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1868年(慶応4年5月3日) - 戊辰戦争: 奥羽列藩同盟が成立。

今日は何の日 6月22日 1868年(慶応4年5月3日) - 戊辰戦争: 奥羽列藩同盟が成立。

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奥羽越列藩同盟(おううえつれっぱんどうめい)は、戊辰戦争中に陸奥国(奥州)、出羽国(羽州)、越後国(越州)の諸藩が、輪王寺宮・北白川宮能久親王を盟主とし、新政府の圧力に対抗するために結成された同盟である。

元々は奥羽諸藩が会津藩、庄内藩の「朝敵」赦免嘆願を目的として結んだ同盟(奥羽列藩同盟)であったため、両藩は盟約書には署名していない(ただし両藩は会庄同盟を結成)。赦免嘆願が拒絶された後は、新たな政権(北部政権)の確立を目的とした軍事同盟に変化した。同盟のイデオローグ・論理的指導者として、仙台藩の大槻磐渓の存在が挙げられる。

なお、加盟各藩はいずれも当初新政府の奥羽鎮撫総督に従っていた。 

「奥羽皆敵」の言葉が列藩同盟を成す!

 江戸無血開城が成され、徳川慶喜は謹慎するために水戸藩へ去ると、旧幕府軍は大義名分を失い路頭に迷うことになった。
 この状況を見た幕府軍歩兵奉行の大鳥圭介は、徹底抗戦を主張し、新政府軍と戦うべく江戸浅草報恩寺で同志を集め、これに応じた500名の同志とともに奥羽諸藩と連携して、新政府軍と戦うことに決した。

 1868年(慶応4年)4月12日、下総市川に入った大鳥率いる旧幕府軍は、そこで新選組副長の土方歳三、会津藩重臣・秋月登之助、桑名藩の辰見勘三郎らと合流し、19日には関東宇都宮城を攻撃した。宇都宮藩は新政府側に立っていたため、この藩の居城を攻略して、旧幕府軍の前線基地にしようとしたのだ。

 宇都宮城を攻略した大鳥たちであったが、23日には、薩摩藩の軍略家・伊地知正治が率いる薩摩藩兵主力の新政府軍が宇都宮城奪還戦を展開し、大鳥ら旧幕府軍は大敗し、再起を謀るため、一路日光山へと敗走した。

 しかし、徳川家康・家光の霊廟を奉る日光を戦火に巻き込むわけにはいかないとして、元老中・板倉勝静らが大鳥ら旧幕府軍に対して、下山するよう要請してきたため、やむを得ず日光を離れ、会津藩を頼って、北上した。

 東北地方では、会津追討の命を受けた仙台藩が4月中ごろから藩境まで藩軍を進行させて、会津藩軍とにらみ合っていたが、仙台藩は会津藩に同情的で、戦火を交えることはなかった。

 その上、仙台藩は家老をたびたび会津藩に遣わして、恭順することを勧めている。ついには仙台藩と米沢藩は会津藩を取り成してくれるということで、会津藩は新政府に降伏することとし、藩主・松平容保は、家老の西郷頼母らに嘆願書を作成させ、両藩を通じて、総督府に届けることにした。

 4月4日、仙台・米沢両藩の家老から奥羽諸藩に対して通達がなされ、奥羽諸藩の代表たちは、会津藩救済のため、白石城で会議を開いた。 11日には、奥羽諸藩の代表が決議し、会津藩を助ける嘆願書に調印した。翌日には会津藩の嘆願書と仙台・米沢両藩主の添え書き、奥羽諸藩の連名嘆願書の三通が奥羽鎮撫総督・九条道孝に提出された。

 当初はこの嘆願書は受理されるはずであったが、総督府参謀の世良修蔵が強く反対し、15日には、当初の受理方針から一転して、却下となった。

 このことに仙台藩士たちは激怒し、強硬に受理を反対した世良を恨むようになった。そんな険悪な雰囲気となっていた折、世良が薩摩の大山綱良に宛てた手紙の中に「奥羽皆敵」とみなす文面が書かれていたことで、仙台藩士たちの堪忍袋は爆発した。手柄欲しさに戦争継続を望む世良を兵乱を好む奸賊と見なし、福島城下にある遊郭・金沢屋にしけこんでいた世良を仙台藩士が引きずり出し、捕らえた。

