沖縄県石垣市の地元紙、八重山毎日新聞が自衛隊員や家族を同市の人口に含めることに批判的な社説を掲載し、波紋を広げている問題。同県内で自衛隊は、県民の約8割が信頼を寄せるなど高く評価されている。だが、過去には住民登録を妨害されるなど、人権無視ともいえるバッシングを受けていた。
県内に自衛隊が配備されたのは昭和47年、沖縄が本土に復帰した直後からだ。当時は革新勢力を中心に反自衛隊感情が強く、駐屯地などにデモ隊が連日押しかけ、「人殺し集団は帰れ」などとシュプレヒコールを上げた。
とくに那覇市では50年以降、隊員の成人式参加を阻止する運動が起き、法務局が人権問題として調査に乗り出す事態にもなった。ほかにも住民登録を拒否する、電報を受けつけない、体育大会への選手参加を認めない-などの妨害が革新系労組などにより繰り広げられ、人権無視は家族にも及んだ。
だが、自衛隊による不発弾処理や離島の緊急患者輸送などの活動が徐々に評価され、平成に入ると抗議活動は沈静化する。これまでに陸上自衛隊が処理した不発弾は計1870トン以上、緊急患者輸送で救った命は計1万人以上に上った。
共同通信が昨年春に実施した県民への意識調査によれば、35%が「自衛隊を信頼している」と回答。「どちらかといえば信頼している」も47%で、計82%が評価している。
沖縄の社会思想に詳しい沖縄大の宮城能彦教授(地域社会学)は「大多数の県民が自衛隊に肯定的なのは各種調査で示されている通りだ。しかし、例えば危険な資材搬入など各論部分を拡大し、自衛隊全体への批判に結びつけようとする風潮が今も一部にある。そうした批判をメディアが助長すれば、かえってメディアへの不信感が強まるのではないか」と話している。
沖縄・石垣市の地元紙社説「自衛隊員は
人口に含めないで…」 抗議受け「おわび」
陸上自衛隊の駐屯地が開設したことなどで人口が5万人に達した沖縄県石垣市で、地元紙の八重山毎日新聞が自衛隊員や家族を人口に含めることに批判的な社説を掲載し、波紋を広げている。
差別意識を助長するとして抗議の声が上がり、同紙は1面で「おわび」を掲載した。駐屯地開設後、隊員らは地元に溶け込もうと努めてきたが、今回の問題で軋轢(あつれき)が生じることを懸念する声も聞かれた。
「職業差別を助長」
問題となったのは八重山毎日新聞の19日付の社説。石垣市が11日、住民基本台帳の人口が初めて5万人に達したと公表したことを受け、「『自衛隊のおかげで5万人に達した』などと言われたら素直に喜べないのが一般市民の受け止めではないか」と批判した。
また、「自衛隊員、家族は(人口5万人に)含めずに公表すべきではないか。そんな意見があってもおかしくない」とし、「『基地のない自然豊かな島にしよう』ではないか」と論じている。
これに対し、自衛隊を支援する民間の八重山防衛協会(米盛博明会長)が19日に会見を開き、「自衛隊員や家族を市民と認めないと言っているばかりか、職業差別を助長させかねない論調」だとして同紙に強く抗議した。
同紙は20日付1面で「自衛隊員、その家族の皆さまの人権に対する配慮を欠いた表現があったことを深くおわびいたします」とする記事を掲載した。
「対立の溝深まる」
石垣駐屯地が開設されたのは3月16日。先島諸島を防衛する陸自の拠点としてミサイル部隊や高射部隊など約570人が配備され、家族らも移り住んだ。
市によると、ほかにも県外からの移住者は年々増加傾向で、昭和22年の市制施行時には約1万8千だった人口が5万人の大台に到達した。
だが、駐屯地の開設に革新勢力などは反発。平成27年に防衛省が市に自衛隊配備を要請すると、抗議活動が激しくなり市民感情は揺れた。保守派の中山義隆市長が30年に受け入れを表明し、翌年から駐屯地の建設工事が始まったが、抗議はおさまらず、開設後も続いている。
こうした中、隊員らは地域主催のイベントに参加したり、海岸清掃のボランティアを行ったりして地域に溶け込もうとしてきた。女性隊員と市民による「女子会」も開かれ、交流の輪が広がっていた。
今回の社説について八重山防衛協会の山森陽平事務局長は「差別的な論調が広まり、自衛隊と市民、そして市民同士の対立の溝が深まることを憂慮している」と話す。
八重山毎日新聞は産経新聞の取材に、「自衛隊基地に対する賛否両論がある中、基地配備に伴う5万人達成を手放しには喜べないという意見もあることを社説で示した。自衛隊への差別意識はないが、抗議を受け、人権に対する配慮が足りなかったと反省し、おわびを掲載した」と説明した。(川瀬弘至)