昭和12(1937)年 – 第二次国共合作成立。
今日は何の日 9月23日 昭和12(1937)年 – 第二次国共合作成立。

国共合作とは、1924年から1927年と、1937年から1945年の2度に亘り中国国民党と中国共産党の間に結ばれた協力関係のことである。
「合作」は中国語で協力関係を意味する
まず、中国国民党は1919年に、中国共産党は1921年に結成されます。
当時、中華民国の政権をにぎっていたのは北京の軍閥政府で、国民党でも、共産党でもありませんでした。
また、中国各地に軍閥が割拠し、国内はバラバラでした。
孫文は、軍閥を倒し、一つにまとまった中国の建設を目指します。
そんな時に、共産党を指導していたソ連のコミンテルンから持ちかけられたのが国民党と共産党の協力です。
その頃、彼は遠くロシアで起こった革命に関心を持ち、五・四運動で、労働者達の力を認識した事もあり、協力の誘いを受けました。
1924年1月20日、『第一次国共合作』の成立です。
『連ソ・容共・扶助工農(ソ連と組んで、共産党を受け入れ、労働者、農民を助ける)』のスローガンの下に団結した彼らは、ソ連から軍事・経済援助を受け、いよいよ軍閥の掃討に乗り出します。
が・・・
孫文(1925年3月12日)は、行動を起こす前に亡くなります。
しかし、5月30日に中国・上海で日本の工事で働いていた中国人労働者のストに対して「租界警察」が発砲し、学生・労働者に13人の死者と40人余りの負傷者が出た五・三○事件が起き、反帝国主義と、列強に対抗できる統一された強い中国を求める運動が全国へ波及し、国共合作の後押しとなります。
(アヘン戦争の代価に、イギリスが中国から強制的、永久的に土地を得た1842年に誕生した。アヘン戦争によって清国が敗れると、イギリスは江寧(南京)条約で、中国から買い受けた上海の土地で自国の法律を施行し、独自の習慣や文化を享受していた。
これ以降の約百年が租界の時代(老上海、大上海)である。また、アロー戦争の敗北によって、その他の列強も上海に利権を持つようになった。租界では治外法権が認められ、多数の列強の干渉と施政のもとで上海は急速に発展を遂げ、1920年代から1930年代にかけて租界は黄金期を迎えた)
さぁ、今度こそ行動開始です。
孫文の後をついだ蒋介石が広州に国民政府を樹立し、自ら総司令官として軍を率いて、北の軍閥の掃討に向かいます。
北伐です。
軍は二手に別れました。
一つは、広州から、海岸沿いに北上する蒋介石率いる国民党右派。
真っ直ぐ北上するのが、共産党と国民党左派です。
共産党と国民党左派は、武漢を占領し、そこに仮の武漢政府を建てます。
蒋介石も順調に上海、南京に進軍します。
しかし、彼は上海で地元の資本家(浙江財閥)と組んで共産党員を虐殺します。
上海クーデタです。(1927年4月12日、中国国民党右派の蒋介石の指示により、上海で中国共産党を弾圧した事件のことを指す。四・一二事件とも言う)
こうして、各地で共産党狩りが行われ、蒋介石は国共合作をぶち壊します。
彼は、共産主義が嫌いでした。
その後、蒋介石は南京に国民政府をきずき、共産党を追い出した国民党左派と合流すると、国民党単独での北伐を始めます。
結果、日本に殺された親父の後をついだ張学良が降伏し、北京を占領します。
これにより、“一応”中国統一です。
軍閥や共産党はまだ残っています。
その後、1931年日本により、満州事変がおきます。
しかし、蒋介石は、日本より共産党を抹殺する事に専念します。彼にとっては共産党の方が重要でした。
共産党は、1931年に江西省瑞金で『中華ソヴィエト共和国臨時政府』を立ち上げ勢力を拡大します。
しかし、国民党軍に敗れた紅軍(中国共産党)が、その中心地であった瑞金を包囲されると、瑞金を放棄し、1934年から1936年にかけて国民党軍と交戦しながら、たまらなく1万2500km敗走します。
共産党はかっこつけてこれを『長征』と呼びますが、実際は大敗走です。征されているのは共産党です。
なんだかんだで、ボロボロになりながら最後は延安に落ち着きます。
しかし、この間に重要な事がありました。
毛沢東が実権を握り、1935年8月1日、中華ソビエト共和国政府と中国共産党とが連名で、『八・一宣言』を出して、国民党政府に対して抗日統一戦線の結成を呼びかけます。
そして次第に、国民党内部にも日本と戦うべきだという考えが芽生えますが、蒋介石はまだ共産党に固執します。
この状況に、張学良は行動を起こします。
西安にきた蒋介石を拘束・監禁し、抗日民族統一戦線を結成するように説得します。
しかし、蒋介石はまだ受け入れませんでした。
そこで、延安から共産党の周恩来を呼び、話し合ってもらい、遂に蒋介石も妥協します。
