古屋圭司
衆議院議員
(無所属・岐阜5区)
高市早苗
衆議院議員
(自由民主党・奈良2区)
松原 仁
衆議院議員
(民主党・東京3区)
古川禎久
衆議院議員
(無所属・宮崎3区)
議連案第十八条「環境教育」は以下の通り。
「地球環境を保全するため、あらゆる段階の教育において、自然を尊び、自然との共生や一体感を育んできた日本人の伝統と文化の維持・継承を図るものとする。」
超党派議連「教育基本法改正促進委員会」(最高顧問、森喜朗前総理大臣、西岡武夫元文相。国会議員三百七十八名加盟)と民間教育臨調(会長、西澤潤一首都大学東京学長)が提携して新教育基本法案が作成された(詳しくは『教育激変』明成社刊)。その法案作成の動機や意図について、「愛国心」をテーマに関係議員による座談会を開催しその思いを語っていただいた。前号に続き、その後編。
●「公民教育」のモデルとしての消防団
― 議連案(骨子)第二条「教育の方針」第二項では、「教育の目的を達成するために国民の自由と権利が尊重され、また国家の一員としての責任を自覚することによって文化の創造と発展に貢献するよう努めなければならない。」とあります。ここで「国家の一員としての自覚」が強調されているのは何故ですか。
古川 「民主主義」と「国家の一員としての自覚」とがあたかも相反するかのような誤解がまかり通ってしまっていますので、そうした誤解を何とか正したいという文脈から、こういう文言が出てきたのです。
高市 国家というのは、国の家と書きますよね。つまり、国という家の一員として、国をともに支えていこうということから、国に対する権利と義務という考えも生まれてくる。つまり、国家の一員として国家によって自分の生命・財産を守ってもらう権利と、国家の一員として国家を守る義務ということですね。この権利と義務とは一対であることを理解することが、「国家の一員としての自覚」を持つということだと思いますね。
古屋 この「国家の一員として」という言葉について考えなければならないことは、自分が拠って立つところの「国」についての理解をどう深めるのか、ということです。具体的には、世代を超えて培ってきた歴史・伝統を含む我が国の価値観を正しく理解することなくして、「国家の一員としての自覚」も正しく持つことはできないと思うのです。自分の国の価値観に誇りと愛情をもつということが、将来に対する自信にもなっていく。そこが大変重要なところで、現行の教育基本法には、自分の国の歴史・伝統・文化に根ざした価値観を正しく伝えていくという教育理念が残念ながら欠落してしまっている。このため、「国家の一員としての自覚」といわれても、よく判らないというのが実情ではないでしょうか。
実はイギリスも今の日本と同じような困難に直面していました。一九八〇年代のイギリスは、若年失業率や物価の上昇と、国際競争力の低下などによって経済は年々悪化し、社会秩序は乱れ、世界中から「イギリス病」と揶揄されていた。その背後には、学校教育において基礎学力ばかりか、イギリス国民としての自覚も価値観も与えられず、「国家の一員としての自覚」を持たない若年失業者の増大という深刻な社会問題があったのです。なんと日本の自虐的な歴史教科書と同じような歴史教育がイギリスでも行われていたことも判っています。
そこで、イギリス病を克服するために時のサッチャー首相は、「小さな政府」を目指して規制緩和を中心とした経済自由化を進め、外資を呼び込む一方で、青少年に対する学校教育を劇的に改革しました。これまで組合教師たちに教育を任せていた地方分権政策を改めて、教育に対して国が責任をとることを明確にしたうえで、基礎教科の重視と、イギリス人としての誇りを持たせる歴史教育の再建を断行しようとしたのです。結果として、まだまだ問題は多いですが、イギリスは見事にイギリス病を克服しつつある。自虐的な歴史教育を是正し、自国に対する誇りと自覚を与えることは、衰退に向かいつつある国家を再建していくうえで絶対に必要な改革なのです。
松原 議連案では、この「国家の一員としての自覚」の具体的展開として新たに第十五条「公民教育」という項目を立てています。実は現在も中学校には「公民」という教科があるにはあります。ただしその内容は、政治制度についての知識を与えることに止まっていますが、今回の議連案では「公民教育」の目的を「国民が社会における自己の責任を自覚し、国家社会の発展に積極的役割を担うこと」と、かなり踏み込んでいます。
