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白洲次郎〜占領軍総司令部との戦い

今日は何の日 2月13日 マッカーサー草案は、昭和21年(1946年)2月12日、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)により作成された日本国憲法草案である。

このマッカーサー草案をめぐって戦った白洲次郎の生きざまを知る中から、戦後レージムからの脱却を掲げる第2次安倍晋三総理の心情を読みとっていただければ幸です。

白洲次郎〜占領軍総司令部との戦い

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■1."Difficult Japanese"(扱いにくい日本人)■

 昭和20(1945)年12月。日本は敗戦後、最初のクリスマスを迎えた。マッカー サー元帥一家に天皇陛下からクリスマス・プレゼントを渡すというう話が持ち上がっ た。元帥には毛筆セット、夫人に雛人形、息子アーサーには人形とキャンディが準備された。

 吉田茂外相の名代としてGHQ(占領軍総司令部)との交渉窓口を任されていた白洲次郎がプレゼントを持参した。GHQは皇居お堀端の第一生命ビルを接収し、マッカーサーの部屋はその6階の奥にあった。ドアの前には銃を持った二人の憲兵が立っている。

次郎が部屋に入ると、マッカーサーの机の上には贈り物がうずたかく積まれていた。「そのあたりにでも置いておいてくれ」と、マッカーサーは絨毯の上を指さした。
 
 そのとたん、次郎は血相を変え、「いやしくもかつて日本の統治者であった者からの贈り物を、その辺に置けとは何事ですかっ!」と叱りとばし、贈り物を持って帰ろうとした。さすがのマッカーサーもあわてて謝り、新たにテーブルを用意させた。

「戦争には負けたけれども奴隷になったわけではない」、それが彼の口癖だった。日本人離れした体躯と英国仕込みの英語で、次郎は総司令部の高官と堂々と渡り合った。そのため、"Difficult Japanese"(扱いにくい日本人)と呼ばれていた。

■2."Be gentleman"(紳士たれ)■

 白洲次郎は、明治35(1902)年、現在の兵庫県芦屋のあたりに生まれた。白洲家は三田藩(兵庫県三田市)で代々儒官を務めていた名家で、父・文平は綿花貿易で成功した資産家だった。

 次郎は、名門・神戸第一中学校に通ったが、暗記中心の詰め込み教育になじめなかった。「先生の教えることをそのまま答案にすることがそんなに偉いのか」と疑問を感じていた。そのため成績は中程度で、このままでは兄のように旧制第三高校(現在の京都大学教養学部)には入れそうになかった。「それならいっそのこと留学せい」と父・文平が断を下した。

 19歳にして英国に渡り、現地の高校を経て、ケンブリッジ大学に入学。東洋人は次郎一人だったが、猛勉強して、2年目にはトップクラスに入った。

 物理学の試験を受けた時のこと、授業で教わったことを徹底的に復習して、自信を持って臨んだが、結果は意外に低い点数だった。「君の答案には、君自身の考えが一つもない」と書かれていた。「これこそオレが中学時代に疑問に思っていたことの答えじゃないか」と、痛快な喜びがこみ上げてきた。次の試験では、自分の意見を存分に書いて、高得点を貰った。

 ケンブリッジ大学では、学業だけでなく、ことある毎に"Be gentleman"(紳士たれ)と教えられた。紳士は自由であるとともに、自らを規律と原則で律する。その精神的バックボーンは騎士道である。武家の家に生まれた次郎には、それと共鳴し合う武士道精神が脈打っていた。

■3.「ソ連の野郎、絶対にゆるさねえ!」■

 昭和3(1928)年、金融恐慌のあおりを受けて、父の事業が行き詰まった。次郎は8年間の留学生活を終えて、日本の土を踏んだ。26歳になっていた。

 次郎は『ジャパン・アドバタイザー』という英字紙の記者となって家計を助けた。数年務めた後、日本水産の取締役外地部長に就任し、日本産鯨油の欧米輸出に携わった。

 やがて幼友達が、後に首相となる近衛文麿の私設秘書をしていた縁で、近衛と近づきになった。近衛は息子の文隆の面倒を見てやってはくれまいか、と次郎に頼んだ。

文隆は米国プリンストン大学に留学したが、ゴルフやカーレースに熱中して、学業不振のため卒業できずに帰国していた。

 次郎は自分に似たところがある文隆を可愛がったが、叱るときは大声で叱った。後に文隆は出征し、満洲でソ連軍に抑留された。元首相の息子だということで、ソ連の手先となるなら帰国させてやろうという誘いを断って、11年の抑留生活を経て、不審な死を遂げた。[a]

