国士舘大学特任教授 日本大学名誉教授 百地章最高裁は合憲判断を維持6月23日、最高裁大法廷は予想通り夫婦同姓(氏)制は憲法に違反しないと判断した。しかも合憲とした裁判官は11人と前回の平成27年判決より1人増えている。
平成27年の最高裁判決は、氏には「家族の呼称」としての意義があり、その呼称を一つに定める夫婦同姓制には合理性があるとして現行制度を合憲とした。その上で、夫婦の姓の在り方は国会で判断すべきだとして、国会の立法政策に委ねた。今回の最高裁決定は、この27年判決の立場を維持し、夫婦同姓を定めた民法750条や戸籍法を合憲とした上で、その後の社会の変化や国民の意識の変化を踏まえても、合憲判断を変更する必要はないとした。これも妥当といえよう。
ところがマスメディアの中には各種世論調査を引き合いに、別姓支持が国民多数の声であり、夫婦別姓の実現へと誘導するような報道があふれている。そのため同姓支持を主張することがはばかられるような雰囲気さえある。
確かに内閣府の調査でも別姓支持が24年には35・5%だったものが、29年には42・5%に増加しており、その傾向は否定できない。
しかし、29年の調査でも、「夫婦は必ず同じ名字(姓)を名乗るべきだ」が29・3%、「夫婦は必ず同じ名字を名乗るべきだが旧姓を通称として使用するのは構わない」が24・4%あった。つまり、同姓支持は計53・7%もあり、別姓支持を上回っている。
別姓望む国民はわずか8%さらに、別姓支持者の中で自ら「別姓を希望する」と答えた者は19・8%にとどまる。つまり、別姓希望者は支持者(42・5%)の19・8%だから全体でいえば0・08、つまり国民のわずか8%が別姓を希望しているだけである。
24年の調査でも別姓希望者は全体の8%にすぎないから、別姓希望者は全く増えていないことが分かる。そのようなごく少数の希望者のために、明治以来120年以上の伝統を有し、国民の中に広く定着している夫婦同姓制度を改正してしまうのは乱暴ではないか。この問題は慎重な上にも慎重に対処すべきだ。
夫婦別姓希望者のために、現在では運転免許証、パスポート、さらにマイナンバーカードまで、旧姓を通称として併記することが認められている。だから、日常生活における彼らの不便はほぼ解消しているはずだ。にもかかわらず彼らが別姓にこだわるのはなぜか。
今回の決定において反対意見を述べた裁判官の中には、「家族」の定義は不明確であるとして否定的に解し、「姓」を「個人の呼称」の一部と考えて、夫婦同姓制度は「個人の尊厳」の侵害に当たると主張する者もいる。
「家族呼称」か「個人呼称」か確かに、憲法24条2項は家族について「個人の尊厳と両性の本質的平等」に立脚して制定するよう定めているが、憲法は「家族の保護」を否定するものではない。それどころか、憲法制定時の議会においては「従来の良き意味の家族制度はどこまでも尊重していかなければならぬ」(木村篤太郎司法大臣)との答弁がある。
わが国が批准している国際人権規約でも「できる限り広範な保護及び援助が、社会の自然かつ基礎的な単位である家族に対し…与えられるべきである」としている。それ故、わが国の家族制度は、「個人の尊厳」と「家族の保護」によって支えられていると見なければならない。
だからこそ、27年の最高裁大法廷判決も、「家族は社会の自然的かつ基礎的な集団単位であり、氏には家族の呼称としての意義があり、氏の在り方については国の伝統や国民感情を含め総合的な判断によって定められるべきである」とした。
それでは、家族制度の基本にかかわる「姓(名字)」について、国民はどのように考えているだろうか。
先の内閣府の調査(29年)によれば、国民の56・9%は姓を「先祖から受け継がれてきた名称」ないし「夫婦を中心とした家族の名称」と答えている。これに対して姓は「他の人と区別して自分を表す名称の一部」と考える者は、全体のわずか13・4%にすぎない。つまり、姓を「個人の呼称」の一部と考え、「個人の尊厳」を強調する反対意見は、姓を先祖伝来の「家」や「家族」の呼称と考える多数国民の意識と相当ズレていることが分かる。
以前、本欄で述べたように夫婦の姓をどう決めるかは、個人個人の問題であると同時に、わが国の家族制度の基本にかかわる公的制度の問題である。しかも選択的夫婦別姓制は「ファミリー・ネームの廃止」につながり「戸籍解体」の恐れさえある(「『戸籍の解体』を招く夫婦別姓制」3月29日)。
したがって、自らは希望しないにもかかわらず、「選択的だから」「望む人が別姓を名乗るだけだから」などといった安易な発想で賛成してしまうのは、推進派を利するだけであり、非常に疑問といわざるを得ないであろう。(ももち あきら)