高市 敢えて「国家の一員としての自覚」を強調するのは、政治を議員や官僚たちに任せてきたこれまでのあり方を是正し、これからは有権者の皆さんが政治に対する「結果責任」を負っていくという本来の意味での民主主義国家を構築していきたいという願いがあるからです。
アメリカでもレーガン大統領時代の一九八三年に『危機に立つ国家』というレポートが出されて、教育荒廃に対する警鐘が鳴らされた。そのレポートの中で、「わが国がうまく機能するためには、複雑な争点において、たとえ相矛盾し、不完全な検討材料しかなくとも、国民全てがある程度の共通の認識にいたる能力があることが必要なのだ。教育はこうした共通の理解を形成する上で役に立つ」と指摘されています。
国民一人一人がよき公民として法を守り、国家・社会の安定と発展に寄与していく。日本を良くしていくのは政治家や官僚の力だけではない。まさに主権者たる国民の力なんだということです。
古川 地域との係わり合いや国家・社会への貢献という面では、「公民教育」の分野で、消防団に光を当てたいと思います。消防団の皆さんは別に公務員ではなくて、純粋にボランティアですよね。それぞれ仕事をもちながら消防団として地元を守るために日々訓練し、消火活動に従事している。「一旦緩急あれば義勇公に奉じ」ではないですが、火事が起これば、自分の仕事を放り投げて消火活動を行う。「自分たちのふるさとは、自分たちで守るんだ」という気概に基づく消防団こそ、「国民が社会における自己の責任を自覚し、国家社会の発展に積極的役割を担う」という精神を体現していると思いますね。
古屋 消防団というのは実は世界に誇る、究極のボランティアなんです。手当てはほとんど皆無、にもかかわらず、消防団の皆さんは誇りをもって日々訓練と消火活動に勤しんでいる。しかも消防団は、すべての地方公共団体に設置されており、これも世界に例がありません。そして、別に統計をとったわけではありませんが、消防団がしっかりしている地方自治体は、学校教育もしっかりしているように思います。
ただし、最盛期には二百七万人の消防団員がいましたが、いまは九十二万人に減ってしまった。そういう意味で、「公民」教科書に、「自分の郷土は自分たちで守る」ことの大切さを教える教材として、「世界に誇る消防団」のようなトピックを載せたり、実際に消防団の訓練などに参加させたりして、消防団を再び盛り立てていきたいと思いますね。
高市 どこでもお正月には消防団の出初式が行われますが、近年かなり様変わりしてしまっていますね。郡部の消防団の出初式は、大抵は戸外で起立したまま行われます。規律正しく、行動もきびきびしていて清々しいのですが、都市部の消防団の出初式になると、様子が違う。体育館の中で隊員は椅子に座り、表彰式ではゆっくり歩いて出てくるといった具合で、私語も多い。残念ながら革新勢力が強い地域では、規律の正しさを「軍国主義調だ」として批判するものだから、すっかりたるんでしまっている。そんな調子で、実際の火災現場で事故が起きないかと心配しているんです。
松原 火災現場では、規律のたるんだ行動をしていると大事故になりかねない。諸外国では、軍隊があって規律ある行動を身につけるチャンスがあるが、日本の場合はそうしたチャンスもないので、消防団などに一定期間加入する義務を課すなど、自分の郷土を守るボランティアをさせて、規律を身につけさせるということも検討すべきですね。
古屋 要は、「国家の一員としての自覚」を正しく教える教師がいるのか、ということです。議連案でも「教員」という項目を新設していますが、その「教員」の項目で、教員自身がまず「国家の一員としての自覚」をもってもらうという精神規定を盛り込むことも必要になってくるのではないかと思います。実際に、現在の学校現場を見ていると、まず子供よりも先に教員を教育しなければいけないんじゃないかと思うことがありますからね。連日のように問題教員のことが新聞で報じられている以上、そう思っている国民も決して少なくないと思いますね。
