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禁門の変で散る久坂玄瑞

今日は何の日 8月20日 1864年(元治元年7月19日) - 禁門の変が起こる。

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久坂玄瑞(くさかげんずい)は、長門国(山口県)萩藩の藩医・久坂良迪(りょうてき)の三男として生まれました。

幼い頃から藩校の明倫館や医学所の好生館に通い、医学書や洋書などを読みふける勤勉な少年でしたが、14歳の時に母が亡くなったのに始まり、翌年には長兄を、さらに、続いて父までが亡くなってしまいます。

2番目の兄はすでに早世していて、事実上次男として育っていた玄瑞・・・わずか15歳にして家族全員を失い、藩医・久坂家を継いで医者となるべく、頭を坊主にして幼名の秀三郎から玄瑞に名を変えたのです。

すでにこの頃、優秀な人材としての評価を得ていた玄瑞は、寄宿舎の費用を藩が出してくれるという特待生制度を利用して、17歳で好生館の寮生となり、さらに勉強を続けます。

その後まもなくの安政三年(1856年)、九州への遊学を勧められて向かった先で、熊本の勤王の志士・宮部鼎蔵(ていぞう)から吉田松陰(しょういん)の存在を教えられ、帰国後、ただちに松下村塾(しょうかそんじゅく)に入ります。

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そしてご存じのように、この松下村塾では、あの高杉晋作とともに「村塾の双璧」と称されたり、この二人に吉田稔麿(としまろ)を加えて「松陰門下の三秀」と呼ばれたり、

さらに、そこに入江九一(くいち)を加えて「松門の四天王」と・・・とにかく、塾内では常にトップの成績を修めていたとか・・・

ともに学んだあの山県有朋(やまがたありとも)が晩年に語った話・・・ある時、有朋の前で、松陰先生が何やら絵を描き始めた・・・

最初に鼻輪を通さない離れ牛の絵を描き、続いて裃を着けた坊主頭の人物・・・その次に木刀を書いて、最後に棒を描いた。

「先生、それは何ですか?」
と有朋が訪ねると

「牛は高杉・・・これは、制御不能で暴れまくる。

裃を着けてるのは久坂・・・廟堂に座らせとくと堂々たる政治家になる。

木刀は入江・・・アイツは偉いけど、まだ本物やない、木刀や。

ほんで、最後の棒はお前( ̄▽ ̄)」
と・・・

晩年の有朋は「ずいぶんと差をつけられたもんや」と笑って話していたと言いますが、やはり松陰にとって、玄瑞は最も期待を寄せる生徒だったのでしょう、まもなく、自らの妹・文(ふみ・あや)を玄瑞に嫁がせています。

しかし、そんな時間もつかの間・・・江戸に遊学しつつ、度々京都にも足を延ばして尊王攘夷派の志士たちと交友していた玄瑞のもとに、安政六年(1859年)、松陰刑死のニュースが・・・

この幕府の処分に激怒した玄瑞は、それまで愛読していた洋書を投げ捨てて、松陰先生の遺志を継ぐ事を決意・・・尊王攘夷運動に身を投じていく事になります。

やがて、長州藩の姿勢が、徐々に朝廷寄りとなる中で、尊王攘夷派の志士として重用されるようになっていく玄瑞・・・文久元年(1861年)に、第14代将軍・徳川家茂(いえもち)と孝明天皇の妹・和宮(かずのみや)の婚姻が成り、翌年の将軍上洛が決まると、朝廷には新しい体制が整えられはじめます。

なんせ、この徳川約300年の間、朝廷が積極的に国政に参加する事はなかったわけですが、これからは公武合体(朝廷と幕府が協力)となれば、公卿たちにも、それなりの準備が必要なわけで・・・

そんな公卿の学問所である学習院では、若い尊王攘夷派の公卿たちが集まっての国政に関しての議論が多くなった事を受けて、文久二年(1862年)、玄瑞は藩主の命を受けて、学習院出仕の身分となります。

一介の志士である玄瑞が、学習院御用掛に出仕するという事は、朝廷内部に多くの志士たちと密接な関係がとれる場所ができたという事でもあり、そこで縦横無尽に活躍する玄瑞は、若い公卿たちからも信頼される存在に・・・

こうして公卿からの信頼を得た玄瑞は、同じ長州藩士の桂小五郎とともに、朝廷の尊王攘夷派の三条実美(さねとみ)や姉小路公知(あねがこうじきんとも)らと結託して、岩倉具視(ともみ)ら公武合体派を排除する事にも成功・・・朝廷内を尊王攘夷一色に変えていきます。

