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なぜ韓国は110年前の「竹島」編入に抗議しなかったのか

今日は何の日 2月22日 なぜ韓国は110年前の「竹島」編入に抗議しなかったのか

 日本と韓国との間の竹島(韓国名、独島)領有権論争において、韓国側(韓国の政府、学者、マスコミなど)は、日本の領土である竹島を不法占拠しているという事実を認めるわけにはいかないので、「独島は韓国の領土だ」と言うためにありとあらゆる「うそ」(こじつけ、客観性を欠いた自分勝手な解釈)を繰り出している。

その中から、本稿では「韓国は日本の竹島領土編入に抗議したくてもできなかった」という主張についてその、うそを明らかにしてみたい。

 日本が竹島を公式に日本の領土としたのは1905年の閣議決定(1月28日)と島根県告示(2月22日)を通じてだ。そして、竹島(独島)が日本領となったことを韓国政府中央が知ったのは、それからおよそ1年後の1906年5月のことだった。もし、韓国政府が日本の竹島領土編入に異議を提起するとすれば、それは1906年5月以降に可能となったということになる。

 ところで、その半年ほど前の1905年11月17日に日本と韓国(大韓帝国)との間では第二次日韓協約が結ばれて韓国の外交権は日本に接収されることとなり、韓国は事実上日本の保護国となった。第二次日韓協約は乙巳の年に締結されたので乙巳条約とも言われ、また韓国では「勒(くつわ)」を掛けるように強制的に結ばされたという意味から「乙巳勒約」とも言われる。

 この協約では、第1条に「日本国政府は、東京にある外務省により今後韓国の外国に対する関係及び事務を監理指揮する」と、また第3条には「日本国政府は、その代表者として韓国皇帝陛下の下に統監(レジデントジェネラル)を置く。統監は、外交に関する事項を管理するため京城に駐在し親しく韓国皇帝陛下に内謁する権利を有する」とある。初代統監は伊藤博文が1906年3月から1909年6月まで務めた。

日本と韓国との領土問題になっている竹島

 竹島領有権論争が進行中の現在、韓国側の学者・研究者からは、この第二次日韓協約を理由として「韓国は日本による独島侵奪に抗議したくても、外交権を日本に押さえられていたから抗議ができなかった」という主張がしばしば言われ、日本の竹島編入を非難する一つの材料となっている。二、三の例を挙げよう。

 1905年の島根県編入措置は、日露戦争中、韓半島侵略過程で行われたものであり、すでに確立した大韓民国の独島領有権に対して行われた不法かつ無効の措置である。韓国は日本の措置について気付いて、即時「独島が韓国の領土である」ことを再確認したものの(1906年)、乙巳勒約(1905年11月)によって外交権が奪われた状態だったため、外交的抗議の提起ができなかったのである。(東北アジア歴史財団「日本外務省の独島領有権主張に対する反駁文」2008年)

 韓国政府が日本政府の独島侵奪決定の事実を知ったのは、1906年3月28日でした。鬱島郡守の沈興澤はこれを知るや「本郡所属独島が日本の領土になったと日本人たちが主張している」と江原道観擦使に報告し、江原道観擦使は中央政府に報告しました。これに対して、韓国政府内務大臣は直ちに独島領土侵奪を断固として否定し、「独島を日本領土とする主張は全然理がない主張で、甚だしく驚愕するところだ」と抗議しました。

 議政府の参政大臣(総理大臣署理)は、「独島の日本の領地云々は全く根拠のない主張」と強力に抗議し、日本人の動きをさらに報告するように訓令しました。しかし、韓国中央政府のこのような抗議は、日本政府に外交文書として発送することができず、書類としてだけ奎章閣に保管されることになりました。

何故ならば、日本が1905年11月18日に乙巳条約を強制して韓国政府の外交権を奪ってしまい、1906年1月からは日帝統監府が韓国政府の外交権を行使したからです。しかし、韓国政府がこの時強力に抗議したことは証拠が残っている事実でした(シン・ヨンハ(独島学会会長 ソウル大名誉教授)『世界人が独島問題を理解するための16のポイント』)。

 一方、日本は露日戦争を経て重要性を悟ることになった独島に海軍望楼を建てて無線電信を設置しようと、1905年1月28日独島の日本領土編入を決める。後にこの事実を政府が知って反論するが、乙巳勒約で外交権を剥奪されていて抗議するには不適当だった(「独島」(『韓国民族文化大百科』))。

 このような「独島日本領編入を知った韓国政府はそれに異議を提起しようとしたが第二次日韓協約のために不可能だった」という説明は、「日帝の悪辣さ」を強調したい韓国の一般世論の中では大変に受け入れられやすいもので、韓国における「独島問題」の理解としてほぼ常識となっていると見てよいだろう。