 この事を後で知った次郎は、怒りに身を震わせながら痛哭し、「ソ連の野郎、絶対にゆるさねえ!」と天を仰いでその非道を呪った。

■4.「ここからが正念場だからな」■

 また次郎は、妻となった正子の縁で、吉田茂とも知り合った。次郎はまだ27歳、51歳の吉田とは親子ほどにも年齢は離れていたが、軍部を牛耳る東条英機と顔を合わせても挨拶しないほどの硬骨漢ぶりに親しみを感じていた。

 後に吉田は駐英大使として赴任するが、外務省で飛ぶ鳥を落とす勢いの松岡洋右の日独同盟路線に反対し、孤立していた。そんな吉田を次郎は英国出張の際にふらりと訪れては、ビリヤードをしたり、ビールを飲みながら談笑した。それが孤独な吉田への思いやりだった。

 やがて、二人が心配していた通りに米国との戦争が始まった。次郎は今の町田市のあたりに引っ込んで百姓を始めた。東京が空爆され、食糧不足に陥ると読んだからだ。日本軍が勝ち進んでいる時に、ここまで考えるのが次郎の天才的な所であった。

 次郎の読み通り、日本は焦土と化して敗戦を迎えた。幣原内閣で外相に就任した吉田は、昭和20(1945)年12月、次郎をGHQとの折衝役として、終戦連絡事務局参与に任命した。「戦争に負けて外交に勝った歴史もある。ここからが正念場だからな」と、吉田は期待をこめて次郎に語った。

 昭和天皇からのクリスマス・プレゼントを持参して、マッカーサーを叱りとばした冒頭の逸話はこの直後のことであった。

■5.GHQの中の赤色勢力■

 次郎の主な交渉相手、というより宿敵が、民政局長のコートニー・ホイットニー准将と、行政公職課長チャールズ・ケーディス中佐だった。

 民政局には共産主義者が多く混じっていたと言われる。3年後、アメリカに戻ったケーディスが、国務省のジョージ・ケナンを訪ねた時、「あなた方は、日本を共産主義国家にしてソ連に進呈しようとしていたのだという噂もありますね」と、面罵されている。[1,p263]

 そんなケーディスたちを警戒する勢力はGHQ内にもあった。参謀第二部のチャールズ・ウィロビー少将である。ウィロビーは反共主義者で、ケーディスらが日本を共産主義国家に改造しようとしているのではないか、と危惧していた。

 昭和21(1946)年1月4日、民政局は自らが「軍国主義者」と認定した人々の公職追放令を発令した。ウィロビーは「このように徹底的な追放を行えば日本は大混乱に陥ってしまうだけだ。赤色革命を起こす可能性だってある。追放は最高指導者だけに限るべきだ。下の者は上の者に従っただけではないか」と追放令に反対した。

 しかし、マッカーサーのお墨付きを得たケーディスは、幣原内閣の現役閣僚中5人を含め、その後1年半ほどの間に、20万余もの有力者を追放した。

 自由党の党首・鳩山一郎も同年4月、戦後初の総選挙で第一党となった直後に、首相の座を目前にして公職追放となっている。GHQは口先では「民主主義」を唱えながらも、その実、日本国民の総意を無視して、気にくわない政治家を自在に追放できる独裁者だったのである。

■6.GHQの示した憲法草案■

 この年の2月13日、ホイットニーとケーディスが外務大臣官邸を訪れた。次郎が出迎えに出た。松本国務大臣が作成した日本国憲法案を説明し、日米共同で検討するための集まりだと、日本側は思っていた。

 松本国務大臣が説明を始めようとすると、ホイットニーはそれを遮って、こう言った。

 先日あなた方から提出された憲法改正案は、自由と民主主義の観点からみて、とても容認できるものではありません。・・・ここに持参した憲法草案こそ、日本の人々が求めているものであるとして、最高司令官(マッカーサー)があなた方に手渡すようお命じになったものです。

「なんと、GHQ側は自ら憲法改正案を用意してきたのか!」虚を衝かれた日本側は声も出ない。「やられた! あいつらいつの間にこんなものを用意していたんだ」と次郎は思った。

 これこそ民政局の素人集団が7日間で作成した憲法草案であった。その中には、「土地その他の天然資源は国有とする」という規定まであった。 color="#FF0000">「自由と民主主義」どころか、共産主義そのものである。[b]

■7.「男には戦わなければならない時がある」■

 外相官邸から戻った松本国務大臣は、事の成り行きを幣原首相に報告した。GHQの憲法草案が単なる「提案」なのか、「指令」なのかについて探りを入れよう、ということになり、次郎は、すぐにその日の午後、GHQにホイットニーを訪ねた。しかし次郎が何を言っても、ホイットニーは取り合わなかった。

