17人の他に、警察が拉致の可能性を排除できない800人以上を調べるなど、多くの日本人が北朝鮮に抑留されているとみられてきた。証言は、今も抑留されたままの日本人の存在を浮き彫りにするものとなりそうだ。
キム氏は日本人を名乗る複数の男女と接触し、「若いときに『最高の待遇が受けられる』と誘い出された」と、拉致されたことを示唆した女性もいた。女性はだまされていたことに気づいたが、帰国できずにいるという。
1970~80年代に北朝鮮に連れ出され、北朝鮮人と結婚し、子供をもうけた人が多い。日本語教師や船の修理など、就いていた職業は多様だ。60、70代ぐらいの人が多く、「死ぬ前に日本の家族に一目会いたい」と家族宛ての手紙を託した男性もいた。
キム氏は、脱北を持ち掛けた別の男性もいたが、家族への危害を恐れ、応じなかったと振り返った。通常は監視下に置かれ、多くが「帰国を諦めている」と漏らしていたともしている。
【ソウル=桜井紀雄】北朝鮮にスパイ容疑で拘束され、2018年5月に初の米朝首脳会談に先立ち解放された韓国系米国人博士、ドンチョル・キム氏(66)が28日までに、産経新聞の単独インタビューに応じた。
キム氏は04年ごろから拘束される15年にかけ、北朝鮮で自分の意思に反して留め置かれている「日本人7人前後とひそかに会った」と証言。
大半が北朝鮮に「だまされて来た」と説明し、出国や日本の家族に連絡する自由を奪われていたといい、キム氏は多くが「甘言による拉致被害者だ」との判断を示した。
キム氏が日本人との接触を公表するのは初めて。キム氏は、米情報当局の依頼で北朝鮮の核・ミサイル開発などの情報を収集してきたことを認めている。解放された別の米国人2人と米政府専用機で帰国した際は、トランプ米大統領夫妻の手厚い出迎えを受けた。
北朝鮮北東部の経済特区、羅先(ラソン)市で事業を行いながら市の要職にあったキム氏は、接触した日本人から「同じような日本人が周辺地域だけで25人前後いる」ことも聞いたと証言した。
日本政府が北朝鮮による拉致被害者と認定した17人の他に、警察が拉致の可能性を排除できない800人以上を調べるなど、多くの日本人が北朝鮮に抑留されているとみられてきた。証言は、今も抑留されたままの日本人の存在を浮き彫りにするものとなりそうだ。
キム氏は日本人を名乗る複数の男女と接触し、「若いときに『最高の待遇が受けられる』と誘い出された」と、拉致されたことを示唆した女性もいた。女性はだまされていたことに気づいたが、帰国できずにいるという。
1970~80年代に北朝鮮に連れ出され、北朝鮮人と結婚し、子供をもうけた人が多い。日本語教師や船の修理など、就いていた職業は多様だ。60、70代ぐらいの人が多く、「死ぬ前に日本の家族に一目会いたい」と家族宛ての手紙を託した男性もいた。
キム氏は、脱北を持ち掛けた別の男性もいたが、家族への危害を恐れ、応じなかったと振り返った。通常は監視下に置かれ、多くが「帰国を諦めている」と漏らしていたともしている。
50~80年代には在日朝鮮人の帰国事業が推進され、同行した日本人妻もいた。キム氏は、自分が会った7人前後の日本人は日本人妻らと管理が異なり、周囲の証言からも元在日や日本人妻ではないと判断したとしている。一方で、日本語が理解できず、日本人らの名前は覚えていないとした。
キム氏は「日本政府には自由を奪われ、祖国に帰れない自国民を救い出す責任がある」と主張。日本政府の依頼があれば、積極的に協力する意向も示した。
インタビューは1月にソウルで数回行われ、その後も電話などによる取材が続けられた。
「帰国は諦めたが家族に会いたい」 恐怖を抱き生き抜いた「抑留日本人」
◇
ドンチョル・キム 韓国ソウル出身の元牧師。1980年から米国に留学し、米市民権を得るとともに神学の博士号を取得。布教目的で中国朝鮮族の妻と中国に渡った後、2001年から北朝鮮との間を行き来するようになった。15年にスパイ容疑で逮捕。解放後は米国に在住。
◇
北朝鮮による日本人拉致問題 1970年~80年代、誘い出しや暴力的な手段で多くの日本人が北朝鮮に連れ去られ、本人の意思に反して長年、留め置かれている問題。日本政府は2002年に帰国した5人を含む17人を拉致被害者に認定しているが、警察や民間団体は、拉致の可能性が排除できない800人以上を調べている。北朝鮮は14年に日本とのストックホルム合意に基づき、特別調査委員会を設け、拉致被害者を含む在留日本人の調査に乗り出したが、北朝鮮の核実験などを受けて日朝間の協議と調査は頓挫した。
