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1905年(明治38年) - 日露戦争中、アメリカ合衆国ポーツマスで日露間の講和会議が始まる。

今日は何の日 8月10日 1905年(明治38年) - 日露戦争中、アメリカ合衆国ポーツマスで日露間の講和会議が始まる。
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 1904年2月に日露戦争が始まると、日本の同盟国イギリスと、ロシアの同盟国フランスは、微妙な立場に立つこととなった。

 日英同盟では、「一方の国が第三国と交戦した場合、もう一方の国は中立を守る。そして、他国が敵国に加担した場合は、日英が共同して戦う。」こととなっていた。

したがって、フランスが日露戦争に参戦した場合、イギリスはフランス・ロシアと戦わなければならないのであるが、イギリスはヨーロッパで開戦する意思はなかった。

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そのため、フランスとの交渉を続け、1904年4月8日に「植民地問題に関する協定条約」の調印を行った。

これは、イギリスとフランスとの植民地問題に終止符を打つものであるが、実質的には両国の友好関係を樹立するものであった。

フランスにとっては、ロシアが東アジアへ大きな努力をそそぐことによりドイツに対する露仏同盟の威力が減ずるため、イギリスとの接近が有効であると考えられた。

 このイギリスとフランスの接近によって、日露戦争がヨーロッパへ拡大することはなくなった。

 日本とロシアの会戦は、日本軍が1905年1月に旅順要塞を落とし、1905年3月に奉天(ほうてん。現在の瀋陽)を奪還した後、戦線は膠着状態となった。

ロシア軍はバルチィック艦隊の応援を待ってハルビンでの決戦を計画するが、バルチィック艦隊は1905年5月の日本海海戦で大敗を喫する。

 一方、ロシアの国内では戦争による生活難の増大や日露戦争でのうち続く敗北を契機に、1905年1月22日に民衆の示威行為が行われたが、3000人以上の死傷者を出して弾圧され「血の日曜日」事件と呼ばれた。

その後もストライキが頻発し、10月30日に皇帝が国会の開設を約束するまで政情不安が続いた(第一次ロシア革命)。

 フランスは、奉天会戦の後、日本に対して「領土の割譲と賠償金なし」を条件としてロシアとの講和を斡旋するとの申し入れを行ったが、日本政府はこれを拒否した。

1905年3月、日本軍はロシア軍を破って奉天(現在の瀋陽)を占領したものの、戦闘能力はすでに限界を超え、武器・弾薬の調達の目途も立たなくなっていた。

一方のロシアでは同年1月の血の日曜日事件などにみられる国内情勢の混乱とロシア第一革命の広がり、さらにロシア軍のあいつぐ敗北とそれにともなう弱体化、日本の強大化に対する列強の怖れなどもあって、日露講和を求める国際世論が強まっていた[1]。

1905年5月27日から28日にかけての日本海海戦での完全勝利は、日本にとって講和への絶好の機会となった。

5月31日、小村寿太郎外務大臣は、高平小五郎駐米公使[注釈 1]にあてて訓電を発し、中立国アメリカのセオドア・ルーズベルト大統領に「直接かつ全然一己の発意により」日露両国間の講和を斡旋するよう求め、命を受けた高平は翌日「中立の友誼的斡旋」を大統領に申し入れた。

ルーズベルト大統領は日露開戦の当初から、アメリカは日本を支持するとロシアに警告し、「日本はアメリカのために戦っている」と公言しており、

また全米ユダヤ人協会会長で銀行家のヤコブ・シフと鉄道王のエドワード・ハリマンが先頭に立って日本の国債を買い支えるなど、アメリカは満洲、蒙古、シベリア、沿海州、朝鮮への権益介入のために日本を支援していた。

米大統領の仲介を得た高平は、小村外相に対し、ポーツマスは合衆国政府の直轄地で近郊にポーツマス海軍造船所があり、宿舎となるホテルもあって、日露両国の全権委員は互いに離れて起居できることを伝えている。

パリ(ロシア案)、芝罘またはワシントンD.C.(日本の当初案)、ハーグ(米英案)を押さえての開催地決定であった。

ポーツマスは、ニューヨークの北方約400キロメートル地点に立地し、軍港であると同時に別荘の建ち並ぶ閑静な避暑地でもあり、警備がきわめて容易なことから公式会場に選定されたのである。

また、米国内の開催には、セオドア・ルーズベルトの「日本にとって予の努力が最も利益になるというのなら、いかなる時にでもその労を執る」(外交文書)という発言に象徴される親日的な性格に加え、

講和の調停工作を利用し、米国をして国際社会の主役たらしめ、従来ロシアの強い影響下にあった東アジアにおいて、日・米もふくんだ勢力均衡の実現をはかるという思惑があった。

中国の門戸開放を願うアメリカとしては、日本とロシアのいずれかが圧倒的な勝利を収めて満州を独占することは避けなければならなかったのであり、

このアメリカの立場と、国内の革命運動抑圧のため戦争終結を望むロシア、戦力の限界点を超えて勝利を確実にしたい日本のそれぞれの希望が一致したのである。

ドイツ・フランス両国からも、「ロシアの内訌がフランス革命の時のように隣国に容易ならざる影響を及ぼす虞がある」(外交文書)として講和が打診されていた。

ルーズベルトの仲介はこれを踏まえたものであったが、その背景には、米国がその長期戦略において、従来「モンロー主義」と称されてきた伝統的な孤立主義からの脱却を図ろうとする思潮の変化があった。