そして、1937年、抗日に向けて
第二次国共合作が成立しました。
1937年(昭和12年)7月7日、中国の北平(注:現在 の北京。事件当時は北平と改称していた。)の郊外にある廬溝橋(ろこうきょう)付近で夜間演習を行なっていた日本軍が、
午後10時40分ころ(注:午後11時00分ころとする資料もある。)、実弾射撃を受けた。
そのときに日本兵(初年兵)1人が一時所在不明であったことが事態を大きくしたが、この日本兵は約20分後には隊へ復帰している。
誰がはじめに射撃を行なったかは、いまだに明確になっていない。
次のようないくつかの説があるが、日本軍の謀略であるとする証拠はみあたらないようである。
①中国兵によって何か(日本兵が近付いたなど)をきっかけに偶発的あるいは故意にになされたとみる説。
②中国の内戦で国民党軍との戦いに劣勢であった中国共産党が国民党軍と日本軍とを武力衝突させるために画策したのではないかという説。
③日本軍が仕組んだのではないかとする説。(注:当サイト管理人は、この説については根拠がとぼしいと思います。)
発砲事件自体はそれまでにもあった小さな事件であったが、日本兵1人が所在不明との一報を受けたことと、たびかさなる銃撃を受けたことから、日本軍はしだいに高圧的な姿勢となり、
また、中国軍の抗日意識も高まっていたことから、日本軍と中国軍との本格的な戦闘となった。支那事変(いわゆる「日中戦争」)である。
なお、日本と敵対関係にあったソビエト連邦は共産党中国支部の設立を支援した。またコミンテルンを通じて中国の共産化政策を強力に押し進めた。
1937年8月13日の日中両軍の全面衝突から10日足らずで中ソ不可侵条約を結んで、蒋介石国民政府をも物資だけでなく人も含めた全面的な支援をして、国民政府の反共産化政策を放棄させるのに成功した。
また日本の伸張に危機感を持ったアメリカは、蒋介石の妻の宋美齢によるフランクリン・ルーズベルト大統領への強い働きかけを受けて「義勇軍」という形を取って
1941年から中華民国軍に武器や軍事顧問の派遣などの形で援助を行ったほか、同年12月の日本との開戦後には中国共産党軍にも武器などの軍事支援を行った。

広東からアメリカ海軍の艦船に乗って山東に向う共産軍の部隊

国共合作とは、1924年から1927年と、1937年から1945年の2度に亘り中国国民党と中国共産党の間に結ばれた協力関係のことである。
「合作」は中国語で協力関係を意味する
まず、中国国民党は1919年に、中国共産党は1921年に結成されます。
当時、中華民国の政権をにぎっていたのは北京の軍閥政府で、国民党でも、共産党でもありませんでした。
また、中国各地に軍閥が割拠し、国内はバラバラでした。
孫文は、軍閥を倒し、一つにまとまった中国の建設を目指します。
そんな時に、共産党を指導していたソ連のコミンテルンから持ちかけられたのが国民党と共産党の協力です。
その頃、彼は遠くロシアで起こった革命に関心を持ち、五・四運動で、労働者達の力を認識した事もあり、協力の誘いを受けました。
1924年1月20日、『第一次国共合作』の成立です。
『連ソ・容共・扶助工農(ソ連と組んで、共産党を受け入れ、労働者、農民を助ける)』のスローガンの下に団結した彼らは、ソ連から軍事・経済援助を受け、いよいよ軍閥の掃討に乗り出します。
が・・・
孫文(1925年3月12日)は、行動を起こす前に亡くなります。
しかし、5月30日に中国・上海で日本の工事で働いていた中国人労働者のストに対して「租界警察」が発砲し、学生・労働者に13人の死者と40人余りの負傷者が出た五・三○事件が起き、反帝国主義と、列強に対抗できる統一された強い中国を求める運動が全国へ波及し、国共合作の後押しとなります。
(アヘン戦争の代価に、イギリスが中国から強制的、永久的に土地を得た1842年に誕生した。アヘン戦争によって清国が敗れると、イギリスは江寧(南京)条約で、中国から買い受けた上海の土地で自国の法律を施行し、独自の習慣や文化を享受していた。
これ以降の約百年が租界の時代(老上海、大上海)である。また、アロー戦争の敗北によって、その他の列強も上海に利権を持つようになった。租界では治外法権が認められ、多数の列強の干渉と施政のもとで上海は急速に発展を遂げ、1920年代から1930年代にかけて租界は黄金期を迎えた)
さぁ、今度こそ行動開始です。
孫文の後をついだ蒋介石が広州に国民政府を樹立し、自ら総司令官として軍を率いて、北の軍閥の掃討に向かいます。
北伐です。
軍は二手に別れました。
一つは、広州から、海岸沿いに北上する蒋介石率いる国民党右派。
真っ直ぐ北上するのが、共産党と国民党左派です。