2002年の日朝首脳会談後に父が泣いていた姿を見て、そして今回、父が他界したことを受けて、私個人は本当に北朝鮮が憎くてなりません。許すことができない。
どうしてこれほどひどい人権侵害を平気で行い続けることができるのかと不思議でなりません。国際社会がもっと北朝鮮に強い制裁を科して、この問題解決を図ることを期待したいと思います。
そして、私たち横田家、両親をですね、本当にずっと長い間そばにいて、支援してくださった安倍(晋三)総理、本当に無念だとおっしゃっていただいてます。
私たちはこれからも安倍総理とともに、この問題解決を図っていきたいと思っております。
東京・永田町の議員会館で9日行われた、北朝鮮に拉致された横田めぐみさん(55)=拉致当時(13)=の父で5日に87歳で亡くなった拉致被害者家族会初代代表の横田滋さんの遺族による記者会見。妻の早紀江さん(84)、滋さんの双子の息子、拓也さん(51)と哲也さん(51)が出席し、思いを語った。記者会見の主なやりとりは次の通り。
◇
早紀江さん 皆さま、こんにちは。この度、主人の滋がだんだん衰弱いたしまして、5日に永眠しました。長い闘病生活でしたけれども、本当にいつも穏やかで苦しいとか痛いとか何もそういうことずっと言わないで、いつも笑顔で生きていましたけど、段々衰弱して息を引き取りました。
拉致されている人たちのことをいつも思って、私たち本当に二人三脚で本当に頑張ってきましたけども、やっぱり段々年をとって、互いに体のいろんなところに不具合が出てきております。私もそうですけども、たくさんの親御さんたちがもうとっくにいらっしゃらなくなったり、まだこれからも衰弱されていかれるんじゃないかと、いつも心配しております。
どうしてもなかなか(北朝鮮の)国柄が国柄なので、本当に難しい問題だなとつくづく思わされております。(報道各社に対し)長い間、いつも報道していただいて、めぐみたちを助けるために、献身的に私たち全員のことを被害者のことを家族のことを報道し続けていただいた長い年月に対して、心から感謝いたしております。
滋も皆さま(報道各社)と仲良くさせていただいて、いつも穏やかに暮らすことができたこと、たくさんのこちらの先生方や救う会の指導力も素晴らしかったし、何も思い残すことがないほど全身全霊打ち込んで、頑張ったと思っています。本当に安らかに、静かないい顔で天国に引き上げられましたことを私は良かったなと思っています。これまで長いご支援いただきましたこと、感謝申し上げます。ありがとうございました。
拓也さん 私の姉はもう承知の通り、1977年に拉致をされて。両親は当時、何の手がかりもない中で、25年間、姉のめぐみを探し続けました。しかしながら何の安否の情報を得ることなく、苦しい中を走り続けてきた25年間でした。
そして、2002年の日朝首脳会談があってから初めて姉の行方が北朝鮮にいるということがわかり、そして犯罪を北朝鮮が犯したということを、われわれ、国際社会、日本の国民、世論が知ることになり、北朝鮮っていう具体例が出てきたことによって、早期にこの問題が解決するんではないかという淡い期待を持ったのも事実です。
そして両親は、その淡い期待を現実のものにするために18年間、戦い続けてきたわけですが、残念ながら父、滋は他界してしまいました。父は、めぐみの写真を撮ることがとても大好きでしたから、報道でもその過去の写真を使っていただくことが多いわけですが、本当によく言われるように、目の中に入れても痛くない、それほどかわいがっていた姉とですね、どれだけ会いたかっただろうと思うと、本当に悔しくて悔しくて仕方がありません。
そして2002年の日朝首脳会談後に父が泣いていた姿を見て、そして今回、父が他界したことを受けて、私個人は本当に北朝鮮が憎くてなりません。許すことができない。どうしてこれほどひどい人権侵害を平気で行い続けることができるのかと不思議でなりません。国際社会がもっと北朝鮮に強い制裁を科して、この問題解決を図ることを期待したいと思います。
