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1221年(承久3年6月15日) - 承久の乱が終結。北条泰時・時房の鎌倉幕府軍が後鳥羽上皇方を破って京都を占領して常駐し、後の六波羅探題となる。

今日は何の日 7月6日 1221年(承久3年6月15日) - 承久の乱が終結。北条泰時・時房の鎌倉幕府軍が後鳥羽上皇方を破って京都を占領して常駐し、後の六波羅探題となる。

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承久の乱(じょうきゅうのらん)は、鎌倉時代の承久3年(1221年)に、後鳥羽上皇が鎌倉幕府に対して討幕の兵を挙げて敗れた兵乱。承久の変、承久合戦ともいう。

武家政権である鎌倉幕府の成立後、京都の公家政権(治天の君)との二頭政治が続いていたが、この乱の結果、幕府が優勢となり、朝廷の権力は制限され、幕府が皇位継承などに影響力を持つようになる。

承久の乱(じょうきゅうのらん)とは、1221年。源氏の血筋が耐え、これをチャンスと見た後鳥羽上皇(ごとばじょうこう)が時の執権、北条義時の追討の声を上げ始まった争いです。

では、承久の乱について、もう少し詳しく見ていきましょう。

 源平の戦いで平氏を滅亡させた源頼朝(みなもとのよりとも)は、その後、鎌倉に幕府を開き(1180年~1192年頃)、自らは征夷大将軍に就任します。
 当時は、後白河法皇が亡くなり、源頼朝と親しい九条兼実(くじょうかねざね)が朝廷の中心であった為、幕府と朝廷の関係は良好でありました。

 しかし、なんと征夷大将軍の任命からわずか7年。1199年に源頼朝が馬から落ち怪我をしたのが災いし、亡くなってしまいます。

 その後を継いだのは、息子の源頼家(みなもとのよりいえ)でしたが、この18歳の青年が実に評判が悪い!有力御家人達の権力争いを背景とした政変もあり結局、失脚してしまい、1204年には叔父の北条時政により暗殺されてしまいます。

後を継いだのは12歳の源実朝(みなもとのさねとも)でしたが、1219年に頼家の子である公暁(くぎょう)によって暗殺。さらにその公暁も殺害されてしまい、ついに源氏の正当な血筋が途絶えてしまいます。

 さぁ、幕府がえらいことになっている間、朝廷では何があったかというと・・・。

 後鳥羽上皇(ごとばじょうこう)が朝廷の権力を復活させようと必死であります。新しい親衛隊「西面武士(さいめんぶし)」を設置し力を朝廷側にもつけたり、幕府寄りであった九条兼実らの権力を奪ったり・・・。

 そんな時に幕府はいざこざで源氏の正統が途絶えたわけです。

 時の将軍は、まだ幼いお飾り将軍-九条兼実の子、九条良経(くじょうよしつね)。実質、権力を握っているのは、執権という役職の北条義時。

 「よーし。北条義時を抑えて、朝廷の力を復活させるぞ!」

 と、後鳥羽上皇は、このチャンスを逃しませんでした。これが、承久の乱の始まりです。

 驚いたのは幕府側です。いきなり、朝廷の敵とされ動揺が隠せません。

 「やばいよ。朝廷の敵だってよ。俺、逃げようかな?お前は・・・?」「あっ、俺は上皇側につこうと思って・・・。」

 その時、登場するのが源頼朝の妻である北条政子です。彼女は、戸惑う御家人たちに・・・。」

「みなさん,心を一つにして聞いてください.これは私の最後の言葉です.

頼朝様が朝敵(木曽義仲や平氏のこと)をほろぼし関東に武士の政権を創ってから後,あなた方の官位は上がり収入もずいぶん増えました.

平家に仕えていた時には裸足で京まで行っていたあなたたちでしたが,京都へ行って無理に働かされることもなく,幸福な生活をおくれるようになりました.それもこれもすべては頼朝様のお陰です.そしてその恩は山よりも高く海よりも深いのです.

しかし,今その恩を忘れて天皇や上皇をだまし,私達を滅ぼそうとしている者があらわれました.名を惜しむ者は藤原秀康(ふじわらひでやす)・三浦胤義(みうらたねよし)(二人とも朝廷側についた有力武士)らを討ち取り,三代将軍の恩に報(むく)いてほしい.もしこの中に朝廷側につこうと言う者がいるのなら,まずこの私を殺し,鎌倉中を焼きつくしてから京都へ行きなさい」

これは吾妻鏡(あずまかがみ)や承久記(じょうきゅうき)に書かれている北条政子(ほうじょうまさこ=頼朝の奥さん)の言葉です.鎌倉の御所に集まったご家人(将軍と主従関係をむすんだ武士)たちはこの言葉を聞いて涙を流し,京都へのぼり朝廷の軍と戦う決意をしました.

