当時、ウクライナ軍兵士に無償で大量の弁当
を作り続けたレストランの女性マネジャー、ダ
リアさん(30)は「知り合いの兵士から『迎
え撃つ準備は整った』と聞いている。軍を信じ
る」と力を込めた。
チェルニヒウ市街には病院やホテル、図書館な
ど、露軍の砲撃で崩落した建物が点在する。窓
や壁が吹き飛んで廃虚になった9階建ての集合
住宅もあった。
市内に住む無職のパーベルさん(85)は
「自宅が攻撃されて窓ガラスが割れ、毛布を
体に巻いて寒さをしのいだ。停電して水道も
止まり、川でくんだ水も飲んだ。パンを買い
求める人々の行列に爆弾が落ち、多くの死体
が並んだ」と、当時の体験を語った。
死傷者数は確認できないが街のはずれには集
団墓地があり、ウクライナ軍と露軍の兵士ら多
数の犠牲者が眠っているという。
ウクライナ北部住民「逃げない」
露再侵攻の観測も決意固く
ロシア軍の砲撃で廃虚と化した集合住宅=3日、ウクライナ北部チェルニヒウ市内(佐藤貴生撮影)
ロシアが新たにウクライナへの大規模攻撃を準備しているとの観測が出る中、同国北部チェルニヒウの市民は静かに再侵攻に対抗する決意を固めている。ロシアが再侵攻で連携するとの臆測もある露の同盟国ベラルーシとの国境は北にわずか約70キロ。チェルニヒウから高速道路を南下すれば首都キーウ(キエフ)に至るウクライナ北部の要衝だ。市街には昨年、包囲戦を展開した露軍の爆撃の跡が生々しく残っていた。(チェルニヒウ 佐藤貴生、写真も)
キーウから自動車で2時間余り北上し、車を降りて川に架かる橋を徒歩で渡りチェルニヒウに入った。車が通れる大きな橋は露軍に破壊され、「仮設橋も修理が必要で使用不能だ」(ウクライナ軍兵士)と告げられたからだ。橋の上での写真撮影さえ禁じられ、街を出入りする際は軍発給の記者証の提示を求められた。
市民によると露軍は昨年2月の侵攻当初、街を越えて南下し、首都まで数十キロに迫った。道路脇には砲撃で破壊された家々が残る。
ウクライナのゼレンスキー大統領や軍は先月中旬、「早ければ1月にもロシアが新たな大規模攻撃を始める」との見方を示した。数日後、プーチン露大統領はベラルーシで同国のルカシェンコ大統領と会談し、キーウ制圧を視野に攻勢に出るとの観測が相次いだ。
ウクライナのメディアが今月8日、過去数日間に少なくとも1400人の露軍兵士がベラルーシに入ったと伝えるなど、情勢の緊迫化を示唆する情報もある。ルカシェンコ氏は参戦には消極的だとされる半面、国内の基地や空域の使用は認め、ベラルーシは露軍の無人機などの出撃拠点になったとされる。
市街のランドマーク、カテリーナ聖堂。ロシア軍の攻撃で一部が破損したとされる=3日、ウクライナ北部チェルニヒウ(佐藤貴生撮影)
だが、チェルニヒウの公園で会ったホテル経営のヤロスラフさん(40)は「ロシアやベラルーシなど怖くない。最後まで逃げず侵入を阻止する」と語り、ポーランドに避難した妻子の写真を見せてくれた。
妻と息子のマルク君(5)を連れて大通りを歩いていた食品販売業のユーリさん(41)も、「露軍が攻めてきたら妻子を避難させ、私は残る」と話した。話を聞いた多くの男性は、街に残って軍を支えると決意を語った。
露軍は侵攻直後から約1カ月、チェルニヒウを包囲し、市内に砲撃を浴びせて人口約30万人の半数以上が街を脱出した。学校を占拠した露軍は数百人を地下室に閉じ込め、「人間の盾」にしたと報じられた。
当時、ウクライナ軍兵士に無償で大量の弁当を作り続けたレストランの女性マネジャー、ダリアさん(30)は「知り合いの兵士から『迎え撃つ準備は整った』と聞いている。軍を信じる」と力を込めた。
チェルニヒウ市街には病院やホテル、図書館など、露軍の砲撃で崩落した建物が点在する。窓や壁が吹き飛んで廃虚になった9階建ての集合住宅もあった。
市内に住む無職のパーベルさん(85)は「自宅が攻撃されて窓ガラスが割れ、毛布を体に巻いて寒さをしのいだ。停電して水道も止まり、川でくんだ水も飲んだ。パンを買い求める人々の行列に爆弾が落ち、多くの死体が並んだ」と、当時の体験を語った。
死傷者数は確認できないが街のはずれには集団墓地があり、ウクライナ軍と露軍の兵士ら多数の犠牲者が眠っているという。