そして、私たち横田家、両親をですね、本当にずっと長い間そばにいて、支援してくださった安倍(晋三)総理、本当に無念だとおっしゃっていただいてます。私たちはこれからも安倍総理とともに、この問題解決を図っていきたいと思っております。
そして、国会においては、与党野党の壁なくですね、この問題解決のためにもっと時間を割いて、具体的かつ迅速に解決のために行動してほしいと思いますし、そしてマスコミの皆さま方におかれましても、イデオロギーに関係なく、この問題をわがこととして、もっと取り上げてほしいと思っています。自分の子供ならどうしなきゃいけないかということを問い続けてほしいと思っています。
そして今回、父が他界したことが、とても悔やまれてなりませんが、本当に全国1400回にも及ぶ講演会や集会に行って、現地で温かく見守ってくださった方々、1340万筆以上の署名をしてくださった皆さま方、そして、議連の先生方、救う会の先生方、そして、とりわけ同じマンションの支援してくださった皆さま、病院の皆さま方、教会の皆さま方、本当に、改めて心からお礼申し上げます。ありがとうございます。
哲也さん 父は2年2カ月ほど前に地元の母が住んでいる家の近くの病院に入院をしましたが、かなり長期間におよび入院していたことになります。そこでは、主治医の先生であり、看護師さんであり、さまざまな医療関係者が治療してくださり、介護、献身的にしていただきましたことを、本当にこの場をお借りして御礼申し上げたいと思います。
また、父が亡くなって以降、教会に遺体を運ばせていただきまして、月曜日に葬儀を実施したわけでありますけども、牧師の先生には本当に大変お世話になったことをこの場で御礼申し上げたいと思います。本当にここに来るまでに父であり、ここにいるわれわれもそうですけれども、さまざまな方々にお世話になっていることが、結果として、拉致問題が解決しないまんま、父が他界するものだったことは、父であり、私たち家族であり、そして日本国民が非常に憤りを感じ、無念を抱いていることだと思いますけども、父が果たせなかったその思い、遺志を私たちが受け継いで結果を出すこと、墓前で帰ってきたよと報告することこそが、残された者の使命だと思っております。
北朝鮮の今のリーダーの金正恩の前のリーダー、金正日が亡くなったのが2011年、その後に金正恩がリーダーとして就いたわけでありますけれども。その時、金正恩が前の政権の悪行を否定して生まれ変わっていれば、国際社会に復帰ができ、資金や物資がどんどん流入して、国民も豊かになり、そして拉致問題が解決していれば、被害者家族なんかも幸せになれた全てがウィンウィンの関係になれたにもかかわらず、彼らはそれをやらなかった。本当に愚かなリーダーだと思います。
また、一番悪いのは北朝鮮であることは間違いないわけですが、この拉致問題が解決しないことに対して、あるやはりジャーナリストやメディアの方々が、安倍総理は何をやっているんだというようなことをおっしゃる方もいます。
北朝鮮問題が一丁目一番地で考えていたのに、何も動いていないじゃないかというような発言を、ここ2~3日のメディアを私も見て耳にしておりますけれども、安倍政権が問題なんではなくて、40年以上も何もしてこなかった政治家や、「北朝鮮なんて拉致なんかしてるはずないでしょ」と言ってきたメディアがあったから、ここまで安倍総理、安倍政権が苦しんでいるんです。
安倍総理、安倍政権は動いてやってくださっています。なので、何もやってない方が、政権批判するのは卑怯(ひきょう)だと思います。拉致問題に協力して、さまざまな角度で協力して動いてきた方がおっしゃるならまだわかりますが、ちょっと的を射ていない発言をするのは、これからやめてほしいと思っております。
拉致被害者家族は高齢者がいるのが事実ですし、(家族会の)飯塚(繁雄)代表もかなりのお年で健康も芳しくないわけでありますが、本当にこれ以上ですね、同じようなことが起こらないうちに、国会、政権におきましては、具体的な成果を出していただきたいと思っておりますし、本当に、この国内に敵も味方もないはずです。