その年の暮れには、晋作らとともに英国公使館の焼き討ちにも参加し、翌年の幕府が攘夷決行の期限とした5月10日の外国船砲撃事件にも参戦しました。

しかし、もともと「尊王=天皇のために」だった攘夷運動も、あまりに過激になると、それは天皇のお心にそぐわない物となって来ます。

そんな、天皇の心境の変化を待っていた中川宮朝彦親王(なかがわのみやあさひこしんのう)を中心とする朝廷内の公武合体派が、薩摩藩や会津藩などの力を借りて八月十八日の政変というクーデターを決行・・・長州藩はその最大の標的となり、玄瑞らも京の都を追われる事になりました。

しかし、当然、このまま黙っていられるはずはなく、長州に戻った志士たちの間では、武力を以って京都に進発して長州の無実を訴え、

さらに薩摩&会津を追い払って、勢力を巻き返そうとする「進発論」が盛んに語られるようになりますが、そんな時に起こったのが、あの池田屋事件・・・京都に潜伏中の長州藩士の会合に新撰組が斬り込んだ事件です。

この事件で、かの松下村塾以来の友人である稔麿や鼎蔵を失った玄瑞は、来島又兵衛(きじままたべえ・政久)や真木和泉(まきいずみ)らの諸隊を率いて京都に向かって出兵します。

・・・と言っても、もともと、進発論には小五郎とともに反対していた玄瑞・・・今回の挙兵は、あくまで長州藩の罪の回復を願う「嘆願書」を起草して朝廷に奉上し、長州藩に同情して寛大な措置を要望する多くの藩士や公卿に揺さぶりをかけて、

いずれは天皇の気持ちを動かすという地道な方法を取る事が主たる目的だったわけで、すぐに一戦を交えるつもりではありませんでした。

しかし、7月12日に武装した薩摩藩兵が京都に入って来た事で、その雰囲気はガラリと変わります。

その雰囲気が一触即発となってしまった7月17日・・・男山の石清水八幡宮で開かれた最後の軍議では、血気にはやる過激派たちに対して、

「今回の上洛は、もともと、主君の無実の罪をはらすべく嘆願しに行くって事やってんから、こっちから手出してどうすんねん!

今、戦うって言うても準備もできてへんし、援軍もなかったら数の上では勝ち目ないやろ。
もうちょっとチャンスをうかがってみたらどうやろ?」
と提言する玄瑞でしたが、

「アホか!医者に戦争の事がわかるかい!
怖いねやったら、そこでじっとしとったらええねん!
俺らだけで、悪人を退治したるさかいに!」
てな捨てゼリフを残して、その場を立ち去ったのはヤル気満々の又兵衛・・・

さらに、いつも冷静沈着な参謀役だった最年長の和泉までもが、
「来島くんの言う通りやで」
と・・・

結局、彼らの意見に押し切られる形に・・・

こうして元治元年(1864年)7月19日、長州藩の諸隊は、京都の北西・天龍寺に陣を取る国司信濃(くにししなの・親相)隊、南西の天王山に陣取る益田右衛門介(うえもんのすけ・親施)隊、

南は伏見の長州屋敷に陣取る福原越後(ふくはらえちご・元僴)隊・・・と、この3方向から御所を目指して進撃を開始したのです。

世に言う禁門(蛤御門)の変・・・

2万とも3万とも言われる敵兵に対して、長州はわずかに2000・・・この日、天王山に陣取っていた玄瑞は、開戦からしばらく経って、禁門(蛤御門)に突入した又兵衛の訃報を聞き、そこが総崩れになっている事を知ります。

しかし、玄瑞は、それでも、御所南側の堺町御門へと向かい、越前や薩摩の兵を撃ち破りながら、門を入ってすぐ右手にある鷹司(たかつかさ)邸へと急ぎます。

実は玄瑞・・・まだ、あきらめていなかったのです。

鷹司卿とともに参内し、もう一度、最後の懇願を朝廷に訴えるつもりだったのです。

しかし鷹司卿は、「もはや遅し!」とばかりに玄瑞を振り切ってその場を立ち去り、まもなく、屋敷は炎に包まれます。

そんな中でも、一度は撃って出る玄瑞でしたが、流れ弾に当たり負傷・・・もはや最期の時を悟った彼は、未だそばにいた入江九一らに、長州藩の今後を託して逃走させ、そのまま鷹司邸にて自刃を果たしたのでした。

♪時鳥(ホトトギス) 血に鳴く声は 有明の
  月より他に 知る人ぞなき  ♪

久坂玄瑞・・・まだ25歳の若者でした。

あの松陰先生が、有朋とは雲泥の差をつけて、堂々たる政治家になると太鼓判を押した玄瑞・・・

彼が維新の世に生きていたら、果たして、どんな政治手腕を見せてくれたのやら・・・と残念でなりません。

ご参照ください
http://indoor-mama.cocolog-nifty.com/turedure/2011/07/post-0795.html
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…………………………………………………………………………

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…………………………………………………………………………

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……………………………………………………………………………

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地方議会議場での国旗掲揚について

……………………………………………………………………………

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●外国人参政権に反対する意見書採択について

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………………………………………………………………………………

 

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