 日本海海戦の後、日本政府は、アメリカの大統領セオドア・ルーズベルトに対して、「大統領の発意によって、日露両国の直接会談を勧めてくれるよう」に正式に依頼し、

アメリカの軍港ポーツマスでの講和会議が実現する運びとなった。本会議は1905年8月10日からはじまり、1905年9月5日に講和条約が調印された。

 その内容は、
・韓国における日本の特殊地位の承認
・関東州(旅順・大連など)の租借権と長春以南の南満州鉄道の日本への譲渡
・樺太(サハリン)南半の日本への割譲
であり、賠償金の支払いはなかった。


【日比谷焼打事件】
 日本が賠償金と北樺太の割譲要求などを放棄して条約を締結したため、日本の新聞各紙が条約締結に反対し、国民の不満も高まった。
 9月3日に大阪市公会堂をはじめとする全国各地で集会が開かれた。
 9月5日には、警察の禁止を押し切って東京の日比谷公園で国民集会が開かれ、その後、首相官邸・政府系の国民新聞社・米国公使館・キリスト教会などに押しかけ、市街地に繰り出して投石・乱闘・破壊を繰り返した。内務大臣官邸(政府高官の邸宅?)・交番・電車などを焼き払った。
 政府は翌9月6日に戒厳令を発した。戒厳令廃止は11月29日。
 この騒動による死者は17名、負傷者500名以上、検挙者2000名以上(うち有罪87名)。
 なお、神戸(9月7日)、横浜(9月12日)でも暴動が起こった。
LINK 日比谷焼打事件 - Wikipedia


【ハリマン事件】
 10月12日、首相の桂太郎とアメリカの鉄道王エドワード・ハリマンが会談し、南満州鉄道の経営に関する覚書に合意した。南満州鉄道を日米で共同経営する構想で、元老の井上馨や財界の渋沢栄一も賛成していた。
 しかし、日露講和会議から戻った小村寿太郎はこれに猛反発し、この覚書は破棄された。
 これを機に日米の対立が深まっていった、とみる説がある。
LINK ヘブライの館2 THE HEXAGON ≫ WAR研究室 ≫ 大東亜戦争の舞台裏 ≫ 「日露戦争」と「日米対立」と「日中戦争」の舞台裏 の「■■第4章:「日露戦争」でユダヤ資本から「恩」を受けながら、満州の共同経営の約束を破った日本 ~ 「ハリマン事件」の実態」の項 ~必見。日露戦争とユダヤの金融資本の観点から日米関係を見ています。


【ノーベル平和賞】
 セオドア・ルーズベルト米大統領は、この条約を仲介した功績が評価されて、1906年にノーベル平和賞を受賞した。



【日露戦争後の国際情勢】
 東アジアへの進出を押さえられたロシアは、その後、バルカン方面への進出に転じ、ドイツ・オーストリア(注:これまで「オーストラリア」と誤記していました。訂正します(2013年5月25日)。)と対立する。
 賠償金を得ることのできなかった日本は、フランスを中心とするヨーロッパの金融市場で公債を発行して資金を調達し、南満州鉄道をはじめとする大陸での経営を進めた。

 ヨーロッパでは、イギリスと協商関係にはいったフランスは露仏同盟と英仏協商を結びつけるためイギリスとロシアの接近を働きかける。

イギリスも、日露戦争に敗れ国内に混乱を生じているロシアの脅威は薄れ、むしろドイツへ対抗するためロシアと結ぶことを有利と考えるようになったが、そのためには同盟を結んでいる日本がロシアと融和を図ることが必要であった。

このような情勢のなかで、1907年6月に日仏協商が成立、同年7月に日露協商が成立、同年8月に英露協商が成立と、立て続けに成立し、イギリス・フランス・ロシア・日本の4か国が、強く結びついていった。
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■憲法改正の早期実現を求める国会議員署名について

賛同国会議員441名(10月18日現在)

■憲法改正の早期実現を求める意見書採択について

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■【神奈川県】横浜市、川崎市、横須賀市、藤沢市、茅ケ崎市、逗子市、大和市、海老名市、座間市、秦野市、伊勢原市、小田原市、厚木市、愛川町、寒川町、箱根町【東京都】荒川区、小笠原村、日野市、中野区、府中市、町田市、調布市【千葉県】酒々井町【茨城県】常総市【京都府】綾部市【石川県】羽昨市、七尾市、内灘町【富山県】舟橋村、立山町、入善町、滑川市、富山市【大阪府】大阪市、和泉市【奈良県】田原本町【愛媛県】松山市、今治市、四国中央市【福岡県】福岡市、北九州市、川崎町、遠賀町、大川市、篠栗町、芦屋町、行橋市、春日市、糸島市、大木町、柳川市、【佐賀県】鳥栖市、佐賀市【長崎県】佐世保市、大村市、対馬市【熊本県】合志市、多良木町、菊陽町で可決


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     全国の良識ある地方議員が我々の趣旨に賛同され、あまたの先人が築いてこられた、この祖国日本を再建するため、我々は、下記の基本方針を掲げて献身することを誓うものである。

        (平成十九年十月六日)

    〈基本方針〉
      
    1、皇室を尊び、伝統文化を尊重し「誇りある日本」の国づくりをめざす。

    2、わが国の国柄に基づいた「新憲法」「新教育基本法」を提唱し、この制定をめざす。

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…………………………………………………………………………

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…………………………………………………………………………

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