日本対北朝鮮、加害者対被害者の構図しかないわけなので、本当にぜひこれからもご協力をいただきながら、解決をしていきたいと思っておりますので、どうぞよろしくお願いいたします。
9年1月、元北朝鮮工作員がもたらした情報で、めぐみさん拉致事件が発覚すると「不安感が一掃され、娘が生きていることに今まで以上に希望が持てます」と言葉を弾ませた。
同年3月には拉致被害者家族会が結成。代表に就任し「20年何の進展もなかった。結成が一つのきっかけとなり救出の成功につながることを夢みている」と力説した。
しかし、問題は進展しない。政府は拉致を棚上げに北朝鮮へコメ支援することさえあった。12年には外務省周辺などで抗議の座り込み。
「拉致の解決なくして食糧支援もないという厳しい態度を示してほしい。人道的支援と強調するなら、拉致された人間にも配慮をしてほしい」と怒った。
被害者と再会できず家族が次々亡くなる現実に焦りを募らせた。「家族は高齢化している。いずれ解決するでは、だめなんです。せめて生存確認だけでも…」
そして、14年9月17日の日朝首脳会談。北朝鮮はめぐみさんを「死亡」と主張した。「信じることができません」とむせび泣きながらも生存とされた被害者家族を「遠慮せずに喜んで」とおもんぱかった。
19年11月、75歳の節目で代表を勇退。「私の中で、めぐみは中1のまま。まずは肩の荷がおりた」と語った。
地道な救出運動を続けビデオメッセージなどの収録はいつも愛情を込めた呼びかけで始めた。「めぐみちゃん、お父さんです。日本中の人が待っています。元気に帰ってきてください」
横田滋さんは救出運動のシンボルとして常にほほ笑みをたたえ、朴訥(ぼくとつ)な語り口で誠実な思いを伝えた。「娘に会いたい。とにかく会いたい」。老いや病で体が動かなくなり、言葉が出づらくなっても各地の集会などに可能な限り足を運び、拉致被害者の全員救出へ懸命に言葉をつむいだ。
「今やめたら、何も残らず消えてしまう」。平成26年末、滋さんは胸中を明かした。拉致事件は膠着(こうちゃく)し風化が懸念された。北朝鮮は同年5月、すべての拉致被害者の再調査を「ストックホルム合意」で約束したが情勢は動かなかった。講演で言葉に詰まることも多くなった滋さんだが、笑顔で被害者救出を訴え続けた。
9年1月、元北朝鮮工作員がもたらした情報で、めぐみさん拉致事件が発覚すると「不安感が一掃され、娘が生きていることに今まで以上に希望が持てます」と言葉を弾ませた。同年3月には拉致被害者家族会が結成。代表に就任し「20年何の進展もなかった。結成が一つのきっかけとなり救出の成功につながることを夢みている」と力説した。
しかし、問題は進展しない。政府は拉致を棚上げに北朝鮮へコメ支援することさえあった。12年には外務省周辺などで抗議の座り込み。「拉致の解決なくして食糧支援もないという厳しい態度を示してほしい。人道的支援と強調するなら、拉致された人間にも配慮をしてほしい」と怒った。
被害者と再会できず家族が次々亡くなる現実に焦りを募らせた。「家族は高齢化している。いずれ解決するでは、だめなんです。せめて生存確認だけでも…」
そして、14年9月17日の日朝首脳会談。北朝鮮はめぐみさんを「死亡」と主張した。「信じることができません」とむせび泣きながらも生存とされた被害者家族を「遠慮せずに喜んで」とおもんぱかった。
19年11月、75歳の節目で代表を勇退。「私の中で、めぐみは中1のまま。まずは肩の荷がおりた」と語った。地道な救出運動を続けビデオメッセージなどの収録はいつも愛情を込めた呼びかけで始めた。「めぐみちゃん、お父さんです。日本中の人が待っています。元気に帰ってきてください」
昭和52年11月に北朝鮮に拉致された横田めぐみさん(55)=拉致当時(13)=の父で、拉致被害者家族会の前代表、横田滋(よこた・しげる)さんが5日午後、老衰のため川崎市内の病院で死去した。87歳。
平成9年2月、めぐみさんが北朝鮮に拉致された疑いが産経新聞などで報じられ、国会でも取り上げられると翌3月、日本各地の被害者家族とともに家族会を結成し代表に就任。妻の早紀江さん(84)と全国1300カ所以上で講演し被害者奪還を訴える署名活動などにも尽力、救出運動の象徴的存在になった。
