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岸信介 ~ 千万人といえども吾往かん

今日は何の日 岸 信介(きし のぶすけ、1896年〈明治29年〉11月13日 - 1987年〈昭和62年〉8月7日)は、日本の政治家、官僚の誕生日

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日本を真の独立国とするための構想に邁進した信念の政治家。

■1.明快な国家ビジョン■

二大政党政治、対等な日米同盟関係、そして憲法改正----こういう明快な国家ビジョンを描いて、その実現に邁進した政治家がいた。岸信介である。

まず、わが国が占領状態を脱して、真の独立国となるためには、米国との対等で健全な同盟関係を築かなくてはならない。

さらに現在の憲法は占領時代に米国が残していったものである。独立国なら、国民は自らの手で憲法を作らねばならない。
そのためにも多数の小政党が林立して政権がめまぐるしく変わったり、極左勢力が跋扈したりでは、安定した政治は望むべくもない。現実的な革新政党と穏健な保守政党が、政権交代をしながら民意を実現していくという形になった時、日本の民主主義が真の成熟を迎えるだろう。

岸信介のビジョンは占領政治から脱却して、独立した民主主義国家を実現するためのロードマップであった。そして現在の我々も紆余曲折しながらも、その行程の途上にあると言える。

■2.死を覚悟したことが三度ある。■

かつて死を覚悟したことが三度ある。最初は東条さんと喧嘩したとき、二回目は戦犯容疑で捕まったとき、三度目は安保改訂の際に首相官邸でデモに取り囲まれた時だ。

最初の「東条さんと喧嘩したとき」とは、昭和18年暮れ、岸が東条英機内閣の国務相兼軍需省次官を務めていた時のことである。岸はサイパンが陥落すると、国内の工場はB29の空襲を受けて、軍需生産は著しく低下するので、戦争を終わりにすべきだと、東条に率直に進言した。

東条は顔を真っ赤にして
「文官に何が分かるか」と怒鳴りつけたが、岸は引き下がらなかった。その後、サイパン陥落後に東条が内閣改造で乗り切ろうとした時、岸は辞表を出すのを拒否して、内閣総辞職に追い込んだ。東条内閣のままでは終戦工作ができないと判断したのである。

二回目の「戦犯容疑で捕まった時」とは、開戦時に東条内閣の商工大臣を務めていたので、米軍に逮捕されて巣鴨に3年3ヶ月拘留されていた時の事である。何度か自決を思いたったが、大東亜戦争は侵略戦争ではなく、連合国に追いつめられた日本の生存のための戦いであった事を明らかにする事が、開戦当初の閣僚であった者の責任と考えた。

結局、米ソ冷戦が始まり、米国が日本を「防共の砦」に育てようという方針に変更した事もあって、岸は不起訴処分となり釈放された。

二度とも、岸の直言居士ぶりがよく出ている。このあたりはいかにも吉田松陰を尊敬する長州男児らしい。三度目を見てみよう。

■3.「これで政権を渡す相手がいなくなった」■

昭和28(1953)年4月の衆院選に初当選し、そのわずか2年半後の昭和30年11月には自由党と民主党を合体させて自由民主党を誕生させ、その初代幹事長に収まった。

理想とする二大政党政治を目指して、右派社会党の指導者・三輪寿壮と「連絡を取り合ってそれぞれの陣営で結集を目指そう」と左右社会党の合同を働きかけた。

社会党の統一は一月早く実現し、ここに自民党と社会党が対峙する「55年体制」が実現した。この体制は平成5年の細川内閣誕生まで38年余も続くが、それを作ったのは、岸と三輪のコンビである。

しかしこの体制は、万年与党の自民党は下野して自己浄化する機会がなく、万年野党の社会党は政権について空想的な政策を反省する機会を持てない、という「出来損ないの二大政党政治」であった。

社会党統一の一年後に三輪が世を去ると、岸は葬儀に自ら買って出て弔辞を読み、「ほんとうに残念だ。これで政権を渡す相手がいなくなった」と嘆いた。

その後、社会党に政権をとるだけの人物が現れなかった事が、岸の二大政党政治の理想を挫折させ、日本の政治に構造的欠陥をもたらした。

■4.「総理であるからには」■

昭和31(1956)年12月、岸は石橋湛山内閣に外相として入閣したが、石橋首相は体調を崩し、2ヶ月後に総辞職を決意。岸が2月25日に後継首相に就任した。

首相官邸入りした岸に、秘書官の安部晋太郎は「専門の経済で勝負した方がいいのじゃないですか」と進言したが、岸はこう答えた。

総理大臣というものはそういうものではない。経済は官僚がやってもできる。なにか問題が生じたら正してやればいいのだ。総理であるからには外交や治安にこそ力をいれねばならんのだ。[1,p207]