政子は反乱の首謀者(しゅぼうしゃ=中心になって企てた人)が天皇をあやつっている後鳥羽上皇(ごとばじょうこう)であることを知っていましたが,その名を出すことは決してなく,あくまでも上皇の誘いに乗った藤原秀康・三浦胤義を撃ち破れといっています.

その彼女の演説からわずか一月後に京都は20万の鎌倉方軍勢によって完全に制圧されてしまいました.この出来ごとを「承久の乱」とか「承久の変」といいます。

六波羅探題が朝廷の動きを監視しました

朝廷では討幕派に捕らえられていた西園寺公経が復帰し,新しく後鳥羽上皇の兄である行助法親王(ぎょうじょほうしんのう)の子を天皇(後堀河天皇)とし,父である行助法親王は天皇になったことはないのに「後高倉院」として異例の院政を行いました.

以後は西園寺公経を中心とした幕府よりの朝廷になっていきました.さらに,幕府軍の総指揮官だった北条泰時と「おじ」の時房は京都にとどまり,朝廷を監視したり近畿地方のご家人の統括をするための六波羅探題(ろくはらたんだい)を作りました.

以後,六波羅探題は幕府の出先機関として,朝廷と近畿地方の幕府に対する反逆を抑える,重要な役割を果たしました.(幕府の組織図はこちら)

新補地頭が配置されました.

乱の後,幕府から近畿地方の国々に調査のための役人が派遣(はけん)されました.彼等は上皇方についた武士を徹底的に調べました.その上で彼等の領地をすべて没収したのです.その数は3千ケ所と言われています.

これによって,これまで幕府側が手を出せなかった西国の荘園にも新たに地頭を配することができたのです.地頭の多くは東国から派遣された武士です.こうした地頭のことを学問上「新補地頭」(しんぽじとう)とよびます.この後,彼等の多くはじわじわと荘園を侵略し,やがて荘園の半分を自分達のものにしていきました.


上皇が鎌倉を討てという命令を出したと知った5月19日の二日後,一足先にわずか18騎の手勢を従え進発した東海道軍の総大将北条泰時は途中で引き返し,父の義時に天皇自らが出陣してきた時はどうすればよいかと尋(たず)ねました.

そのとき義時は「よくぞ尋ねた,その時は弓を折って降参しろ.そうでなければ千人が一人になっても戦え」と言いました.

ところが泰時が執権の時に(承久の乱以後)新しい天皇が即位するにあたって,部下の安達義景(あだちよしかげ)が「もし後鳥羽上皇とともに戦った順徳天皇の皇子が即位してしまったらどうしましょうか」と尋ねたとき,泰時は「よく気がついた,何も考えることはない,その時は皇位から降ろしたまわれ」と言ったそうです.

どちらも似たような話ですが乱の前とあととでは大きな差があります.これは幕府の力が強まったことを如実(にょじつ=はっきりと)にあらわすエピソードです.以後,幕府(北条氏)は朝廷をうまく利用しながら政治を行っていきました.そしてそれは,その後の武士政権の基本的なスタイルになりました.

東国の武士は長い間,祖先が拓(ひら)き自らが体をはって守り抜いてきた大切な領地を,国司をはじめ強力な豪族からまもるために,やむをえず縁もゆかりもない京都の権門勢家(けんもんせいか=貴族や大寺社などの有力者)に寄進してきました.

言い換(か)えれば,東国の武士たちは200年の長きにわたって京都に搾取(さくしゅ=うばわれること)され続けていた存在と言えるでしょう.日本に,もし革命と呼ばれるようなものがあったとしたら,それはまさに頼朝の旗揚げとこの承久の乱といっても過言ではないでしょう.

源平争乱の後,義経がかってに朝廷から官位をもらったということで頼朝は激怒します.

それは常に京都の公家や寺社にへつらい,朝廷に支配され続けていた武士が,長い間の束縛(そくばく)から解放され「武士の,武士による,武士のための政治」を目指している頼朝や,頼朝を担(かつ)ぎ上げた東国の武士たちの思いを踏(ふ)みにじるものであったからです.

頼朝の旗揚げは平家打倒という看板をあげながらも実は「武士の事は武士がおこなう」という「東国武士による京都からの自治権の獲得運動(かくとくうんどう)」でした.

それにくらべて今回の承久の乱はあきらかに朝廷に対する反抗で,頼朝や彼等の父が築き上げた武士の政権,武士の利益を守り抜く戦いであったのです.上皇の誘いに乗らず鎌倉方が一致団結できたのはまさにその点にあります.承久の乱は,いわば京都に支配されていた東国の独立運動と言ってもよいのです.

頼朝が武士政権のレールを曵(し)いたとすれば,承久の乱はいよいよレールの上を列車が動き始めた状態です.このときはすでに源氏は絶えて幕府は北条氏を中心とするご家人の集団指導体制へと移行していました.
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■憲法改正の早期実現を求める国会議員署名について

賛同国会議員441名(10月18日現在)

■憲法改正の早期実現を求める意見書採択について

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