 次郎は松本の所に戻って、「大臣、向こうはやはり『指令』だと考えています。交渉は受けつけそうにありません」と率直に言った。「あっさり、あきらめすぎだ」と言わんばかりの松本の態度に、むっとしながらも、次郎は「分かりました。もう一度やってみましょう」ときっぱり言った。

「勝ち目がないとわかっていても、男には戦わなければならない時がある」と次郎は腹をくくった。後に次郎は、この時の気持ちをこう語っている。

 自分は必要以上にやっているんだ。占領軍の言いなりになったのではない、ということを国民に見せるために、あえて極端に行動しているんだ。為政者があれだけ抵抗したということが残らないと、あとで国民から疑問が出て、必ず批判を受けることになる。[1,p150]

 次郎は「手紙を書こう」と思った。言質をとるには文章に限る。松本案もマッカーサー案も民主憲法という目的は同じであり、ただ日本の伝統と国情に即した道をとるほうが混乱を招かない、という論旨を次郎は手紙に書いてホイットニーに示した。

 ホイットニーからは翌日、返事が来た。「マッカーサー案の目的に賛成するというなら、積極的に推進すればよいではないか」という、とりつく島もない文面だった。

 松本は再度、次郎と同趣旨の再説明書を書いて、次郎に持たせた。ホイットニーはその再説明書を机にたたき付け、「48時間以内にマッカーサー案を受け入れるのかどうか、回答せよ」と言って、次郎から背を向けた。何たる屈辱。次郎はこみ上げる怒りに肩を震わせながら部屋を出た。

■8.『抵抗したんだ』という事実は残った■

 民政局の強硬な態度に、結局、マッカーサー案をベースにして、新たな日本案を作成することになった。

 3月4日、松本大臣、次郎、法制局の専門家などがGHQの第一生命ビルを訪れ、松本がマッカーサー草案をベースにした日本案を示した。ただちに英訳とチェックが開始された。

 ケーディスは、日本案の一条ごとに文句をつけた。たとえば、マッカーサー草案では、天皇の国事行為は"advice and consent"としているのを、松本案では「補弼(ほひつ)」としていた。「なぜ consent(同意)を省いたのか」とケーディスが質問すると、松本は「もともと天皇は内閣の輔弼がなければ、どんな行為もできないことになっている」と、怒りに震える声で答えた。

 こんな議論が延々と続くうちに、松本は別の会議があるからと、引き揚げてしまった。敵前逃亡である。ケーディスは次郎に「今夜中に憲法草案を完成させる」と伝えた。民政局員約20名が加わって、日本案を英語にして修正確認し、それを再度、日本語にする、という作業が夜通し進められた。

 作業があらかた終わったのが、午前10時。午後2時半頃、次郎がそれを官邸に持ち帰って、「やっこさんたちは、今日中にこの憲法草案を受諾するかどうか返事を貰いたい、と言ってきています」と事態が切迫していることを伝えた。

 午後4時半、閣議が開かれた。吉田は「ことここに及んでは受け入れるしかない。次郎には悪いが、『抵抗したんだ』という事実は残った。今回の憲法は独立を回復した後に、我々の手で改正すればいい」と考えたが、それは閣僚ほとんどの思いであったろう。

 3月6日、「日本政府による憲法改正案」が公表され、間髪を入れずに、マッカーサーは同案への支持を表明した。

■9.「ヒソカニ涙ス」■

 この一連の作業の後、次郎は一週間ぶりに自宅に戻って、泥のようになって眠った。寝言ながらに「シャット・アップ!(黙れ)」「ゲット・アウト!(出て行け)」などと叫んだ。

「憲法草案」公表の翌日、次郎は次のような手記を書いている。

斯(かく)ノ如クシテ、コノ敗戦最露出ノ憲法案生(うま)ル。「今に見ていろ」ト云フ気持抑(おさ)ヘ切レス。ヒソカニ涙ス

 後に次郎は、こう書いている。

 この憲法は占領軍によって強制されたものであると明示すべきであった。歴史上の事実を都合よくごまかしたところで何になる。後年そのごまかしが事実と信じられるような時がくれば、それはほんとに一大事であると同時に重大な罪悪であると考える。[1,p101]

 次郎の危惧は現実のものとなった。
(続く、文責:伊勢雅臣)
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…………………………………………………………………………

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……………………………………………………………………………

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……………………………………………………………………………

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●外国人参政権に反対する意見書採択について

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