 しかし、竹島問題に関する韓国側の他の諸々の主張と同じく、これもうそなのだ。そう言える理由として、本稿では「海軍望楼跡地売買事件」、「早稲田大学学長処分要求事件」そして「ハーグ密使事件」について述べることとする。

竹島の位置

 この件は、島根県竹島問題研究会の第2期「竹島問題に関する調査研究」最終報告書中の「韓国政府による竹島領有根拠の創作」という論文で紹介されていて、出典などもそこに記載されているが、1905年12月の蔚珍郡竹辺浦(当時は江原道、現在は慶尚北道)という場所における土地売買の話で、不用となった日本海軍の望楼を購入した日本人がその土地も併せて買おうとしたことがあった。

ところがそれは不法売買に当たると判断されて、現地の郡守から内部(内務部)大臣、李址鎔に報告が上げられた。その報告を受けた内部大臣、李址鎔は、1906年2月26日付けでさらに参政大臣、朴斉純へ報告して対処を求めたのだが、その文書の末尾では次のように要請されている。

 この報告に基づき調査をしたが、蔚珍郡竹辺浦の望楼は日本海軍が軍用にしばらく駐屯していて既に撤収したのであるが、今、日本商人の高賀亦次が望楼長の高橋清重から私的に買い取ったというのは法律に違反するものでいかにも理に合わないことなので、ここに報告するので内容確認のうえ速やかに交渉され、即刻禁止させてそれを明示されるよう願う。

 つまり、日本人が不法な土地売買をしているので日本側と交渉をして禁止すべきだと言っているのだが、それは、当然ながら、そういうことが可能だという認識が前提になっている。そして、この要請を受けて参政大臣、朴斉純は実際に日本側(統監府)に事情を照会した。その往復文書は確認されていないが、照会の結果を参政大臣、朴斉純から内部大臣、李址鎔に回答した文書がある。全文を掲げる。

 《貴第3号照会を受けて、蔚珍郡竹邊浦の望楼と土地の私的売買禁止の件について統監に照会し回答を得た。回答は次のとおりである。先月14日、蔚珍郡竹邊浦の望楼売却について貴第13号照会を受け取ったが、その照会に基づき日本の佐世保海軍鎭守府に文書を送って事実を調査したところ、その報告によれば、その望楼用の建物と設備は代金收納後に全て他人に譲渡することとし、佐賀県人である古賀亦次に売却した。

昨年12月27日に既に代金を受領したがその敷地は売却していない。以上回答するので承知されたい。このような照会結果であったので、内容を確認されたい。1906年4月17日 議政府参政大臣 朴斉純より 内部大臣 李址鎔閣下へ》

 このように、参政大臣から事情照会を受けた統監府は本国に問い合わせた上で「土地は売っていない」という調査結果を韓国政府に回答し、その回答でこの一件は落着した。これは第二次日韓協約によって韓国政府の外交権を日本が接収した後のできごとだ。

日本人による不法な土地売買が行われていると判断した韓国政府の大臣は、一人は「即刻禁止させてくれ」と意見を述べ、もう一人は日本側に対して事情照会を行った。その形式は「照会」(問い合わせ)なのだが、本件の場合は「不法なことがあっているようだから事情を確かめたい」という意味なのだから、その本質は立派な「抗議」だ。

 そもそも、外交権が押さえられたといってもそれは第三国との関係においてそうだということであって、それが韓国は日本に対して何もものが言えないということに直接つながるわけではない。当時の日本と韓国との間には、基本的には日本のほうが強いという力関係の差はあったとしても、ここに見られるような普通のやりとりは行われていて「抗議」に類することも可能だったのだ。

 そして、この二人の大臣はこの翌月(1906年5月)に「鬱島郡所属の独島が日本領になった」という現地鬱陵島の鬱島郡守、沈興沢からの報告に接することになる。先に引用したシン・ヨンハ氏の『世界人が独島問題を理解するための16のポイント』でも紹介されているのだが、

沈興澤の報告を読んだ内部大臣、李址鎔は「独島を日本領土というのは全然理がないことで、甚だしく驚愕する」と反応し、参政大臣の朴斉純は「独島領地の件は事実無根のことだが、その島の状況と日本人の行動を更に調べて報告せよ」と指示した(5月10日)。

 ここでは、二人とも日本の竹島編入には異議があるという姿勢を見せているのだが、結局は日本に対して抗議が行われることはなかった。韓国の論者の説によるならば、外交権が日本に押さえられていたから内部大臣、李址鎔も参政大臣、朴斉純も何も言えなかったのだということになるのだが、