19年9月に胆嚢(たんのう)の摘出手術を受け、体調不良や高齢による体力面の不安から同11月に家族会代表を退任。その後も、早紀江さんらとともに救出活動に積極的に取り組んでいたが、自身のけがや、体調不良から講演などは減少していた。30年4月にはパーキンソン症候群のため入院し、リハビリに取り組んでいた。
徳島県で生まれ、北海道で育った。昭和39年10月、早紀江さんとの間に長女のめぐみさんが誕生した。日本銀行新潟支店に赴任していた52年11月15日、中学1年だっためぐみさんが帰宅途中に失踪。約20年後の平成9年1月、亡命した北朝鮮工作員の証言などから、北朝鮮による拉致が確実視されるようになった。
北朝鮮は14年9月の日朝首脳会談でめぐみさんの安否について「死亡」と説明したが提供資料などには嘘や矛盾が数多く発覚。16年に「遺骨」として提供してきた骨も、DNA型鑑定で別人のものと判明し、日本政府は北朝鮮に被害者の帰国を求め続けている。
【ソウル=桜井紀雄】北朝鮮の金正恩(キム・ジョンウン)朝鮮労働党委員長が韓国の文在寅(ムン・ジェイン)大統領を通じて「日本と対話し、関係改善を模索する」用意を表明した。
ただ、「適切な時期に」ともしており、北朝鮮にとって日朝関係が、体制保証や制裁緩和を導くための対米・南北交渉に比べて優先順位が高いとはいえない中、日本の出方を探る段階から抜け出してはいないようだ。
「日本は表で朝日首脳会談をうんぬんし、拉致問題などの解決後に関係正常化などと、わが国に秋波を送り、よこしまに振る舞っている」。北朝鮮は26日、民間団体と称する「アリラン協会」のサイトでこう指摘し、自民党総裁選で連続3選を果たした安倍晋三首相を呼び捨てで批判した。
対外宣伝サイト「わが民族同士」も26日、拉致問題解決などの「無駄口を並べ、侵略の刃物を研ぐ安倍一味こそ厚顔無恥だ」と非難。「千年の宿敵への報復意志」に言及して牽制(けんせい)した。北朝鮮の脅威に備え、防衛力強化を進める安倍政権を従来通り批判しながらも、拉致問題を論じる際に強調してきた「既に解決」「全て解決」といった文言が見当たらなくなった。
北朝鮮は8月半ばまでメディアで日本人拉致問題は「ありもしない」「既にごみ箱にぶち込まれていた」などと繰り返してきた。拉致問題交渉を最初から受け付けない姿勢を軟化させたとも受け止められるものの、拉致問題解決を最優先する日本の立場を批判する論調には変化がない。
北朝鮮は日本の経済支援を期待しているとの見方がある一方、海外からの支援は制裁緩和が前提となる。韓国の専門家は、北朝鮮が対米交渉に傾注する中、「日本から大きな利益が引き出せると判断するまで本格的対日交渉には乗り出さないだろう」と分析する。
昨年11月下旬、4日に急逝した俳優の津川雅彦さんの勉強会「探美会」に参加した。津川さんはそのつい2週間ほど前まで、肺炎で入院していたということで、鼻から医療用チューブを通し、酸素を補給していた。
ただ、ユーモアあふれるスピーチは健在で、順調に回復しているのだろうと感じたのだった。
その後、たまたま安倍晋三首相に探美会に参加したと伝える機会があった。安倍首相はすぐに「津川さんはどんな様子だったの」と尋ね、本当に津川さんの体調を心配しているのが分かった。
津川さんは平成24年9月の自民党総裁選に当たり、安倍首相の再登板を求める緊急声明をまとめた民間人有志の発起人の一人にも名を連ねていた。
首相の「雨天の友」
「悲しいですね。寂しい思いです。(第1次政権で)首相を辞職した後、本当に津川さんには温かく励ましてもらい、背中を押し続けていただきました」
安倍首相は8日、首相官邸で記者団にこう述べた。まさに逆境のときに支えてくれた「雨天の友」であり、同志だったのである。
津川さんといえば、10年公開の映画『プライド 運命の瞬間』で、それまで単純に悪玉として描かれることの多かった東条英機元首相を演じたのが印象深い。
日本を一方的に悪だと決めつけようとした極東国際軍事裁判(東京裁判)で、堂々と日本の主張を展開する東条は重厚感があり、かつ小気味がよかった。
だが、世間の評価は割れた。この映画について津川さんは24年9月の「産経志塾」で振り返っている。
「映画界では、『左翼にあらずんば人にあらず』といったことが傍若無人に語られてきた。僕は『プライド-』の撮影中、ある映画監督に制作を妨害された。