共産党と国民党左派は、武漢を占領し、そこに仮の武漢政府を建てます。
蒋介石も順調に上海、南京に進軍します。
しかし、彼は上海で地元の資本家(浙江財閥)と組んで共産党員を虐殺します。
上海クーデタです。(1927年4月12日、中国国民党右派の蒋介石の指示により、上海で中国共産党を弾圧した事件のことを指す。四・一二事件とも言う)
こうして、各地で共産党狩りが行われ、蒋介石は国共合作をぶち壊します。
彼は、共産主義が嫌いでした。
その後、蒋介石は南京に国民政府をきずき、共産党を追い出した国民党左派と合流すると、国民党単独での北伐を始めます。
結果、日本に殺された親父の後をついだ張学良が降伏し、北京を占領します。
これにより、“一応”中国統一です。
軍閥や共産党はまだ残っています。
その後、1931年日本により、満州事変がおきます。
しかし、蒋介石は、日本より共産党を抹殺する事に専念します。彼にとっては共産党の方が重要でした。
共産党は、1931年に江西省瑞金で『中華ソヴィエト共和国臨時政府』を立ち上げ勢力を拡大します。
しかし、国民党軍に敗れた紅軍(中国共産党)が、その中心地であった瑞金を包囲されると、瑞金を放棄し、1934年から1936年にかけて国民党軍と交戦しながら、たまらなく1万2500km敗走します。
共産党はかっこつけてこれを『長征』と呼びますが、実際は大敗走です。征されているのは共産党です。
なんだかんだで、ボロボロになりながら最後は延安に落ち着きます。
しかし、この間に重要な事がありました。
毛沢東が実権を握り、1935年8月1日、中華ソビエト共和国政府と中国共産党とが連名で、『八・一宣言』を出して、国民党政府に対して抗日統一戦線の結成を呼びかけます。
そして次第に、国民党内部にも日本と戦うべきだという考えが芽生えますが、蒋介石はまだ共産党に固執します。
この状況に、張学良は行動を起こします。
西安にきた蒋介石を拘束・監禁し、抗日民族統一戦線を結成するように説得します。
しかし、蒋介石はまだ受け入れませんでした。
そこで、延安から共産党の周恩来を呼び、話し合ってもらい、遂に蒋介石も妥協します。
そして、1937年、抗日に向けて
第二次国共合作が成立しました。
1937年(昭和12年)7月7日、中国の北平(注:現在 の北京。事件当時は北平と改称していた。)の郊外にある廬溝橋(ろこうきょう)付近で夜間演習を行なっていた日本軍が、
午後10時40分ころ(注:午後11時00分ころとする資料もある。)、実弾射撃を受けた。
そのときに日本兵(初年兵)1人が一時所在不明であったことが事態を大きくしたが、この日本兵は約20分後には隊へ復帰している。
誰がはじめに射撃を行なったかは、いまだに明確になっていない。
次のようないくつかの説があるが、日本軍の謀略であるとする証拠はみあたらないようである。
①中国兵によって何か(日本兵が近付いたなど)をきっかけに偶発的あるいは故意にになされたとみる説。
②中国の内戦で国民党軍との戦いに劣勢であった中国共産党が国民党軍と日本軍とを武力衝突させるために画策したのではないかという説。
③日本軍が仕組んだのではないかとする説。(注:当サイト管理人は、この説については根拠がとぼしいと思います。)
発砲事件自体はそれまでにもあった小さな事件であったが、日本兵1人が所在不明との一報を受けたことと、たびかさなる銃撃を受けたことから、日本軍はしだいに高圧的な姿勢となり、
また、中国軍の抗日意識も高まっていたことから、日本軍と中国軍との本格的な戦闘となった。支那事変(いわゆる「日中戦争」)である。
なお、日本と敵対関係にあったソビエト連邦は共産党中国支部の設立を支援した。またコミンテルンを通じて中国の共産化政策を強力に押し進めた。
1937年8月13日の日中両軍の全面衝突から10日足らずで中ソ不可侵条約を結んで、蒋介石国民政府をも物資だけでなく人も含めた全面的な支援をして、国民政府の反共産化政策を放棄させるのに成功した。
また日本の伸張に危機感を持ったアメリカは、蒋介石の妻の宋美齢によるフランクリン・ルーズベルト大統領への強い働きかけを受けて「義勇軍」という形を取って
1941年から中華民国軍に武器や軍事顧問の派遣などの形で援助を行ったほか、同年12月の日本との開戦後には中国共産党軍にも武器などの軍事支援を行った。

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文化放送「みのもんたのウィークエンドをつかまえろ」でラジオ復帰したみのもんたが親の責任論に言及
■動画
みのもんた 生ラジオ復帰するも謝罪無し!みの節炸裂! 2013-9-21
https://www.youtube.com/wat...