その直前の時期に二人の大臣はその判断によって日本側に対する事情照会を行っていたのだから、竹島編入に異議があったのならば同じように事情照会くらいはできたはずなのだ。だが、日本に対する具体的な反応は何もなかった。

 結局、この土地売買事件の顛末からは「抗議したくてもできなかった」という現在の韓国側の主張がうそであることが分かるし、抗議しようと思えばそれは可能であったのに結果として竹島については抗議がなかったのだから、それは抗議する必要がないと判断されたことを示していることになる。

 初代韓国統監、伊藤博文と韓国政府の大臣たちとの間では韓国施政改善協議会という韓国の政務運営に関する協議の場が設けられていた。その記録が残されているのだが、第13回(明治40年(1907年)4月5日)の議事録に興味深い記録がある。

 その二日前に韓国の新聞である大韓毎日申報が「日本の早稲田大学校において討論会を開き、韓国皇帝に対して華族の称号を奉呈することの是非を決議したため、同校の韓国学生は忿痛を抑えることができず全員退学したという。

大韓臣民の無限の痛恨はむしろ死んだほうがましであろう、等々」と報道した。これが問題になったのは、おそらく、仮にも一国の皇帝の地位にある者に対して「華族」というレベルの称号を議論するのは非礼にもほどがあるということだと思われるが、第1313協議会において韓国政府の大臣たちはこの新聞記事を取り上げて統監の伊藤博文に善処を求めた。

当日の出席者は統監府側は統監の伊藤ほか一名、韓国政府側は参政大臣の朴斉純、内部大臣の李址鎔のほか度支部大臣、法部大臣、学部大臣、軍部大臣、農商工部大臣の名前がある。

伊藤博文首相

 統監の伊藤に対して、最初は軍部大臣が「もし日本で果たしてこういう事実があったのならば、本件について統監閣下の御考慮を煩わせたく思います」と非常に婉曲な言い方で伊藤に訴え、

度支部大臣も「私たちは遠隔の地にあって日本の事情は詳しく分かりませんが、もし本当にこの記事のとおりの事実があるのならば閣下の御注意を煩わせたく存じます。こういう事件は両国の交誼に影響を及ぼすことすこぶる大であります」と同趣旨を述べた。

 これに対して伊藤が、この件は日本政府や官吏の行為ではなくて書生の空論に過ぎない、書生たちの間では放言は往々にしてあるものであって政府が一々これを取り締まることはできない、思慮のある日本国民はこんなことは考えないなどと述べてことを収めようとしたのに対して、

軍部大臣が今度ははっきりと「もしこの新聞が伝えるような事実があるのならば、責任者たる早稲田大学の校長以下に対して相応の処分を加えていただきたい」と求め、内部大臣の李址鎔も「もし学校が討論を許したのであれば、責任者たる校長などにしかるべき筋から注意を与えていただきたい」と重ねて要求した。

 自分たちにとって承服しがたいことがあったから関係者の処分を求める、というのは「抗議」そのものだろう。これは韓国政府が日本の竹島領土編入を知ってからおよそ一年後のできごとだが、そういう時期でも韓国政府は日本側に対して必要と思えば要求あるいは抗議ができる状況にあったことが分かる。「外交権が剥奪されていたから日本に対して抗議ができなかった」などというのは根拠のない思いつきの反論に過ぎないのだ。

 ハーグ密使事件はよく知られている歴史上の事件で、1907年6月15日からオランダのハーグで開催された第二回「万国平和会議」に韓国皇帝高宗の密命を受けた3人の韓国政府関係者が参加しようとした事件だ。すなわち、韓国政府が日本の竹島編入を知ってから約一年後のできごとだ。密使たちは、世界各国に日本による韓国支配の不当性を訴え、第二次日韓協約が無効であることを列強に承認してもらうことによって日本に奪われた外交権の回復を図ろうとしたが、列強の支持を得られず失敗に終わったとされる。

 ハーグに到着した李相卨、李儁、李瑋鐘の3人の密使は、まず日本以外の参加国に「控告詞」という文書を送り、日本による韓国の外交権接収を批判して各国の賛同を得ようとした。「控告詞」では、日本に対する告発の理由を3点挙げた。日本が韓国皇帝の合意を得ずに行動したこと、目的達成のために韓国政府に武力を行使したこと、韓国の国法と慣習法を全て無視したこと、の3点である。また、「日本の策略によって、私たちの間に維持されて来た友好的な外交関係が断絶され、恒久的な極東平和が脅かされるようになりました。独立国家である大韓帝国が、どうしてこのことを認めることができるでしょうか」という言葉もある。

