
先の大戦中、「命のビザ」で多くのユダヤ人を救った外交官・杉原千畝(ちうね)(1900~89年)。その功績は戦後70年以上が過ぎた現在も高く評価されている。
先の大戦中にナチス・ドイツから迫害されたユダヤ人を救ったのは杉原だけではないが、国民の7割以上がユダヤ教徒のイスラエルではいまなお顕彰する動きが続く。
杉原がビザを発給して今年で80年。イスラエルにとって杉原の功績を語り継ぎ、伝えていくことにどんな意味があるのか。
テルアビブの北に位置するネタニア市。杉原のビザを手にした「サバイバー(生存者)」やその子孫が多く暮らすこの街には、「スギハラ・ストリート」と名付けられた道がある。
現在は看板があるだけだが近く整備される予定で、エフレイン・ブルマシュ副市長(66)は「ネタニアには多くのサバイバーがおり、杉原さんの功績をもっと広めたい」と話す。
同国では、初代首相の名前をとったベングリオン国際空港に代表されるように、道路や施設に歴史上の人物や偉人の名を冠することが多い。
杉原の功績を顕彰しようと各地で同様の動きが進んでおり、別の市には、「スギハラ公園」と名付けられた公園もある。
杉原は、同国でどう伝えられているのか。ユダヤ国家である同国では、戦時中にホロコースト(大量虐殺)からユダヤ人を救った外国人を調査し、「諸国民の中の正義の人」として顕彰している。
杉原は日本人で唯一名を連ねるが、顕彰されているのは2万人以上。杉原の存在が必ずしも全てのイスラエル人に知られているわけではない。
「杉原さんのことは、まだまだ知らない人がいる。虐殺された人数から考えれば、救ったのは少ない命かもしれないが、決して小さなエピソードではない」。
昨年11月、杉原の出身地・岐阜県八百津(やおつ)町にある杉原千畝記念館を取材に訪れたイスラエルのテレビ局の記者、リオル・ヤニブさん(44)はこう話し、熱心に説明に聞き入った。
ユダヤ人が過酷な環境下に置かれたポーランドのアウシュビッツ収容所で過ごした祖母を持つリオルさんは、「杉原さんは自身や家族の命を懸けて正しいことをしてくれた。
人として大切なことを学ぶためにも、それを母国で伝える必要がある」と話した。
杉原のビザを手に生き延びた人々は、世界中にいる。サバイバーを父に持ち、ネタニア市で父の体験を語っているハーヴァ・アペルさん(66)はこう力を込める。
「これからも、何度でも話す。杉原さんへの感謝は、次の世代に伝えることでしか伝えられない」(鈴木俊輔)
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「命のビザ」の発給から80年を迎え、イスラエル以外でも顕彰の動きは広まっている。当時杉原千畝が領事代理を務めていたリトアニアでは、今年を「杉原の年」と位置づけ、杉原にちなんださまざまな取り組みを計画している。
杉原に対する知名度を高めようと、昨年10月にリトアニアの議会が決定。今年、各地で杉原に関する展示や記念コンサートといった催しが行われているほか、秋ごろには領事館が置かれていたカウナス市に記念碑が設置される予定だ。
今年は杉原生誕から120年に当たる。生誕地の岐阜県では今年を「リトアニア・イヤー」とし、各地でリトアニアの食文化などを紹介するセミナーを開催。旅行会社と連携して、日本とリトアニアを相互に訪れるツアーを計画している。
県国際交流課の担当者は「杉原氏を通じてつながったリトアニアとの縁をさらに深めていきたい」と話している。(江森梓)

























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