松原 杉並区の山田宏区長が「師範塾」という教員向けの教育機関を新設したら、応募が十倍以上あったというんですね。今のままの自分ではダメだと思っている教員も決して少なくはない。しかも、教える技術の問題だけでなく、教師はいかにあるべきかという情熱の面で自分を鍛えたいと願う教員が増えていると聞いています。だから、子供たちの「内在的価値を高める」という教育目的を達成するためにも、教員の側にまず「国家の一員としての自覚」が必要なんだとなれば、その方向で努力する教員は燎原の火の如く増えると思いますよ。
●日本人の精神復興運動としての「環境教育」
――議連案(骨子)では、第十八条で「環境教育」という項目を新設していますが、その意図はどのようなものなのでしょうか。
古川 日本の神話、特に天照大御神の「天壌無窮の神勅」には、「豊葦原の瑞穂の国」という形で、わが日本は稲穂の国だと表現されているんですね。ですから、天皇陛下は春になると、皇居の田んぼで苗を植えられ、秋には収穫され、その稲穂を宮中三殿に捧げられている。また、「日本書紀」でも、スサノヲノミコトが日本にはこんなに素晴らしい樹木という宝物があるではないかとおっしゃられていて、スサノヲは樹木神ということになっている。
ですから、日本には、美しい緑の国土を持ち、稲作を中心とした村落共同体がしっかりとあって、そこから我が国の歴史・伝統・文化も育まれてきた。それが自然との共生であったり、豊かな恵みに感謝する心であったり、和を尊ぶ人間関係、わび・さび・もののあわれという美意識であったわけです。その意味で、「環境教育」を通じて、日本の伝統的価値観の素晴らしさに気付かせると共に、日本が稲作共同体であったという歴史をきちんと受け継がせたいと考えたのです。
松原 同感ですね。そもそも環境問題は、伝統的価値観を持ち、日本の美しい国土を守りたいと願う伝統派の人々によって主導されるべきなんです。「美しい国土を守ろう」、「素晴らしい自然環境を後世に残そう」という主張は、伝統的価値観を重んじる人々からこそ出されるべきなんです。
古屋 「美しい国土を守ろう」ということで言えば、富士山を世界遺産に申請して承認されませんでした。別に世界遺産に登録されなくても、富士山の素晴らしさが損なわれるわけではありませんが、世界的な価値がないと見なされたようでどうも釈然としない。
そこで私は文化庁に提案して、「日本遺産」という制度を創ろうと言ったんです。日本の伝統・文化を象徴しているものを「日本遺産」に指定して、後世に守り伝えようということです。その「日本遺産」制度を確立するなかで日本人がいかに自然を守ってきたのかを示す素晴らしい自然を、我が国の環境文化として内外に示す、という試みもあっていいのではないでしょうか。そして、これら「日本遺産」がどのようにして守られてきたのかを学ぶことを、「環境教育」の柱にしたらいいと思うんです。
高市 私も、環境教育とは、単に二酸化炭素の排出量を減らすことだけではないと思います。自然を尊び、自然の恵みに感謝し、自然の中に神々を見出す日本人の伝統的な価値観を伝えることが立派な「環境教育」だと思います。
今から四十年近く前、松下幸之助さんが「観光立国」を提唱されたことがあるんです。日本は世界に誇れる美しい国土をもっていることから、観光がリーディング産業になる可能性を早くから示唆されたのです。観光立国という理念を改めて示すことは、日本の国土の美しさを日本人が自覚することであり、そうした国土を我々に残してくれた先人に感謝することにつながります。その意味で、ご先祖様への感謝の思いを育む観光立国というコンセプトも、「環境教育」の中に入るといいなと思いますね。
松原 伝統・文化と一体化した「環境教育」は、神話の時代に始まる我が国の稲作文化の素晴らしさや、美しい国土を守り伝えてきた先祖への感謝といった伝統的価値観の再評価、つまり日本人の精神復興運動なんだと思うんです。しかも、それは、世界に向かって日本が堂々と発信できるものです。その意味で、「前文」にあるように、日本は、自然との共生という伝統的価値観をもって人類の危機に貢献するんだという決意を最も具体的に示すのが「環境教育」だと思いますね。
