昨日から日本会議地方議員連盟では、石垣与那国研修視察中です。
参加者は小礒明東京都議会議員を団長をはじめ22名の参加です。
まずは、昨日オープンの新庁舎の石垣市役所にて、中山石垣市長を表敬訪問致しました。
その後、石垣海上保安部にてプレゼンを受け、あぐり船を見学致しました。
再来年に、完成する石垣駐屯地をバンナ公園の展望台から視察致しました。
大東亜戦争にて、最初の特攻で知られる伊舎堂用久中佐の慰霊を挙行しました。
尖閣の開拓をされた古賀さんを始めとする尖閣開拓の碑を訪れ、黙祷を捧げました。
最後に石垣市議会議員や日本会議八重山支部の女性部との懇親会が盛大に行われました。
本日は与那国視察です。
石垣与那国2日目のご報告です。
与那国空港に到着。私たち一行21名は自衛隊三佐の出迎えを受けた。
5年前に建設された陸上自衛隊駐屯地を見学したのち、111㌔先の台湾を目前に見ることもできる与那国島の『日本国最西端之地』西崎(いりざき)にてプレゼンを受けた。
本来であれば、駐屯地でのプレゼンではあったが、万が一にもコロナ感染が生起して任務が遂行できない事態に陥ってはならないとの判断にて、今回の駐屯地視察は断念せざるを得なかった。
与那国陸上自衛隊駐屯地建設に於いては糸数町長のご尽力なくしては語れない。11年前に糸数町議(当時)と出会った。
糸数先生は最先端の与那国の現状に憂い、当時の町長と共に対馬陸上駐屯地に訪れ、与那国駐屯地構想はすでに実行されていた。
当時、私どもは32名の視察団の下、与那国を視察した際に、与那国の守りは、警察2人、拳銃2丁であることの事実に衝撃を受けた。
糸数先生と与那国役場に訪れ、町長に対して駐屯地設置の要望書を提出した。この要望書が契機ともなり、5年前に設置、糸数議員の悲願が達成された。
与那国の岩肌に「讃 与那国島」(詩人:伊波南哲)の詩文が刻まれている。最後のフレーズには「皇国南海の鎮護に挺身する沈まざる二十五万噸の航空母艦だ(紀元二千六百三年三月)」を想起させられた。
駐屯地設置後、糸数先生と共に訪問させていただき、我が国の守りとしての駐屯地に感慨深かった。
駐屯地の視察後に、大舛松一中佐の慰霊を行った。「うらぶの高きを 大空の限りなくを知れ 島の小さきを憂うることなかれ 太平洋の広きを見よ」は与那国の小学校でも語り継がれているという。
地元の方々との懇談会では、糸数町長のビデオメッセージを拝聴した。突然の出張でお会いすることができず残念であった。
この懇親会にて、地方自治体では、災害などの対策のために、危機管理官を現役自衛隊に担ってもらうとの動きがあったが、都道府県や政令指定都市ではそれが実現しているが市区町村では前例がないと、断られたことの問題提起がなされた。
事実、昨年の阿蘇での豪雨災害では、初動の遅れによる災害と認定されている。やはり、自衛隊による危機管理官の必要性を実感した。