 翌朝には須川の河原で奸賊の罪にて世良を斬首し、奥羽諸藩は、新政府に対して徹底抗戦の構えを取ることと成った。

 世良斬首の一件後、仙台・米沢両藩は、会津追討命令を拒否する旨を総督府に伝え、会津藩境に布陣させていた藩兵を撤退させた。

 ついで、22日には奥羽25藩の家老が白石に集まり、5月3日に仙台城下にて奥羽列藩同盟が結成された。さらに北越の6藩も加入し、奥羽越列藩同盟が成立した。

 奥羽越列藩同盟の構成諸藩は下記の通りとなる。

 陸奥・出羽の25藩
 仙台藩 伊達慶邦(だてよしくに) 62万5000石
 米沢藩 上杉斉慶(うえすぎなりのり) 15万石
 盛岡藩 南部信民(なんぶのぶたみ) 20万石
 秋田藩 佐竹義堯(さたけよしたか) 20万5000石
 弘前藩 津軽承昭(つがるつぐあきら) 10万石
 二本松藩 丹羽長国(にわながくに) 10万石
 守山藩 松平頼升(まつだいらよりのり) 2万石
 新庄藩 戸沢正実(とざわまさざね) 6万8000石
 八戸藩 南部信順(なんぶのぶよし) 2万石
 棚倉藩 阿部正静(あべまさきよ) 6万石
 中村藩 相馬誠胤(そうまともたね) 6万石
 三春藩 秋田肥季(あきたとみすえ) 5万石
 山形藩 水野忠弘(みずのただひろ) 5万石
 平藩 安藤信勇(あんどうのぶたけ) 3万石
 松前藩 松前徳広(まつまえのりひろ) 3万石
 福島藩 板倉勝尚(いたくらかつひさ) 3万石
 本荘藩 六郷政鑑(ろくごうまさあきら) 2万石
 泉藩 本多忠紀(ほんだただとし) 2万石
 亀田藩 岩城隆邦(いわきたかくに) 2万石
 湯長谷藩(ゆながやはん) 内藤政養(ないとうまさやす) 1万5000石
 下手渡藩(しもてどはん) 立花種恭(たちばなたねゆき) 1万石
 矢島藩 生駒親敬(いこまちかゆき) 8000石
 一関藩 田村邦栄(たむらくによし) 3万石
 上山藩 松平信庸(まつだいらのぶつね) 3万石
 天童藩 織田信敏(おだのぶとし) 1万8000石

 越後の6藩
 新発田藩(しばたはん) 溝口直正(みぞぐちなおまさ) 10万石
 長岡藩 牧野忠訓(まきのただくに) 7万4000石
 村上藩 内藤信民(ないとうのぶたみ) 5万石
 村松藩 堀直賀(ほりなおよし) 3万石
 三根山藩(みねやまはん) 牧野忠泰(まきのただひろ) 1万1000石
 黒川藩 柳沢光邦(やなぎさわみつくに) 1万石

 奥羽越列藩同盟は上記の諸藩総計31藩で構成されていた。結成後、諸藩は盟約書と新政府に対する建白書に調印した。そして、この建白書は新政府に対する宣戦布告となった。内容は天皇・朝廷には忠誠を尽くすが、薩長両藩には協力しない、鎮撫総督には従わないとしていた。

 この同盟に会庄同盟を加えると、合計約260万石にも及ぶ東北諸藩が新政府に対して、反旗を翻したことになった。この奥羽の情勢に奥羽鎮撫総督府は完全に孤立化し、身の危険を感じた総督・九条道孝は仙台を発って、盛岡に逃れた。

 この奥羽越諸藩の反乱に慌てた新政府は、平穏な鎮撫政策を見直し、東征大総督に奥羽越諸藩の征討令を発し、徹底して武力鎮圧に乗り出した。

 大総督府軍務局判事・大村益次郎の提唱により、新政府軍各部隊を再編成し、新たな部隊配備を成した。

 白河口総督に鷲尾隆聚(わしのおたかつむ)、越後口総督に西園寺公望(さいおんじきんもち)、平潟口総督に四条隆平(しじょうたかとし)が新たに任命された。

 新政府軍は、すでに5月上旬に白河城を奪取し、奥羽征伐の足がかりをつかんでいた。6月に入ると平潟口総督の四条隆平が率いる軍勢が常陸平潟(ひらかた)に上陸し、進攻するとこれに呼応して、参謀の板垣退助が700名の精鋭を率いて、棚倉城を攻略した。ついで、平潟口に上陸した部隊は北上して、泉藩・湯長谷藩・平藩を攻めこれを落とした。

 7月初めになると世良修蔵の後釜として、弱冠22歳で奥羽鎮撫総督参謀の任に就いていた長州藩の桂太郎(かつらたろう)は、秋田藩を新政府側につけるため、同じ参謀職にある薩摩藩の大山綱良とともに秋田藩主・佐竹義堯に直談判(じかだんぱん)して、説得に成功した。

 桂ら参謀の活躍で、奥羽越列藩同盟は、徐々に崩壊し始めたのである。秋田藩はその後、新政府軍の奥羽征伐にとって、有力な戦力となって活躍した。

 秋田藩の同盟脱退によって、弘前藩・新庄藩もこれに続いて同盟を脱退した。守山藩・三春藩は劣勢を悟り、新政府軍に降伏した。これら同盟の脱退や降伏などが相次いだことで、奥羽越同盟は大いに動揺した。

 これら同盟に動揺が走る少し前、奥羽越列藩同盟は同盟の結束を固めるべく、旧幕府重臣らを同盟の中枢職に就け、抗戦する意義を高めている。

 まず、輪王寺宮(りんのうじのみや)を同盟の軍事総督に擁立し、公議府を白石城に置いた。ついで、元老中・板倉勝静、小笠原長行を同盟の重役に抜擢し、同盟の気勢を挙げている。