 そして、「日本人不法行為」と題する付属文書では、第二次日韓協約の締結に至る過程で伊藤博文と日本軍がいかに横暴にふるまったかということを中心に、種々の日本の行為の「残忍さ」と「野蛮さ」が非難された。

いくつか挙げれば、日本人たちは宮殿を不当に占拠して大臣たちに恥ずべき条約の締結を強要した、抗議して自決した高官たちもいる、日本の陰謀に反対するデモを武力で解散させ、そのとき多数が死に、あるいは負傷した、

日本に魂を売った一進会を組織して多くの者を高額で買収した、平壌に住むある貧しい農夫は僅かの土地を日本人に取り上げられて自殺した、ソウルと義州間の軍事鉄道建設で付近の農民、女子供まで駆り出され、鞭で打たれながら報酬もなく働かされた、宮殿に入る者たち全てに女性も含めて裸にして身体検査をした、というようなことが非難されている。

 だが、これだけのことを書きながら、そこに「日本は韓国の領土である独島を奪った」という指摘は一言もない。これは、現代の韓国の独島主張に照らせば実に奇妙なことだ。密使を派遣した皇帝高宗は、とにかく日本の圧迫・干渉を排除したいと考えて日本が韓国を蹂躙(じゅうりん)しているという形でその不当性を訴えさせたわけだ。

それならば、日本が辺境の一小島とは言え、れっきとした韓国の領土を不法に侵奪したのであれば、なぜその行為を列強に訴えなかったのか。

 「領土を奪う」という行為ならば、先の「控告詞」にある「独立国家である大韓帝国が、どうしてこのことを認めることができるでしょうか」にまさにぴったり当てはまるものとして列強諸国の関心を引く度合はより高かっただろう。だが密使たちはそんな指摘をしなかった。

 これが何を意味するかは明らかだろう。現代の韓国の研究者たちは抗議したくてもできなかったというのだが、ハーグ密使は完全に日本に対して秘密裡に準備されたのであって、一切日本に気兼ねすることなく思う通りのことを発表することができた。それなのに竹島(独島)について何も言わなかったというのは、日本の竹島領土編入は韓国にとって何も問題とすることではなかったからなのだ。

日本が領有権を主張する「竹島」(ロイター)

 以上のように、日本の竹島編入の事実を知った前後の韓国政府は、日本に抗議をしようと思えばそれができる状態にあった。しかし、抗議はしなかった。それもそのはずなのである。

筆者は、以前にこのiRONNAに投稿した文章(「韓国は110年前に竹島の領有権を放棄した? 謎多き「石島」の真実」)で、日本の竹島編入には韓国政府も異議がないという形で竹島問題は1906年に既に決着していたことを述べたことがある。

 「独島が日本の領土になった」という報告を受けた内部大臣、李址鎔と参政大臣、朴斉純は、最初は日本の決定に疑義を持ったのだが、改めて検討した結果、異議をいうべきものではないことを理解したのだった。したがって、結局この二人が抗議をしなかったのも、またハーグ密使が「独島」について何も言わなかったのも当然のことだった。

 心優しい日本人の中には「日本から圧迫されていたから抗議したくてもできなかったのだ」などと言われると「なるほど、そうだろうな」と思ってしまう人もいるかも知れない。だが、竹島問題に関して韓国側の論者のいうことはうそばかりだ。それは、韓国が竹島を不法占拠しているという事実を何とか合理化しなければならないので、勢い無理な説明を繰り広げることになるからだ。

 なお、韓国政府はこれまで公式の主張としては「抗議したくてもできなかった」ということは言っていないようだ。だから本稿のような指摘は意味がないという見方もあるかも知れない。

だが、韓国政府は「独島は、こうした日本による韓国の主権侵奪過程の最初の犠牲でありました。1905年、日本による独島編入の試みは長きにわたって固く確立された韓国の領土主権を侵害した不法行為であるため、

国際法的にも全く効力がありません」(韓国の美しい島、独島)というふうに日本の竹島編入を強烈に非難する一方で、当時の韓国政府がそれに抗議したという事実は示していないのだから、「では、なぜそのときに抗議しなかったのですか?」という問いは有効に成立する。

 そして、実際に抗議した事実を提示できない以上、その質問に対する回答の選択肢は、「抗議したかったができなかった」と言うか「自分の意志としてしなかった」と言うかのどちらかだ。

だが、おそらく韓国政府はそのどちらも口にすることはできない。前者は、そういう状況ではなかったことは韓国政府も分かっているだろうし、後者は、それこそ日本の竹島編入に韓国政府も異議がなかったことを認めることになるからだ。
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