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日本軍の乃木希典大将とロシア軍のステッセリ中将が水師営で会見。

1905年 - 日露戦争:日本軍の乃木希典大将とロシア軍のステッセリ中将が水師営で会見。

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日露戦争のさなかの、明治38(1905)年1月5日のことです。時間は午前11時、会見の場所は、旅順から北西に4kmばかり離れた水師営です。

この日、ロシアの旅順要塞が陥落し、乃木大将と敵の将軍ステッセルが会見しました。
会見場所は、水師営にある、付近に一軒だけ残った民家です。

このあたりも、両軍が激しく激突したところで、数あった民家は、激突した両軍の砲弾のために、ことごとく灰になっていました。

一軒だけ民家が残ったのは、日本軍が水師営を占領してから、直ちに野戰病院として使用し、屋根に大きな赤十字旗をひるがえしていたからです。

実はよく見ると、この写真は世界の講和会見の写真では、普通あり得ない画像であることがわかります。

それが何かというと、敵将であり、降伏した側のステッセル将軍(写真中列右から2番目)も、レイス参謀長(写真中列左端)も、ネベルスコーユ参謀(前列左)も、マルチェンコ中尉(後列中央)も、全員が武装し帯刀しているというところです。

これはある意味、たいへん危険なことです。万一、その場で敵将が、たとえば乃木大将の首を刎ねたら、それこそたいへんなことになります。

ですから普通は、こうした会見の場では、負けた側の将校達は、丸腰にさせられます。

ところが日本は、敗れた敵将にも充分に敬意を払い、そして互いにしっかりと握手もしています。そこで、水師営の会見の情況を、順を追ってみてみたいと思います。

旅順要塞攻囲戦は、明治37(1904)年)8月19日〜明治38(1905)年1月1日まで、約4ヶ月半にわたって行われた要塞戦です。

この戦いで、日本は戦死が約1万6千名、ロシア側も約1万人を失いました。

司馬遼太郎は、坂の上の雲の中で、まるで乃木大将が、ただいたずらに将兵の命を失わせたというような辛口の評価をしていますが、世界の要塞戦で、これほどまでに短期間で、かつ将兵の損耗を少なく攻略できたのは、実は、旅順要塞戦をおいて、他にはありません。

たとえば、第一次世界大戦におけるフランスのベルダン要塞戦では、要塞を守るフランス軍と、攻めるドイツ軍が戦っているのですが、この戦いにおける死者は、フランス軍362,000人、ドイツ軍336,000人、合計、698,000人です。

また第二次世界大戦における黒海に面したセヴァストポリでの要塞戦では、ナチスドイツと要塞側がソ連との戦いですが、約10ヶ月にわたるこの戦いで、攻めるドイツが投入した兵力は35万人以上、戦死者はこの戦いだけで10万人以上です。要塞戦というものは、それほどまでに過酷なものなのです。

そしてソ連のスターリンが、「セヴァストポリ要塞を6つ合わせたほどの堅牢な要塞」と評したのが、大連港にある旅順要塞だったのです。

そういう意味からすると、わずか4ヶ月半という短期間に、しかもセパストポリ要塞での戦死者の7分の1程度の兵力の損耗で要塞を陥落できたというのは、いかに乃木将軍率いる日本陸軍が強かったかという証拠にしかなりません。

そしてこの戦いで、乃木将軍は二人の子も失っています。
にもかかわらず、戦いが済めば、敵の戦いぶりを褒め、また敵将ステッセルに対して、ちゃんと名誉を保持させています。
それが日本という国なのだと思います。

そしてこの水師営の会見は、戦前は歌にもなり、また教科書にも掲載されて、日本的精神の常識として誰もが知る物語となっていました。そこで、当時の教科書に沿って、会見当日の様子を見てみたいと思います。

水師営の会見の前日、日本の兵隊さん達は、会見の前日に、壁に殘っていた弾の跡を、新聞紙を張ってきれいにおおいました。また会見用の部屋には、大きな机を用意して、真っ白な布を掛けました。


水師営の会見の場所となった民家


下見に来た乃木将軍は、陣中にふさわしい会見所の様子に微笑みました。けれど壁に張ってある新聞紙に、ふと目を注ぐと、「あの新聞紙を、白く塗っておくように」と指示しました。その新聞紙が、ロシア軍敗北の記事で満たされていたからです。

この会見の4日前の1月1日、ステッセル将軍は、日本陸軍の激しい攻撃に耐えきれず、ついに旅順開城を申出ました。乃木将軍はこの旨を大本営に打電し、翌日、両軍代表が、旅順開城の会見に至っていたのです。