明確なビジョンと志を掲げる岸を朝日新聞は「今日の問題」と題するコラムでこう評した。

次期首相に指名された岸信介氏に対して、国民はなんとはなしの気懸かりな感じを持っている。この懸念の中身はというと、それは一種の不安であり、疑惑であり、またなにをするか分からぬといったような不信の念にも通じているようである。[2,p284]

「国民」を「我々左翼勢力は」と置き換えてみれば、彼らが岸の登場をいかに警戒していたかが、よく窺えよう。やがて、その反発は安保騒動として燃え上がることになる。

■5.「アジアの日本」■

「総理になったらアメリカに行く」とは、岸が政権を手にする前から言い続けていた言葉である。そしてその準備として東南アジア歴訪にとりかかった。「岸信介回顧録」にはこう記している。

戦時中色々と迷惑をかけたり、被害を与えたことに対し遺憾の意を表明すると共に、アジアの日本としてこれらの国々の実情を把握し、首脳者と親しく語り合ってその要望を十分に把握した上で米国と話し合いに入ることが適切であると考えたのである。

岸は5月20日に日本を出発し、16日かけてビルマ、インド、パキスタン、セイロン、タイ、台湾の6カ国を廻った。訪米後には、11月18日から南ベトナム、カンボジア、ラオス、マレーシア、シンガポール、インドネシア、オーストラリア、ニュージーランド、フィリピンの9カ国を訪ねた。就任一年以 内に合計15カ国も駆け巡ったことになる。

インドではネール首相が歓迎のために群衆を集めて、「日露戦争で日本が勝ったことで、それまでイギリスにはかなわんと思っていたが、インドの独立に一生を捧げる決心をした」と述べた。[1,p212]

38年後の平成6(1994)年、首相となった村山富市・社会党党首がマレーシアを訪問してマハティール首相に戦争責任問題について謝罪した際に、「日本が50年前に起きたことを謝り続けるのは理解できない。」とたしなめられたが、まさに岸の姿勢とは好対照を成している。

■6.安保改訂■

岸が訪米で目指したのは、日米安全保障条約の改定であった。第一次安保条約は日本が占領状態から脱却するサンフランシスコ講和条約と同時に調印されたもので、米国は軍隊を引き続き日本に駐留させ、「外部からの武力攻撃に対する日本国の安全に寄与するために使用することができる」としていた。あくま で「できる」であって、「しなければならない」ではない。

米国上院は「米国の防衛援助は、自ら防衛努力をしている国に限る」というバンデンバーグ決議をしており、占領下で自衛力をほとんど持たない日本は、この条件を満たしていなかった。

このために当時の米軍は、日本に駐留しながら、日本防衛の義務を持たなかったわけで、まさに占領軍そのままであった。

昭和30年8月、鳩山内閣時代に重光外相が安保改訂をもちかけた時、国務長官のジョン・ダレスは、「日本の今の防衛力では不十分」とはねつけた。同席した岸はこの時に安保改訂を決意したという。

訪米を2日後に控えた昭和32年6月14日、岸は国防会議と閣議を開いて、「国防の基本方針」と第一次防衛力整備3カ年計画を決定した。その上でアメリカを訪れ、正式に安保改訂を持ち出すと、ダラスは一転して前向きの姿勢を示し、「日米で条約検討のための安全保障委員会を設置しよう」と合意した。

「アジアの代表」を自負し、防衛力整備の方針を示す岸の姿勢はきわめて明快であり、米国側も信頼を寄せたのだろう。

■7.俺は死んでもかまわんが■

岸は日本に帰ると、駐日大使と二人だけで数十回も密会して改定案を詰めた。1年3ヶ月に渡る日米交渉は昭和34(1959)年12月に終わり、年明けの1月16日、岸は新安保条約調印のためワシントンに出発した。「騒乱の60(昭和35)年の幕開けだった。

岸の帰国を待って、2月5日から国会審議が始まったが、3月中頃から波状的な反対デモが国会周辺に押し寄せるようになった。5月20日、野党欠席のまま、衆議院は新安保条約の批准を可決した。これで参議院の議決がなくとも1ヶ月後には自然承認で批准が完了することになる。