コメント
共産党が撃った。
>そのときに日本兵(初年兵)1人が一時所在不明であったことが事態を大きくしたが、この日本兵は約20分後には隊へ復帰している。
>誰がはじめに射撃を行なったかは、いまだに明確になっていない。
最初に撃ったのは、共産党軍。
日本が反撃を開始したのは、日付変わって7月8日の未明が最初。
盧溝橋付近の日本軍は1937年7月7日の22:30頃から翌7月8日の5:30頃にかけて4回も銃撃されたのだから、近くに居る支那軍に反撃するのは当然だろう。
「盧溝橋事件」は、支那共産党が計画的に行なった事件だ。
支那共産党が仕掛けたという一つの根拠は、「七・七事変」という名称だ。
彼らが日本軍に発砲したのは7月7日だが、日本軍が反撃したのは7月8日だ。
日本軍を犯人に仕立てたければ、支那共産党は「七・八事変」としなければならない。
日本軍が7月7日に盧溝橋で行なっていたのは空砲演習であり、しかも、空砲演習にもかかわらず、異例の事前通告をしていた。
このような状況だったため、同じ頃近くに居た支那軍も日本軍と同じように銃撃を受けたとされるが、「日本軍からの銃撃」とは考えなかったと思われる。
ところが、支那共産党は事件発生後、早くも7月8日に延安から全国へ次の電報を打った。
―――――
「7月7日夜10時、日本は盧溝橋でおいて中国の駐屯軍馮治安部隊に対し攻撃を開始し、(以下略)」
『中国共産党資料集・第8巻』日本国際問題研究所
―――――
日本軍が応戦したのは翌日8日の朝なのに、夜10時と特定されている。
しかも日支両軍の司令部すら事態の真相をつかんでいない時点でこうした電報を打ったことは、最初の一発から共産党のシナリオができていたことを推定させるに十分な証拠だ。
>誰がはじめに射撃を行なったかは、いまだに明確になっていない。
最初に撃ったのは、共産党軍。
日本が反撃を開始したのは、日付変わって7月8日の未明が最初。
盧溝橋付近の日本軍は1937年7月7日の22:30頃から翌7月8日の5:30頃にかけて4回も銃撃されたのだから、近くに居る支那軍に反撃するのは当然だろう。
「盧溝橋事件」は、支那共産党が計画的に行なった事件だ。
支那共産党が仕掛けたという一つの根拠は、「七・七事変」という名称だ。
彼らが日本軍に発砲したのは7月7日だが、日本軍が反撃したのは7月8日だ。
日本軍を犯人に仕立てたければ、支那共産党は「七・八事変」としなければならない。
日本軍が7月7日に盧溝橋で行なっていたのは空砲演習であり、しかも、空砲演習にもかかわらず、異例の事前通告をしていた。
このような状況だったため、同じ頃近くに居た支那軍も日本軍と同じように銃撃を受けたとされるが、「日本軍からの銃撃」とは考えなかったと思われる。
ところが、支那共産党は事件発生後、早くも7月8日に延安から全国へ次の電報を打った。
―――――
「7月7日夜10時、日本は盧溝橋でおいて中国の駐屯軍馮治安部隊に対し攻撃を開始し、(以下略)」
『中国共産党資料集・第8巻』日本国際問題研究所
―――――
日本軍が応戦したのは翌日8日の朝なのに、夜10時と特定されている。
しかも日支両軍の司令部すら事態の真相をつかんでいない時点でこうした電報を打ったことは、最初の一発から共産党のシナリオができていたことを推定させるに十分な証拠だ。
No title
『昭和12(1937)年 – 第二次国共合作成立。』に対する意見
http://prideofjapan.blog10.fc2.com/
>共産党はかっこつけてこれを『長征』と呼びますが、実際は大敗走です。征されているのは共産党です。
自我が確立していないから特定の思想に依存し、常にその立場に立って結論ありきの思考しかできない。そういう人の典型的な文章だな。
キミの目的は中国を攻撃することだ。だから説得力がないわけ。
勝海舟のように、自我が確立している人の言葉には説得力があるよ。
『近代 日本のアジア認識』
