政府は平成29年4月、防災基本計画を改定し、
「平時からの事前準備を推進する」とした。国土
交通省はガイドラインを作成し自治体の取り組み
を支援している。だが自治体に事前準備の法的義
務はなく、各自治体の対応は分かれている。
政府は事前準備に取り組む自治体を令和7年度
までに全国で75%にするとの目標を掲げるが、
国交省によると、事前準備に取り組んでいる自治
体は4年7月末時点で65%にとどまる。
100年前に起きた関東大震災で、復興を担った後藤新平は「大風呂敷」と呼ばれた。防災だけでなく近代都市として、景観にも配慮した復興計画が気宇壮大だったためだ。大規模災害後にインフラ整備などの復興事業に迅速に着手するには、被災後のまちづくりを見据えた事前の準備が欠かせない。いわゆる「事前復興」という考え方だ。耐震性や耐火性は100年間で向上したが、高層ビルのエレベーター停止や帰宅困難者など新たな課題もある。復興の青写真をどう描けばいいのか。国や自治体の対応が問われている。
「人口の一極集中は防災を放棄している状態だ。戦後のまちづくりは効率化を優先し、防災が後回しにされてきた。まちづくりを根本から見直す必要がある」。関東大震災研究の第一人者として知られる名古屋大の武村雅之特任教授は、こう警鐘を鳴らす。
関東大震災が相模湾北西部を震源とするマグニチュード(M)7・9の地震規模に対し、死者・行方不明者10万5千人余、家屋全壊約11万棟、家屋焼失約21万棟と被害が拡大したのは、軟弱地盤の旧東京市(現在の都心部)東部地域で木造家屋が倒壊、延焼したのが要因という。
首都を襲った被害は甚大で、被災者は旧東京市の人口の75%に及んだ。被害額は当時の経済規模の3分の1以上、国家予算の3倍以上に相当するとされる。
復旧ではなく復興-。後藤新平は震災後、内務相兼帝都復興院総裁に就任すると、「帝都復興」の構想を掲げ、基盤整備や区画整理を中心となって進めた。礎となったのが大正10年、後藤が東京市長在任時に示した「東京市政要綱」だった。
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街路や公園などを新設する都市計画で、国家予算が15億円ほどだった時代に約8億円に上った。これが関東大震災後、復興の下敷きになった。都心を貫く昭和通りや明治通り、靖国通り、隅田公園、浜町公園などはその名残だ。いずれも火除け地の役割を果たす。流麗で格調高い隅田川の「六大橋」も架けられた。
大正12年12月、東京市会が総理大臣などに提出した復興計画。有事の際に避難所などになる多数の公園や環状道路が描かれたが、予算は縮小され、多くは実現しなかった(公益財団法人後藤・安田記念東京都市研究所 市政専門図書館提供)事前に存在していた復興の礎となるプラン。では、阪神大震災や東日本大震災を経験し、南海トラフ巨大地震や首都直下地震が懸念される現代はどうか。
政府は平成29年4月、防災基本計画を改定し、「平時からの事前準備を推進する」とした。国土交通省はガイドラインを作成し自治体の取り組みを支援している。だが自治体に事前準備の法的義務はなく、各自治体の対応は分かれている。
政府は事前準備に取り組む自治体を令和7年度までに全国で75%にするとの目標を掲げるが、国交省によると、事前準備に取り組んでいる自治体は4年7月末時点で65%にとどまる。
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平成11~15年に東京都副知事を務めた明治大の青山佾(やすし)名誉教授は「防災に強いまちづくりの大切さが指摘されているにもかかわらず、木造家屋が密集し、火災が発生しても消防車が入っていけないような地域もある」と指摘。「日本人は他国と比べると、自分の所有する土地について『自分のものだ』という意識が強いと感じる」と話す。
震災復興は住民の協力なしには遂行できない。青山氏は「たとえ自分たちの所有する土地の面積が減ったとしても、道路を新たに整備し、安全なまちづくりをすることで土地の価値は上昇する」として、正当な補償のもとに公共に用いるシミュレーションを進めておくことが重要と説く。武村氏も「100年前の震災復興でも反対が出た。復興計画には住民との信頼関係が必要」との見解だ。
国勢調査によると、大正9年の東京圏(東京、千葉、埼玉、神奈川)の人口が約768万人なのに対し、令和2年は約3691万人と5倍近く増えた。公共交通機関がストップすれば、多くの帰宅困難者が生まれる。停電が発生すればエレベーターも止まり、タワーマンションや独居の高齢者の避難が困難になる。
発災後、速やかに被災者の生活再建を進め、都市機能を回復させるためにも、関東大震災やこれまでの震災の教訓を記録誌にまとめて伝承し、地域をいかに再建するのか事前に準備をしておく必要がある。
武村氏は「自治体や国のトップが先頭に立ち、住民を説得してでも、災害に強いまちづくりをするという強い信念を持たなければならない」と強調する。(大竹直樹、宇都木渉)