辻元清美議員の内縁の夫北川明は日本赤軍とは有名な話。
学生運動が下火となり、赤軍はあさま山荘事件で仲間同士
を「総括」の名のもとに殺害した。
そして、国際テロ組織として暗躍。テルアビブのロッド空港
で銃乱射事件で24人を殺害した。
その責任者である重信が20年の刑を経て出所した。
戦後教育の申し子であった。
「国際テロの魔女」が背負うべき十字架
河居 貴司無料会員記事
「思ったよりは穏やかそうな人だな」。
国際テロ組織「日本赤軍」の元最高幹部という肩書に加え、「テロリストの女王」「魔女」といったいかめしい異名から、勝手に激情型の性格だと想像していた。
重信房子元最高幹部(76)の第一印象はまるで異なるものだった。13年前の平成21年6月、東京拘置所で本人に直接取材をした。彼女は終始笑顔を崩さず、厳しい問いかけにも柔軟に応じた。
20年5月から21年6月にかけて『さらば革命的世代』(産経新聞出版で書籍化)という連載を担当した。
昭和40年代の学生運動が盛んだった時代、団塊の世代や周辺の人にインタビューした記事で、彼女も取材対象だった。
短い面会だったが、塀の中で、自分なりに過去を検証しようとしていると感じ取れた。反省も口にしていた。だが「反権力」という姿勢に揺らぎはなかったように思う。
「『世の中を変えたい』という思いは変わっていません」と話す彼女に、「芯にあるものは同じだ」という印象を持った。
連載取材などを通じ、当時の学生運動の関係者も数多く取材した。元同志たちからは、重信元最高幹部を特別視する発言をよく耳にした。
いわく「えらそうにしない」「メンバーの総意を重視する」。彼女への直接取材を含め「身内からすれば魅力的なリーダーに見えるのだろう」とは感じたが、理由はほかにもあるような気がしていた。
元赤軍派や元日本赤軍の関係者は70代を超す高齢になり、既に亡くなった人も多い。ただ、元同志たちは彼女の出所を大きな「節目」ととらえて待っていたようだ。
70代の元幹部によると、かつての仲間との会話では「重信さんの出所までは生きていたいねえ」と話すのが恒例になっていたという。
学生運動が盛んだった時代から半世紀。いまだに彼女が特別な存在なのはなぜなのか。元同志の一人は言う。重信元最高幹部がトップに立った日本赤軍は解散まで組織の統制を保ち、仲間割れをせずにやり続けていたからだ-と。
同志殺しにまで発展した連合赤軍事件や仲間割れによる分裂など、革命を求めた組織は悲惨な末路をたどり、人心の離反を招いた。
もしかしたら、元同志たちは長年獄中にいた重信元最高幹部に「自分たちが果たせなかった理想」を重ねていたのかもしれない。
今月28日、刑期を終えて出所した重信元最高幹部は「戦いの中で自分たちの戦闘を第一にしたことによって、見ず知らずの人たちに対しても被害を与えた」と謝罪の言葉を口にし、「自分を見据え生きていく」と語った。
獄中で病を患い、今も体調は十分でないといい、出所後の予定については「治療と学習」と答えた。だが、このまま隠棲するとも思えない。
学生運動、そして続くイスラエル・テルアビブ空港銃乱射事件(1972年)など一連の国際テロでは、無関係な人々を含む多くの犠牲者が出た。重信元最高幹部は終生、その十字架を背負っていかなければならない。(社会部次長 河居貴司)