ある小説家は、自宅前でのロケを、『うるさい』といって追い払った」
「左翼嫌い」を公言
気に入らない言論をすぐ封殺しようとしたり、揚げ足を取り集団リンチを加えようとしたりする昨今の左派メディアのやり方と通底している。こういう経緯もあってか、津川さんは「左翼嫌い」を公言していた。
朝日新聞が26年8月、特集記事「慰安婦問題を考える」で、過去に18回も取り上げてきた朝鮮人女性を強制連行したとの吉田清治の証言を取り消したものの、当初謝罪はしなかった際には、夕刊フジへの寄稿で次のように皮肉っている。
「謝罪しないのは、左翼らしくてよろしい! (中略)左翼嫌いの僕にとっては、その『卑怯(ひきょう)』『卑劣』なイメージをキープして、訂正記事を出したことを無駄にしてほしい」
昭和49年には、当時生後5カ月だった長女が誘拐(41時間後に救出)されるという悪夢のような経験もし、拉致問題にも関心が高かった。
平成25年、政府の拉致問題啓発ポスター「拉致。必ず取り戻す!」に協力したときの記者会見では、こう語っていた。
「拉致問題をわがことのように思える人間だと思って参加した。日本人みんなが拉致問題を一日も早く解決するという思いを、被害者の親御さんと同じように持ってほしい」
ポスターに書かれた津川さんの署名入りの「親の愛は、世界を動かす。拉致問題は、私達すべての問題です」との言葉が胸に響く。拉致問題の関連集会などにも積極的に参加していた。
津川さんの死に顔は安らかだったと聞くが、どれほど拉致問題の解決をその目で見たかったことだろうか。北朝鮮情勢が揺れ動く今だからこそ、残念でならない。(論説委員兼政治部編集委員)
【シンガポール=小川真由美】河野太郎外相は4日午後(日本時間同)、訪問先のシンガポールでポンペオ米国務長官と会談した。
河野氏は3日夜に北朝鮮の李容浩外相と短時間意見交換したことを説明し、日本人拉致問題について「日本政府が北朝鮮と直接協議し、
解決に向けてあらゆる手を尽くす決意だ」と伝え、米国の協力を要請した。ポンペオ氏も理解を示した。
両外相は、北朝鮮に核を含む全ての大量破壊兵器と弾道ミサイルの「完全かつ検証可能で不可逆的な廃棄(CVID)」を求めていく方針を改めて確認。
北朝鮮から具体的な行動を引き出すため、日米で引き続き協力していくことで一致した。
また、トランプ米大統領が離脱表明したイラン核合意に関し、河野氏は、米国の対イラン制裁の再発動により日本企業に悪影響が出ないよう求めた。
米国が設立を表明したインド太平洋地域のインフラ整備を支援するファンドについても意見を交わした。
両外相はこの後、オーストラリアのビショップ外相を交えて、日米豪外相会談を行い、北朝鮮の非核化に向けた米朝プロセスについて、「成功するか否かの正念場にある」との認識を共有し、3カ国が、緊密に連携していく方針で一致した。
河野氏は、これに先立ち開催された東南アジア諸国連合(ASEAN)プラス3(日中韓)外相会議などで、参加国に対し北朝鮮のCVIDに向けた連携を呼びかけた。
北朝鮮当局に約4カ月半拘束された経験のある米国人ジャーナリストが、日本人拉致問題を題材にしたドキュメンタリー作品を制作した。
拉致被害者の曽我ひとみさんを含む日米の関係者16人を取材し、問題の概要から直近の状況まで理解できる内容に仕上げた。今月10日に英語版・韓国語版が発表され、関係者からは「海外で拉致問題の理解が広がる」と期待の声が上がる。(時吉達也)
「生みの母親がいると知ったのは21、22の時でした」(田口八重子さん=拉致当時(22)=の長男、飯塚耕一郎さん)「自国のスパイ養成がうまくいかず、拉致した日本人を訓練に利用し始めたのです」(ニューヨーク大のロバート・ボイントン教授)
米政府系メディア「ボイス・オブ・アメリカ」のサイトなどで発表された27分の映像作品「ペイン・ウィズ・ノー・エンド(終わりのない苦悩)」には、被害者家族や支援者のほか、加藤勝信拉致問題担当相や学者、新聞記者など多方面の関係者が登場。それぞれの証言を基に経緯を振り返る内容になっている。
制作プロデューサーのユナ・リー氏によると、取材は昨年秋に開始。トランプ米大統領の就任直後から、日本側が拉致問題に関する働きかけを再三行う姿に関心を持ち「これだけ時間の経過した問題が、なぜ日本政府と国民にとって今も重要なのか明らかにしたい」と考えたという。