 7月下旬に入ると、新政府軍は大軍を擁して、二本松藩の居城に進軍した。この時、二本松藩軍は、大部分を白河口方面へ出陣させており、城内には、わずかな手勢と老人、少年、婦女子ばかりがいた。

 藩主・丹羽長国は7月28日に城を出て、米沢へと逃げ去った。その翌日の29日には新政府軍による攻撃が開始され、三方向から二本松城は攻撃を受けた。

 窮地に陥った二本松藩留守部隊は、弱冠21歳の砲術師範・木村銃太郎を隊長とする二本松少年隊による必死の防戦が行われた。木村は城の西南に位置する大壇口に防壁を築き、百匁玉大砲を設置して、激しく新政府軍と抗戦した。

 新政府側は薩摩藩軍を主力に突撃したが、二本松藩防衛隊にサンザン苦しめられた。だがその乱戦も木村が銃弾に倒れると勝敗は決した。

 二本松藩防衛隊は撤退を開始し、新政府軍は二本松城に迫った。城を打って出た少年部隊は、ゲリラ戦を展開したが、抵抗むなしくことごとく玉砕した。

 城内では、もはや敗戦と悟ると城代家老・丹羽和左衛門、藩家老・丹羽一学らが本丸に火を放ち、家臣ともども自刃して果てた。こうして、二本松城をめぐる攻防戦はたった一日で終結したが、凄まじい戦闘と総員玉砕という甚だ痛ましい結果を招いた。

 二本松城の攻防戦が行われていた頃、北陸戦線では、新潟・長岡が激しい戦闘の末、陥落し、いよいよ奥羽越戦争の舞台は、大激戦となる会津戦争へと突入することとなった。

 奥羽越列藩同盟の激しい抵抗には、巧みな軍略計画が成されていたことも要因として挙げられる。越後方面が奥羽越列藩同盟の要衝地と考えていた同盟側は、会津藩兵や米沢藩兵を越後に投入して防衛線を張ったり、武器弾薬の購入を推し進めた。

 特に米沢藩は新潟港を管理し、この港を同盟軍の補給基地と定め、武器商人・エドワード・スネルから武器弾薬を大量に購入した。

 これら武器弾薬は同盟諸藩へ分配され、諸藩の軍備増強を図った。この同盟軍の動きを察知した新政府軍は、越後攻略を急ぎ、新潟港の奪取を謀った。激しい交戦の末、新潟港を占領した新政府軍は、長尾城をも攻略して、米沢藩軍を打ち破り、敗走させた。

 8月中旬に入ると、新政府は奥羽越列藩同盟の盟主が仙台藩と米沢藩であることを考慮して、同盟の結束を破るため、盟主の米沢藩に降伏勧告をした。素直に降伏すれば、本領安堵を約束するという妥協を示したため、米沢藩はこれを受け入れ、9月3日に降伏した。

 さらに米沢藩は、同じ同盟の盟主となっていた仙台藩にも降伏を勧め、これに同調して伊達家存続を条件に新政府に降伏した。この時、仙台藩に滞在していた旧幕府軍の榎本武揚と土方歳三は反対して、最後まで徹底抗戦を主張したが、受け入れられず、9月15日に仙台藩が降伏すると旧幕府軍は蝦夷地を目指して海路、敗走した。

 この後、会津戦争は過熱し、凄惨な攻防戦の末に9月22日、ついに会津藩は降伏した。会津藩と同盟を結んでいた庄内藩も続いて26日に降伏し、最後に残った南部藩が10月11日に降伏して、同盟諸藩は全て新政府軍の軍門に降ったのである。

 こうして、奥羽越列藩同盟は長岡藩、二本松藩、会津藩ら諸藩の激しい抵抗を見せたものの、次々と同盟の外壁が崩れ、ついには盟主である仙台・米沢両藩の降伏によって、完全に崩壊したのであった。この激戦は、回避する余地を多分に残しながらも、新政府側の強硬な姿勢が奥羽諸藩を刺激し、仕舞いには、その立場を追い込む形となって、ついに奥羽越列藩同盟の結束という結果を生んでしまった。

 その意味で、新政府は奥羽越地方の処置に失政したことになるが、この争乱によって、東北・北陸地方の時代に乗り遅れた諸藩が、戦闘を経ることで一気に目覚め、進歩的な躍動を見せたことは、歴史を遠大な見方で眺めて見ると有益な部分があったといえるだろう。
 その証拠にこの激戦で骨のあるところを見せた東北諸藩の逸材たちは、新政府の役人として大いに登用され、近代日本の開拓が大いに増進された結果から見てもわかる。

 ある意味で戦闘経験を経ることで、平和ボケした人材が啓発することとなり、新時代の活発な覇気をよみがえらせてくれたことは、日本にとって大きな有益となったのである。

下記参照
http://jpco.sakura.ne.jp/shishitati1/kou-moku-tougou1/kou-moku32/kou-moku32a0.htm
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