6月20日前後にアイゼンハワー大統領の訪日が予定されており、その1ヶ月前がぎりぎりのタイムリミットだった。

首相官邸は連日、激しいデモに取り囲まれ、「安保反対」「岸倒せ」の叫び声が渦巻いた。6月15日には、東大全学連の活動家・樺美智子が警官隊との衝突の中で死亡した。そのニュースを聞いた岸は、沈痛な面持ちで一言も発しなかった。

その晩、岸は19日に迫っていたアイゼンハワー大統領訪日の延期を要請することを決心した。デモ隊は訪日に樺美智子の一大葬儀をぶつけ、何万人もの人間を集めるだろう。それが暴動に転化する恐れが十分にあった。秘書に岸はこう語った。

外国の元首が訪日すれば、日本の元首が羽田空港に出迎えなければならない。アイゼンハワー大統領は軍人だからまだいい。しかし、天皇陛下は軍人じゃないんだよ。俺は死んでもかまわんが、陛下にもしものことがあってはいけない。

訪日を要請しておいて、いまさら延期をお願いするとなれば、内閣の統治能力がないということになる。岸はこの時、辞任を決意した。

岸の誤算の原因は、社会党の「変心」だった。社会党は、当初「不平等条約である現行の安保条約は改めるべきだ」と声高に主張していたのだが、いざ岸が安保改訂に取りかかると、途中から「中立要求」「安保反対」「反米」「岸内閣打倒」に切り替えたのである[2,p333]。

後に村山富市党首が首相に推されると再び安保を丸飲みしてしまうのだから、社会党の思想的一貫性とは「常に自分に都合の良い主張をする」という所にあるようだ。

■8.たとえここで命を落とすことになっても仕方ない■

自然承認の瞬間は6月19日の午前0時である。それまでにあと3時間、激しいデモの嵐は今にも首相官邸の玄関を破って突入しそうな気配だった。岸は閣僚達を官邸から退去させた。

岸は安保改訂が実現するなら、たとえここで命を落とすことになっても仕方ないと腹をくくっている。だが、殺されるなら自分一人で十分だと思っていた。

しかし、帰らない閣僚や議員もいた。弟の佐藤栄作もその一人だった。「兄さん一人を置いていくわけにはいかないよ。」と言って、執務室で二人だけでブランディーを舐めながら、自然承認の時間を待った。

11時を廻った頃から、デモ隊の投石が始まり、ドンドンと石が建物にぶつかって、物が壊れる音が聞こえてくる。心配した自民党議員たちが執務室に押しかけてきた。岸を取り囲んで、一人が「岸総理とともに討ち死にだッ」と叫ぶと、全員が「おおっ」と気勢を上げた。

時計が12時を過ぎると、皆立ち上がって、手に手を取り合って握手。岸も久しぶりに笑顔を見せて「おい、みんな、よかったなあ」と握手をした。

6月23日、批准書交換の日に岸は正式に退陣を表明した。

■9.安保改訂がきちんと評価されるには50年はかかる■

後に岸は「安保を強行しなかったら、岸内閣はもっと続いていたかもしれない」という質問に対して、こう答えた。

それはあるかもしれない。だけど(内閣が)長引いたってしょうがないじゃないか。内閣というものは、時間が長いのが偉いんじゃなしに、何をしたかということが問題であってね。

戦後最大の騒乱といわれる安保騒動について、岸はその後、さらにこうも語っている。

安保改訂がきちんと評価されるには50年はかかる。

あのときは俺は一握りの人たちとマスコミだけが騒いでいると思っていた。ああいうふうに騒いでいる連中だって、そのうちきっと安保改訂をありがたいと思う時期がくるよ。

安保騒動から40数年経った平成15年1月の内閣府による世論調査では、日米安全保障条約が日本の平和と安全に役立っていると思う人の割合は73.4%に達した。岸の予言は50年経たずして実現したと言える。

岸信介は明確な構想を抱き、「千万人といえども吾往(ゆ)かん」の気概を持って突き進んだ国家的指導者であった。退陣後の岸は、次なる目標である自主憲法制定に執念を燃やした。

憲法改正、これは今後もやります。やりますけれどもなかなか私の目の黒い間にできるとは思っていない。しかし、この火を絶やしちゃいかんと思うんだ。
(文責:伊勢雅臣)
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■憲法改正の早期実現を求める国会議員署名について

賛同国会議員441名(10月18日現在)

■憲法改正の早期実現を求める意見書採択について

地方議会にて36都府県 /59市区町村

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