ナレーションや劇的な音楽を一切挿入しない演出は、リー氏自身が取材中に北朝鮮に拘束され「自らの意思と関係なく家族と生き別れた」経験が反映されている。
「当事者の思いは、他人のどんな言葉や文章でも表現するのが難しい」と実感しており、「代わりに『話す』のではなく、事実をそのまま『伝達』する」ことを心がけたという。
「救う会」の西岡力会長は「取材を積み重ねたことがよく分かる作品だ。問題発生当時だけでなく、現況まで伝えてくれる海外作品は他にない」と評価。「影響力のある媒体で発表されており、日本の立場について海外で理解が進めば」と期待を寄せている。
作品は動画サイト・ユーチューブの「ボイス・オブ・アメリカ」チャンネル(https://www.youtube.com/watch?v=o2i_u8y8GJM)などで公開されている。
■北朝鮮による米国人記者拘束事件 2009年3月、中朝国境を取材していたアジア系米国人ジャーナリストのユナ・リー氏ら記者2人が、不法入国などの罪で北朝鮮当局に拘束された事件。ともに労働教化刑12年の判決が言い渡された。解放交渉のため、クリントン元大統領が平壌入りし、金正日総書記らと会談。2人は同8月、恩赦が与えられ米国に帰国した。
その巡視船の船橋(せんきょう)は、銃弾によって穴だらけ、窓ガラスは、衝撃で真っ白に変わっていた。
平成13年12月22日、九州南西海域不審船事件で北の工作船と交戦した巡視船「あまみ」。その船橋が広島県呉市の海上保安資料館に展示されていることを知る人は少ないのではないだろうか。
交戦し、自爆・沈没した不審船は、当初、東京の「船の科学館」で、その後、横浜の海上保安資料館(横浜館)に展示されている。かつて見学したが、浸水を防ごうと弾痕にボロ布が詰められていたのが脳裏に焼きついている。
この事件では、不審船側は10人以上とされる乗組員全員が死亡(推定)、海保側は3人負傷。穴だらけの船橋を目の当たりにし、これでよく海保に死者が出なかったと思うと同時に、
戦後の日本でも、国の尊厳を守るために、こうして命がけで任務に邁進(まいしん)する海上保安官たちがいることを、多くの国民に知ってもらいたいという思いが湧き上がった。
この事件で毅然(きぜん)と対応した結果、以後、不審船の出没はぱたりとやんだと聞く。さらにこの翌年、拉致被害者5人が帰国を果たしている。
5人の帰国には、他の要因も働いているとはいえ、少なくとも武威を示すことの現実的効果を、この事件は伝えてくれているのではないか。
北の工作船は、これまで多くの拉致被害者を北へと連れ去った。政府認定で17人、警察発表で可能性が排除できないとされる行方不明者は883人。
そもそも北朝鮮が悪いのは言をまたないが、これだけ長い間、自国民を取り戻せずにいるのは、戦後の日本が「武威」の発揚に、あまりにも臆病になっていることが、その根幹にある。
予備役ブルーリボンの会(荒木和博代表)は、「拉致被害者救出への自衛隊の活用を求める元自衛隊員・予備自衛官等(とう)の署名」を、このほど発表した。
自衛隊の活用が必要なのは、緊張が高まったときばかりではない。例えば、日朝交渉の場に制服を着た自衛官が同席するだけでも、北への圧力になる。武の活用を真摯(しんし)に考えるべきであろう。
◇
【プロフィル】葛城奈海(かつらぎ・なみ) やおよろずの森代表、防人と歩む会会長、キャスター、俳優。昭和45年東京都出身。東京大農学部卒。自然環境問題・安全保障問題に取り組む。予備役ブルーリボンの会広報部会長、林政審議会委員。著書(共著)に『国防女子が行く』(ビジネス社)。
もはや「モリ・カケ依存症」とでも言うべき野党のワンパターンな国会質問の中にあって、18日の参院決算委員会での立憲民主党の風間直樹氏の質問は白眉だった。
今後、北朝鮮との交渉で焦点となる可能性が高い部分について、正面から取り上げたのである。少し長いが紹介したい。
安倍首相「日朝平壌宣言自体、北朝鮮に行く飛行機の中で見せられた。交渉過程、宣言作成過程については全く承知していない」