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjpt2000/4/0/4_1/_pdf
『勝海舟 「氷川清話」 「日清戦争論と中国観」』 http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/china/katu_hikawa.htm
【清と良好な関係を築いいれば経済成長は可能だった】 https://ewkefc.blog.fc2.com/blog-entry-1113.html
http://prideofjapan.blog10.fc2.com/
>共産党はかっこつけてこれを『長征』と呼びますが、実際は大敗走です。征されているのは共産党です。
自我が確立していないから特定の思想に依存し、常にその立場に立って結論ありきの思考しかできない。そういう人の典型的な文章だな。
キミの目的は中国を攻撃することだ。だから説得力がないわけ。
勝海舟のように、自我が確立している人の言葉には説得力があるよ。
『近代 日本のアジア認識』
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjpt2000/4/0/4_1/_pdf
『勝海舟 「氷川清話」 「日清戦争論と中国観」』 http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/china/katu_hikawa.htm
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プロフィール
- Author:日本会議地方議員連盟
- 日本会議(会長 田久保忠衛・杏林大学名誉教授)は、平成9年5月、各界代表や都道府県代表が参加して設立されました。元気で誇りある国づくりをめざして、超党派の国会議員懇談会(会長 古屋圭司)の皆さんとともに全国で国民運動を推進しています。
このたび、日本会議に所属する全国の地方議員が連携し、地方議会から「誇りある国づくり」を発信するため日本会議地方議員連盟を設立しました。(平成17年3月6日)
議員連盟では、外交、防衛、教育、文化などの国の根幹に関わる基本問題に連携してとりくむネットワーク作りを進め、「憲法・教基法」の改正をめざします。
議員会員(年間1万円)には、会員専用サイトを設け、国会の動き、時局問題に対する見解、全国地方議会の動きなど国民運動情報を提供します。
皆さんどうぞご入会ください。
入会はこちらから
●日本会議地方議員連盟へのご入会の案内
■設立趣意書
戦後わが国は、日本の弱体化を企図した占領政策の桎梏から抜け出せないまま、外交、防衛、教育、文化などの国の根幹にかかわる基本問題について、多くの病弊を抱えたまま今日に至っている。
近年、新教育基本法の制定、国民投票法案の成立、さらには防衛賞昇格など、戦後体制を脱却する動きは注目すべきである。しかしながら、その潮流はまだ大きなものとはなっていない。
この時にあたり、今こそ発言し行動する真正保守の結集が問われている。ここに志しある地方議員は「誇りある国づくり」をめざす日本会議と連携し、地方議会よりその動きを起こし、日本の国柄に基づく新憲法制定へ向け日本会議首都圏地方議員懇談会を設立する。
全国の良識ある地方議員が我々の趣旨に賛同され、あまたの先人が築いてこられた、この祖国日本を再建するため、我々は、下記の基本方針を掲げて献身することを誓うものである。
(平成十九年十月六日)
〈基本方針〉
1、皇室を尊び、伝統文化を尊重し「誇りある日本」の国づくりをめざす。
2、わが国の国柄に基づいた「新憲法」「新教育基本法」を提唱し、この制定をめざす。
3、独立国家の主権と名誉を守る外交と安全保障を実現する。
4、祖国への誇りと愛情をもった青少年の健全育成へ向け、教育改革に取り組む。
私たちはめざします。
全国に3000名議員集団を!
