また、公明党の神埼代表は15日の記者会見で、教育基本法改正について「この国会で(自民党と)合意し、法案を提出できる余地は十分ある。成立を期するようにしっかり取り組みたい」と述べ、今国会の提出・成立に意欲を示しました。
しかし、公明党は15日の文部科学部会で、教育基本法改正案について本格的な議論を始め、焦点の「国を愛する心」の表現について、反対論が大勢を占めました。
自民、公明両党は改正案の今国会成立を目指すことで合意していますが、この日の部会では依然拒否反応が強いことが浮き彫りになりました。
部会は愛国心を認めるか否かに集中し、妥協案として出ている「国と郷土、国際社会を愛する」といった表現に替えれば容認できるとの意見も出たが、発言したほぼ全員が反対論をのべたとのことです。
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一方、公明党執行部は自民党との調整で「国」の表現に統治機構を含まないことを明確にすれば「愛国心」を受け入れざるを得ないとの判断に傾きつつあるとのこと。
現行教育基本法は占領軍(GHQ)の圧力によって、「伝統文化の尊重」が削除され、日本の歴史伝統文化が否定されて出発しています。ここに戦後教育の出発が明らかであり、その変わりに、「個人の尊重」が戦後教育の基調となっています。
教育基本法に対する文部科学省の見解は、「個人の尊重」が絶対であり、「国家」という「公」の中で初めて「個人」が存在するにもかかわらず、「国家」を飛び越えたむき出しの「個人」を大切にすることが強調されています。
前文に「伝統の尊重や愛国心」が盛込まれていない弊害について
しかし、「愛国心」を子供たちに教えない国がないにもかかわらず、現場の教師、とりわけて日教組は、教育基本法を楯にとって、「個人の尊重」の名のもとに「愛国心」を否定しているのです。このため、日本の青少年は世界の中でも飛び抜けて「愛国心」に乏しいのです。
そこで、子供たちに日本人としての一員であるとの自覚を深めるためにも、「公」の中の「個」を自覚し、その「公」である、わが国がどのような国であったのかを正しく伝えることが重要であり、素直に「愛国心」を涵養されるのです。
わが国の歴史を正しく伝えさえすれば、愛国心は発揚されるのです。しかし、今日の自虐的な歴史教科書からは、愛国心は涵養されないばかりか、反国家の意識が芽生え、公の一員としての自覚は乏しくなるのです。
このことが、相手を思う心をも養えないばかりか、外国人への偏見を生み出しかねないのです。今日、子供たちによってホームレスの方々が殺される事件が多発していますが、こうした問題をも包含しているものと思われます。
本日、卒業式が行なわれる学校が多いが、国旗国歌法が成立しても、日教組を中心に国旗国歌がないがしろにされています。こうした問題をも教育基本法に「愛国心」が盛込まれることによって、改善されるのです。
トリノ冬季オリンピックのフィギィア―スケートで、優勝した荒川静香さんが、表彰式での国旗掲揚において、国歌を斉唱している姿に感動し、その後、国旗「日の丸」を背負って、会場を巡ったシーンをNHKは意図的に報道しませんでした。
こうした反「国旗・国歌」は未だに払拭されていないのも、明確に「国を愛する心」が涵養されていないからです。教育基本法改正の意義はこればかりではありません。
現行教育基本法の第9条「宗教教育の否定」による弊害
世界では、宗派教育は否定しているけれども、宗教的情操の涵養は重視されているにもかかわらず、わが国では宗教的情操教育は、宗教教育の否定により、ほとんどなされていないばかりか、富山県では、学校での給食の際の合掌が「宗教的色彩がある」と保護者から批判され、「合掌、いただきます」を「気をつけ、いただきます」に変えられたのことです。
また、三重県の小学校では「起立」「礼」も宗教に関わるからと行なわれていない所があり、中学校で行なってもキチンとできないことも聞き及んでいます。
また、長崎の小学校において、修学旅行は、神社や仏閣に行くことはまずないとのことです。宗教教育が否定されているため、批判されるのをさけているとのことです。さらには、プール開きの時など、お払いや塩や米を撒くなどの簡単な神道式で人目につかないようにひっそりとやっているが、公的には正式にできないとのことです。
宗教的情操の涵養がなされないまま、今日問題となっているのが「ゲーム脳」です。文藝春秋4月号で「脳内汚染が子供をむしばむ」が掲載されていますが、その中で衝撃的なことが紹介されています。
岡田尊司氏(精神科医)は、ゲームのコンテンツそのものが問題であることを指摘し、暴力的なゲームをしたり、映像に触れることによって、子どもが知らず知らずのうちに暴力行為を学習するだけでなく、暴力に対して肯定的な評価を持つようになり、何かの拍子に実行してしまう。また性的な映像や、レイプや死体を扱うような刺激の強い映像に善悪の判断がつかないうちに触れてしまうと、脳の中にその記憶が組み込まれてしまい、10年くらい立ってから事件を起すようなケースもあることを述べておられます。
それを受けて斉藤孝氏(明治大学教授)は、ある本の中で、シューティング・ゲームのマニアだった少年による射撃事件が紹介されていました。初めて銃を撃ったのに、撃ち方がプロの殺し屋そっくりだった。それはゲームで覚えたというですね。人間、誰れかを「殺したい」と思うことはありますけれど、実際に「殺す」行為との間には大きな溝があります。その溝を飛び越える後押しをするという指摘は説得力がありました。
岡田尊司氏 あらゆる動物には、同種のものを殺害することを抑制するプログラムが脳の中に埋め込まれています。だから我々は滅多なことでは人殺しをしない。このケースでは、シューティング・ゲームを繰り返すうちに、その禁忌が解除されてしまったと考えられます。
西日本新聞によると長崎県教委は昨年の1月24日、小中学生を対象に行った「生と死」に対する意識調査の結果、全体の15.4%が「死んだ人が生き返る」と答え、その割合は小学生よりも中学生の方が高かったと発表しました。
県教委は「死に直面する機会が少なく、テレビや人の話などで死をとらえているようだ」と分析しています。「死んだ人が生き返ると思いますか」の問いに対して「はい」と答えたのは、小4、14.7%、小6、13.1%、中2、18.5%。理由は「テレビや本で生き返る話しを聞いたことがある」が全体の半数近くを占め、「テレビや映画で生き返るところを見たことがある」が29.2%、「ゲームでリセットできる」が7.2%だった。
次に、現行教育基本法10条「教育は不当な支配に服してはならない」の弊害。
これについては次回でご紹介します。
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