古屋 私の選挙区は岐阜の中山間区域で、「田園空間博物館」事業の第一号にも選ばれました。この「田園空間博物館」事業とは、農村がもつ景観を一体的に保存していくということです。食糧自給率などを考えると、我が国は農業をもっともっと振興していかなければならない。それに、生鮮食料品を生産するだけでなくて、自然災害の防止や水資源の確保など農村が多くの機能を果たしていることにもっと注目して、都会の人達にも理解してもらうことも重要だと思いますね。その意味で、農村の存在意義を教えることも「環境教育」の柱の一つにしてほしいと思いますね。
古川 古今和歌集に載っている藤原敏行の有名な和歌に「秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる」がありますが、このように一陣の風に季節の移ろいを感じるのが日本人の美意識なわけです。その美意識を育んできたのが、稲作や木の文化なんです。この国土と風土に直結した素晴らしい文化を「環境教育」という形できちんと教えることができれば、美しい国土の保全、農村共同体の再建、そして食糧自給率の向上など多方面の問題を克服する道筋ができると思いますね。
●新教育基本法制定が新憲法制定に与える影響
古屋 農村共同体の再建に関連して、わが国ではこれまで、秋祭りのような地域の伝統行事を行うことを通じて地域共同体を維持しつつ、子供たちにも伝統を継承させてきたわけです。私達が子供の頃までは、秋祭りの日には学校は半ドンになって、みんなお祭りに参加していた。ところが、近年こうしたことができなくなってしまったことが、学校と地域と家庭とがバラバラになってしまった原因の一つとしてあると思います。
高市 同感です。子供たちには、地域の秋祭りに是非参加させてあげたい。農産物の実りに感謝するお祭りは伝統文化そのものですし、同時に秋祭りは地元の人々が懸命に作り上げるものですから、地域とのつながりを実感させる絶好の機会にもなる。ところが、神社からお神輿がでることもあって秋祭りに参加させることが教育基本法第九条に抵触するといわれる。しかし、地域の人々が懸命に準備した秋祭りに参加して地域の伝統を肌で知るチャンスを奪うことが果たして子供たちのためになるのでしょうか。
給食に際して「いただきます」と合掌するのが仏教的作法にあたると批判されて中止になった富山県のケースは特別だとはいえ、「伝統文化を尊重」し、「地域共同体との係わり合い」を重視する観点からも、現行の「宗教教育」規定は大きく見直していく必要があると思いますね。
松原 秋祭りということで指摘しておかなければいけないことは、日本は八百万の神という多神教で、すべての生きとし生けるものに神を見ていくという精神のあり方が、日本の伝統文化を根底において規定しているということです。実は外国にもこうした多神教的な見方があったのだが、一神教の布教を通じて根絶してしまって、いまや日本ぐらいにしか残っていない。こうした多神教的なものの見方、感じ方まで宗教的だとして排除してきた戦後教育のあり方は、結果的に伝統・文化を子供たちに伝えないようにしてしまったという意味で見直さなければならないと思いますし、それは必然的に現行憲法の政教分離規定の見直しにまで発展せざるを得ないと、私も思います。
古屋 現行の教育基本法「前文」には、「憲法の精神に則り」という言葉があり、教育基本法と憲法は確かに連動しています。それは何も政教分離規定だけではない。新教育基本法に「国家の一員としての自覚」を謳うということは、日本国民としての権利を享受する一方、義務もきちんと果たしていくことによって国家も地域社会も成り立つという「民主主義の基本」を確認することであり、それは当然、憲法の「権利・義務」規定の見直しに発展せざるを得ません。その意味で、新教育基本法の制定は、来るべき憲法改正に大きな影響を与えることになると思いますね。
――教育基本法を改正することは、学校教育のみならず、伝統文化の継承、地域共同体の再生、自然環境の保全など多方面において、この日本を大きく変えることになるんですね。(一月三十一日 座談)
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