この問題について産経新聞は、10年以上前から何度も書いてきたが、他のマスメディアはなぜか関心が薄いようである。参院決算委翌日の19日の在京各紙を見ても、この部分には一切触れていない。そこで改めておさらいをしたい。
この件は、田中氏が北京などで北朝鮮側の「ミスターX」らと30回近く非公式折衝を実施したうち、14年8月30日に政府が小泉初訪朝を発表し、9月17日に金正日総書記と日朝首脳会談を行うまでの間の2回分の交渉記録が外務省内に残されていない-という大問題なのである。
通例、外交上の重要な会談・交渉内容はすべて記録に残して幹部や担当者で情報を共有し、一定期間を経て国民に情報公開される。
そうしないと、外交の継続性や成果は無に帰するし、どんな密約が交わされていても分からない。それが欠落しているのだから、看過できる話ではない。
安倍首相は25年7月の日本記者クラブ主催の党首討論会で、かつて谷内正太郎外務事務次官(現国家安全保障局長)に「すべて(日朝交渉の)記録を見たいから調べてほしい」と依頼したところ、
佐々江賢一郎アジア大洋州局長が「2回分がない」と報告してきたと証言した。田中氏本人に確かめると「私は知らない」と答えたことも、同時に明らかにしている。
風間氏「(平成14年の小泉純一郎首相の初訪朝)当時の交渉担当者は、2回分の外交交渉記録を外務省に残していないとの国会答弁がある。
安倍晋三首相も『彼は交渉記録を一部残していない』と(25年6月の)フェイスブックで批判している。公電が欠落している2回の交渉で、当時の担当者が北朝鮮と何を約束したか知っているか」
安倍首相「ご指摘の部分は記録が存在していないため、当時の田中均外務省アジア大洋州局長が北朝鮮とどのような交渉を行い、何を約束したかについては、残念ながら承知していない」
これは、ふだん野党が何かに取りつかれたように追及している森友学園への国有地払い下げをめぐる財務省の文書改竄(かいざん)問題や、愛媛県と加計学園とのやりとりの備忘録メモよりも、
はるかに重大で深刻な問題である。日本側は把握していない2回分の記録を北朝鮮側が持ち出し、何を要求してくるか分からない。
その点を野党議員が提起したことに、少し救われる思いがしたが…。
その後の野党幹部の発言に注目したが、やはり「(財務省の文書改竄は)民主主義の土台を揺るがす前代未聞の不祥事」(社民党の又市征治党首)などと相変わらずで、
外務省の文書欠落への言及は見当たらなかった。野党もメディアも根本的にずれている。(論説委員兼政治部編集委員)
風間氏「国交正常化の際に、日本から1兆円規模の経済協力資金を提供するとの合意が図られ文書も交わされたと耳にしている。抜け落ちた公電にはこの部分が記載されていたと思うが、日朝間にそういう約束はあるのか」
支援団体主催の集会で話す横田早紀江さん=17日午後、東京都千代田区
北朝鮮の金正恩朝鮮労働党委員長が12日の米朝首脳会談でトランプ米大統領から日本人拉致問題を提起された際、「解決済み」とする従来の立場に言及しなかったことが13日、分かった。
安倍晋三首相側近の萩生田光一自民党幹事長代行が、米政府から日本政府に伝えられた内容として記者団に明らかにした。日本政府は前向きに捉えており、日朝首脳会談を本格的に模索する方針だ。
首相は12日夜にトランプ氏と電話で会談し、米朝会談の内容を聞いている。13日に会った萩生田氏に、トランプ氏からの報告内容を説明した上で、「北朝鮮に拉致された全ての国民を何としても日本に取り戻し、家族と会わせる。自分の責任でしっかり解決する」と強調した。
首相は14日に拉致被害者の家族と面会し、こうした決意を直接伝える考えだ。
政府は14、15両日にモンゴル・ウランバートルで開かれる国際会議に外務省幹部を派遣し、北朝鮮当局者との接触を模索する。政府内では、北朝鮮側の出方によっては、9月にロシア・ウラジオストクで開かれる「東方経済フォーラム」で首脳間対話を探る案も出ている。
ただ、金氏に拉致問題解決の意思があるかどうかは読めておらず、政府は真意を慎重に見極める構えだ。
拉致問題は2002年に被害者5人が帰国して以降、目立った進展がない。北朝鮮はこれまで、帰国していない政府認定の拉致被害者12人のうち8人は死亡し、4人は入国していないと主張。政府はこれを受け入れず、「全ての拉致被害者」の即時帰国を求めている。