その日の夜のことです。山縣有朋(やまがたありとも)参謀総長から、次の電報がありました。

「敵将ステッセルより開城の申出をなしたるおもむき伏奏(ふくそう)せしところ、陛下には、将官ステッセルが祖国のためにつくした勳功(くんこう)をよみしたまい、武士の名譽を保持せしむることを望ませらる。
右つつしんで伝達す」

そこで1月3日には、乃木将軍は、津野田(つのだ)参謀に命じて、この聖旨を、ステッセル将軍に伝達することにしました。命じられた津野田参謀は、二名の部下を連れてステッセル将軍のところへ行きます。

ステッセル将軍は、副官に言いつけて、軍刀と、帽子と、手袋とを持って来させ、身支度を整えてから不動の姿勢を取りました。津野田参謀が、御沙汰書(ごさたしよ)を読みあげると、副官は、これをロシヤ語に訳して伝達します。

ありがたく拝受したステッセル将軍は、
「日本の天皇陛下より、このやうなもったいないお言葉をいただき、この上もない光栄であります。

どうぞ、乃木大将にお願いして、陛下に厚く御礼を申しあげてください」と述べ、うやうやしく挙手の礼をしました。

乃木将軍が、

 たむかひし かたきも 今日は 大君の惠みの露に うるほひにけり

と詠んだのは、この時のことです。

1月4日には、乃木将軍は、ステッセル将軍に、ブドウ酒や、鷄や、白菜などを送り届けました。長い間篭城(ろうじょう)していたロシアの将兵たちは、この贈り物にたいへん喜びました。

会見の当日は、霜の深い日でしたが、朝からよく晴れていました。11時10分前に、ステッセル将軍が会見所に着きました。白い葦毛(あしげ)の馬に、黒い鞍(くら)を置いて、乗っていました。

その後に、水色の外套(がいとう)を着た将校が4騎続いていました。そして5人は、土塀(どべい)で囲まれた会見所にはいり、片すみに生えていた「なつめの木」に、その馬を繋ぎました。

まもなく、乃木将軍も、数名の幕僚(ばくりょう)とともに到着しました。乃木将軍は、黒の上着に白のズボン、胸には、金鵄勳章(きんしくんしょう)が掛けられていました。

乃木将軍が静かに手をさしのべると、ステッセル将軍は、その手を堅くにぎりました。
思へば、しのぎを削って戦い抜いた両将軍です。

乃木将軍が、
「祖国のために戦ってきましたが、いま、開城にあたって閣下と会見することは、喜びにたえません」と挨拶しました。

ステッセル将軍はこれにこたえ、
「私も、11ヶ月の間旅順を守りましたが、ついに開城することになり、ここに閣下と親しくお会いするのは、まことに喜ばしい次第です」と述べました。

そして一同は机を取り囲んで着席します。

ステッセル将軍が、まず口を開きました。
ス「私のいちばん感じたことは、日本の軍人が實に勇ましいことです。ことに工兵隊が自分の任務を果すまでは、決して持ち場を離れない偉さに、すっかり感心しました」

乃「いや粘り強いのは、ロシヤ兵です。あれほど守り続けた辛抱(しんぼう)強さには、敬服のほかありません」
ス「しかし、日本軍の28センチ砲には、弱りました」
乃「あまりにも旅順の守りが堅いので、あんなものを引っぱり出したのです」
ス「さすがの要塞も、あの砲彈には敵いませんでした。コンドラテンコ少将も、あれで戦死をしたのです」

コンドラテンコ少将は、ロシヤ兵から父のように慕われていた将軍です。
その日もロシヤ皇帝の旨を奉じて、部下の将兵を集めて、激励していた最中のことでした。

ス「それに日本軍の砲撃の仕方が、初めと終りとでは、ずいぶん変わってきましたね。変わったいうよりは、すばらしい進歩を示しました。たぶん、攻城砲兵司令官が代ったのでしょう」

乃「いいえ、代わってはいません。初めから終りまで、同じ司令官でした」
ス「同じ人ですか。短期間にあれほど進むとは、実にえらい。さすがは日本人です」
乃「わが28センチ砲にも驚かれたでしょうが、海の魚雷が、山上から泳いで来るのには、面くらいました」

うちとけた両将軍の話が、次から次へと続きました。
やがてステッセル将軍は、口調を改め、
「承りますと、閣下のお子樣が、二人とも戦死なさったそうですが、おきのどくでなりません。深くお察しいたします」と丁寧にお悔やみを述べました。

「ありがとうございます。長男は南山で、次男は二百三高地で、それぞれ戦死しました。祖国のために働くことができて、私も滿足ですが、あの子どもたちも、さぞ喜んで地下に眠っていることでしょう」と、乃木将軍はおだやかに語りました。

