
≪一連の重儀が着々と進む≫
即位礼正殿の儀が滞りなく行はれ、御大典の日程も次の大嘗(だいじょう)宮の儀を迎へる大詰に近づいた。一連の重儀を着々と進めてゆく政府・大礼委員会の自信に満ちた姿勢を望見するにつけ、昭和から平成への御代替りの頃の世情が思ひ出されて多少の感慨がある。
それは僅か30年の昔の話である。当時、政府の「即位の礼準備委員会」は、新帝陛下の御登極を迎へるに当つて現行法令上明文の規定が無(な)い大嘗祭の斎行が可能かどうかにさへ自信を持てず、平成元年11月上旬から4回に亙(わた)り、15名の民間言論人を官邸に招聘し意見を聴取してゐる。時の内閣官房長官(森山真弓氏)は、議論の公正を保つためであらう、慇懃(いんぎん)ながら極めて慎重入念な口調で即位礼一般及び特に大嘗祭の国家儀礼としての性格について諮問を重ねた。
諮問に応じた識者達を含めて当時の報道・言論界の意見は基本的に二つに分れてゐた。一方は現行憲法の持つ政教分離原則と戦後民主主義特有の「国民主権論」に呪縛されて、大嘗祭といふ宗教儀式を国家の公的行事として斎行する事に反対する立場であり、他方は古代の律令制度下に発祥し千数百年余の皇室祭祀伝統と国民の総意とに支へられて来た即位儀礼には、現行憲法の束縛を超える伝統の重みがあり、その意義の無視は許されない、とする立場である。
公聴会での諸意見の総括も出席者達の平生の持論からして、右の対立のままに終つてゐたと記憶するが、何分爾来(じらい)30年を過ぎてゐるので具体的な詳細は忘れてゐた。
そこに本年8月、神社新報社が平成の大嘗祭当時3年ほどの間に公にされた各種の論説を千三百件余り列記し、重要な説は抄出の上編纂(へんさん)した630ページの詳細な資料集を発行した。編者は実は唯一人の民間人篤志家(牟禮仁氏)で、氏が蒐集(しゅうしゅう)・収録した資料の中には、明治以前・以後及び大正・昭和期の史料の発見と紹介の文、更に令和の新意見をも含みはするが、主として平成の大嘗祭斎行に際し国民の中のこれだけ多数の人がこの祭儀の性格について深い関心を寄せ賛否夫々(それぞれ)の立場からの発言をしてゐたといふ事実を示すだけでも洵(まこと)に感嘆に値する出版である。
≪「政教分離」の呪縛解くには≫
この資料集には当然平成元年晩秋の公聴会での内閣官房の記録も、これは全文が収録されてゐて、謂はば臨場感を以て当時の議論の空気を思ひ出す事ができた。
改めて検分してみると、漠然たる記憶の大筋はその通りだつた。即ち前記の通り、政教分離原則への固執と、現行法を超えたものとしての皇室の祭祀伝統護持との原理的対立が、宗教観、国体観、国際関係面(国家としての体面)又、費用の支出等の具体的細目に亙つて様々の中間色を伴つて活●に議論されてゐた。
かうした過去の調査検討といふ経験を踏まへて、現政府のあの実行への自信と気迫が培はれてきた次第がよくわかる。だが他方で、それにしては-との感を抑へきれない或る種の引懸りが残る。
当面の令和の御大礼については現政府の威信を以て十分立派に斎行する事はできよう。只それは現安倍政権が政治的強者であるとの現実によつて然るのであつて、30年前の平成の御大典の際に反体制側(此を野党側と謂つてもよく、護憲派と呼んでも、又国民の中に潜在する共和制信奉者達と見てもよい)が提出した難題を法理の上で解決し、一般的な納得を贏得(かちえ)てゐるわけではない。
≪精神生活の根幹守り通す≫
法理上の解決とは、自主憲法制定に成功した暁に、政教分離の原則を規定した第20条3項及び第89条が削除乃至(ないし)然るべき形に改正される事である。だがこの改正は第9条の廃棄よりも更に広範囲の抵抗に遭遇するであらう。
第9条の束縛は、現実に我が国の国際社会に於ける地位に対する著しい阻害要因であり、同盟国たる米国からも、この非現実的平和主義を強制した彼等の過誤への反省をも含む厳しい批判を浴せられてゐるのだが、誤れる政教分離原則の採択は、友好関係諸国にとつて何らの痛痒を感じせしめるものでもない、全くの我が国内問題である。
而して目下の現実問題として、憲法の謳ふ政教分離原則は、国内に顕在する共産主義者達、潜在する多数の共和主義革命待望者達にとつて、彼等の政治的野望を達成するための恰好の手懸りとしての効果を有してゐる。その禍々(まがまが)しい作用を抑制する武器として、二千年来の皇室の祭祀伝統に導かれた蒼生の安寧を守り抜く目的のために、現在の常識的国体論や敬神崇祖の心情的国民性論だけで果して用を成すであらうか。
今回の大嘗祭斎行といふ機縁に際し、国内草莽(そうもう)の有志達は一つの選択を迫られてゐる。現憲法の持つ政教分離原則は、その淵源を辿(たど)れば是亦米占領軍が日本国弱体化政策の一環として国民の血肉に深く突刺しておいた棘(とげ)である。この棘を抜き捨てない限り、我々は悠久の古代以来培つてきた精神生活の根幹を守り通す事が出来ない。(こぼり けいいちろう)
●=さんずいに發




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