「誇りある国づくり」を掲げ、皇室・憲法・防衛・教育等の課題に取り組みむ日本会議と連携し、地方議会を拠点に、次のような運動を推進します。
①改正された教育基本法に基づき、国旗国歌、日教組、偏向教科書問題など、教育改革に取り組みます。
②青少年の健全育成や、ジェンダーフリー思想から家族の絆を守る運動を推進します。
③議会制度を破壊しかねない自治基本条例への反対など保守の良識を地方行政に働きかけます。
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緊急事態条項を求める意見書
■7府県
2政令指定都市
(令和4年5月4日)
■山口県、愛媛県、山梨県、熊本県、栃木県、神奈川県、大阪府
■川崎市・堺市
通称使用の拡充を求める意見書
■6府県
1政令指定都市
(令和4年5月4日現在)
■熊本県、福島県、栃木県、群馬県、石川県、長野県
■神戸市
憲法改正早期実現国会議員署名
■ 422名 (令和4年5月4日現在)
憲法改正の国会論議を求める意見書採択可決
地方議会にて43都道府県 /112市区町村(令和4年5月4日)
■石川、熊本、愛媛、千葉、香川、富山、兵庫、鹿児島、群馬、栃木、岡山、大分、宮城、山形、高知、佐賀、埼玉、山口、長崎、宮崎、和歌山、岐阜、神奈川、大阪、福井、京都、茨城、東京、徳島、静岡、新潟、秋田、山梨、福岡、滋賀、長野、福島、北海道、島根、鳥取、青森、奈良、広島
【北海道1】恵庭市【東北3】 三沢市、野辺地町(青森県➋) 二本松市(福島県❶)【関東32】 常総市(茨城県➊)/千葉市、酒々井町(千葉県➋)/久喜市、三芳町(埼玉県➋)/荒川区 中野区、目黒区、足立区、日野市、府中市、町田市、調布市、狛江市、小笠原村 (東京都➓)/横浜市 藤沢市 茅ケ崎市 逗子市 大和市 海老名市 座間市 秦野市 伊勢原市 厚木市 横須賀市 愛川町 寒川町 川崎市 平塚市 小田原市 箱根町(神奈川県⑰)【北陸8】舟橋村 立山町 入善町 滑川市 富山市(富山県➎)/羽昨市 七尾市 内灘町(石川県➌)【東海2】坂祝町(岐阜県❶) 飯島町(長野県➊)【近畿7】綾部市、伊根町、与謝野町(京都府➌)/大阪市 和泉市・貝塚市(大阪府➌)/田原本町(奈良県➊)【中国 1】 岩国市(山口県) 【四国 4】 松山市・今治市・四国中央市・東温市(愛媛県❹)【九州 46】 川崎町 遠賀町 大川市 篠栗町 芦屋町 行橋市 春日市 糸島市 大木町 北九州市 柳川市 福岡市 大野城市 大牟田市 久留米市 筑紫野市 那珂川市 八女市 新宮町 須恵町 遠賀町 糸田町 大仁町 嘉摩市 宗像市 豊前市 うきは市 飯塚市 直方市 宇美町 東峰村 香春町(福岡㉜)/鳥栖市・神埼市(佐賀県➋)/佐世保市・大村市・対馬市(長崎県➌)/合志市 多良木町 熊本市 八代市 玉名市 荒尾市 菊地市 天草市 菊陽町(熊本県➒)
辺野古移設賛同 地方議員署名
■現在署名数 1812名(231議会)
私たちのめざす 方針と活動
一、新教育基本法に基づいた教育改革と教科書採択を推進する
一、議場への国旗掲揚を推進し、地方から誇りある国づくりを提唱する
一、議会否定につながる自治基本条例を阻止し、議会活動を活性化する
一、ジェンダー思想を相対化する、家族の絆を守る運動を推進する
一、時局問題への対応を敏速に行う
一、研修会、講演会を開催し、会員相互の見識と親睦を深める
一、全国に3千名の地方議員ネットワークを形成する
…………………………………………………………………………
■【人権救済法案問題】
●人権侵害救済法案に反対する意見書案
※人権侵害救済法案の問題点について
…………………………………………………………………………
■【自治基本条例問題】
●議会否定につながる自治基本条例の阻止を
①自治基本条例の問題点について
②外国人に対する住民投票権の付与について
……………………………………………………………………………
■【議場の国旗掲揚推進】
●地方議会議場での国旗掲揚について
……………………………………………………………………………
■【外国人参政権問題】
●外国人参政権に反対する意見書採択について
①反対決議は362市町村議会(H22年9月1日現在)
②慎重議員署名4071名・535議会(同年9月1日現在)
③慎重首長署名568自治体(7県知事221市区340町村長・同年9月1日現在)
………………………………………………………………………………