「閣下は、最愛のお子樣を二人とも失われて、平気でいらっしゃる。それどころか、かえって満足しておられる。閣下は、実に立派な方です。私などの遠く及ぶところではありません」

それからステッセル将軍は、次のようなことを申し出ました。
「私は、馬がすきで、旅順に四頭の馬を飼っています。今日、乗ってまいりました馬もその中の一頭で、すぐれたアラビヤ馬です。ついては、今日の記念に、閣下に差し上げたいと思います。お受けくだされば光栄に存じます。」

乃木将軍は答えました。
「閣下の御厚意を感謝いたします。ただ、軍馬も武器の一つですから、私がすぐいただくわけにはいきません。一応、軍で受け取って、その上で、正式の手続きをしてからいただきましょう」

「閣下は、私から物をお受けになるのが、おいやなのでしょうか。それとも、馬がおきらいなのでしょうか」

「いやいや、決してそんなことはありません。私も、馬は大すきです。さきに日清戦争のとき、乗っていた馬が弾でたおれ、たいへんかわいそうに思ったことがあります。今度も、やはり愛馬が弾で戦死しました。閣下から馬をいただけば、いつまでも愛養いたしたいと思います」

「そうですか。よくわかりました」

「ときに、ロシヤ軍の戦死者の墓は、あちこちに散在しているようですが、あれはなるべく一箇所に集めて墓標を立て、わかることなら、将士の氏名や、生まれ故郷も書いておきたいと思いますが、それについて何か御希望はありませんか」

「戦死者のことまで、深いお情をいただきまして、お礼のことばもありません。ただ、先ほども申しましたが、コンドラテンコ少将の墓は、どうか保存していただきたいと思います」

「承知しました」

やがて用意された食事が運ばれました。
戦陣料理の乏しいものではあったけれど、みんなの談笑で食事は賑わったといいます。

そして食後に、会見室から中庭に出て、記念の写真を撮りました。
それが冒頭の写真です。

いよいよお別れとなったとき、ステッセル将軍は愛馬にまたがり、はや足をさせたり、かけ足をさせたりして見せたのですが、中庭がせまいので、思うようには行かなかったようです。

やがて、両将軍は、堅く手を握って、なごりを惜しみながら別れを告げました。


山縣有朋からの電報にもあるように、敗れたとはいえ、将軍には名誉を与えるという姿勢は、単に乃木大将の人柄というだけでなく、陛下の大御心そのものであったことがわかります。

こうした日本人の姿勢は、実はとても古くからのもので、その基礎は大国主命の国譲り神話にも見て取ることができます。

大国主命は、大いなる国の主でありながら、その国を高天原に譲りました。そして譲られた皇室は、大国主に最大の名誉を与えたという物語です。

大国主が祀られているのは出雲大社ですが、出雲大社の本殿は、皇居よりも大きなものです。

戦いに敗れれば、あらゆる名誉を奪われ、恥ずかしめを受ける諸外国の戦争と、たとえ敗れたとはいえ、戦いが終われば最大限の名誉を与えるという姿勢、それが日本の心であるといえようかと思います。

大東亜戦争が終わり、戦艦ミズーリの艦上で降伏文書への調印が行われたとき、重光全権は、天皇の名代として、礼服を着用しました。

これを迎えた連合国側の代表達は、全員が略式の軍装でしかありませんでした。
それは、戦いの中にあってもルールや礼を守り通そうとした日本の武士道が、欧米の力の正義の前に敗れた瞬間でもあったろうかと思います。

けれど、戦争というものは、ただ戦闘に勝つことが勝利するということを意味するものではありません。

戦争は、国家の目的を達成するための究極の手段であるという説に立拠すれば、500年続いた欧米列強の植民地支配を終わらせ、世界から人種差別を駆逐した日本こそ、世界に正義をもたらすという大偉業を達成した国であるといえるからです。

最後にひとつ。

全国どこでも、すこし大きな神社に行きますと、「忠魂碑 希典書」と書かれた大きな石碑が建っています。石碑の後ろにまわると、日露戦争で、その地元で戦没者となられた方々のお名前が、そこにしっかりと刻まれています。

なぜ石碑なのか、なぜそこにお名前が刻まれているのかといえば、立派に戦い死んで行った私達の父祖を、後世の我々が絶対に忘れないためです。

日本は、皇国2700年という長い歴史と伝統を持った世界最古の国です。そのことに思いをいたし、本当の日本を、是非とも取り戻したいと思います。
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私の育った桃山の明治天皇陵の近くに乃木神社があります。桃山小学校と道を挟んで建っています。そんな訳で結構乃木大将のことを身近に感じています。


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