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11月3日は現行憲法の公布日だが、戦前は明治節つまり明治天皇のご生誕を祝う日であった。そこで明治国家の金字塔である明治憲法と現行憲法を、緊急時における国会の機能維持の視点から瞥見(べっけん)し、喫緊の課題を考えてみたい。
明治憲法下の緊急命令
明治憲法には、当時の先進国プロイセンに倣って戒厳や緊急命令などの緊急事態条項があった。このうち緊急事態において議会が召集できない場合に備えた規定が8条の緊急命令である。
それによれば、天皇は公共の安全を保持し、またはその災厄を避けるため緊急の必要があり、帝国議会が閉会の場合には、法律に代わる勅令つまり「緊急命令」を発することができる。そして後日、議会の統制に服する。この緊急命令は、時代によって濫用(らんよう)されたこともある。しかし、大正12年の関東大震災の折には、首都東京が壊滅状態にあって議会が開けない中、大きな役割を果たした。
山本権兵衛内閣は1カ月間に13本の緊急命令を発出し、治安の維持、被災者の救済、物価高騰の抑止等に当たったが、「総体的に見れば、これら一連の緊急命令は、真にやむを得ざる〔もので〕応急的・臨時的立法の限界をこえるものは殆(ほとん)どなかった(大西芳雄「旧憲法下の国家緊急権」)。
ちなみに緊急命令は現在、イタリア、オーストリア憲法などで認められているが、これは議会が機能しえない時、一時的に行政権が立法権を行使し、後日、議会の統制に服する制度であり、独裁とは異なる(小林直樹『国家緊急権』)。これに対して現行憲法では衆議院の解散中、緊急の必要があるときに参議院の緊急集会を求めることができるだけである。
米国では遠隔投票が可能に
このような事情もあって浮上してきたのが、新型コロナ感染者が発生した際に国会の機能を維持するための「オンライン国会」である。もし国会で感染症のクラスターが発生し、憲法56条の定める総議員の3分の1の定足数が充たせない時はどうすべきか。
米国では昨年3月、連邦議会議員の感染者が確認されたことを受けてオンライン審議や採決についての検討が開始された。そして、5月には下院議事規則の特別規定としての決議を採択し、本会議での代理人議員を通じた遠隔投票が認められるようになった(大林啓吾編『コロナの憲法学』)。
米国の憲法では「議事を行うための定足数は、各議院の議員の過半数である」(1条5節)と規定されている。これについて、下院は以下のように解釈した。
同条は遠隔投票を明確に禁止していないこと、また連邦最高裁が「定足数の要件をどのように解釈すべきかについて、憲法は下院に大きな権限を与えている」と判断していること、それ故、遠隔投票に参加する議員を定足数に加えることは下院の権限に属する。このように解釈してオンライン投票を可能とする決議を採択した。
そこでわが国でも米下院に倣ってリモート参加や遠隔投票を認めたらよいとの意見もある。しかしそう簡単にいくだろうか。また仮にできたとして、それだけで緊急時における国会の機能維持は万全といえるだろうか。
内閣に緊急命令権を
定足数を定めた日本国憲法56条を柔軟に解釈し特例を認めるのは東京大学の宍戸常寿(じょうじ)教授である。宍戸氏は、衆参両院には会議の運営方法を決める「議院自律権」が憲法上認められており、この議院自律権に基づいて議院規則を改正すれば、出席のあり方も変えられる、と主張する。
これに対して、国会議員は「全国民の代表」であり、国民を代表して国会の議場に目に見える形で出席することが必要である、と反対しているのが、早稲田大学の長谷部恭男教授である(東京新聞、令和2年5月10日)。
この点、従来の通説は、「出席」とは「会議に参加する意思をもって本会議ないし委員会室に現在することをいう」と解釈されてきた。常識的に考えれば、それが自然な解釈であろう。それに「議院自律権」にも限界がある。
それ故、緊急事態にオンライン出席や投票を認めるためには、やはり憲法を改正し、特例を明記する必要があると思われる。また、仮に憲法改正をしないで特例を認めるとしても、議院規則の改正は必要であり、憲法解釈の変更だけで済ますことはできない。であれば、いずれにせよ国会は速やかに議論を開始し、結論を出しておく必要がある。
ただし問題は、オンラインによる出席や投票さえ困難な真の緊急事態が発生した時である。例えば首都直下型大地震や南海トラフ巨大地震が発生した際には、オンライン出席どころか国会の集会そのものが不可能となる事態も想定される。今から緊急命令のような制度を考えておく必要があろう。
自民党の改憲案(たたき台素案)の一つが緊急命令である。それ故、自民党は公約に掲げたこの案を速やかに実現すべく、今度こそ本気で取り組んでほしいと念願している。(ももち あきら)