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スバス・チャンドラ・ボースを指導者として自由インド仮政府が発足。

今日は何の日 10月21日 昭和18(1943)年 - スバス・チャンドラ・ボースを指導者として自由インド仮政府が発足。


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スバス・チャンドラ・ボース(1897年1月23日 - 1945年8月18日)は、インドの独立運動家、インド国民会議派議長(1938 ~1939年)、自由インド仮政府国家主席兼インド国民軍最高司令官。民族的出自はベンガル人。ネータージー(指導者)と呼ばれる。

自由インド仮政府樹立(1943年12月)

昭和16(1941)年12月8日、マレー半島に敵前上陸して、快進撃をもってマレー半島を南下した。

  マレー半島上陸

昭和16(1941)年12月8日未明、山下奉文(ともゆき)中将の率いる第25軍は、シンゴラ、コタバルに敵前上陸して、快進撃をもってマレー半島を南下した。

日本軍はイギリス軍を撃破し続け、同半島を縦断、わずか70日で東洋支配の大要塞シンガポールを陥落させ、長い間イギリスが過酷な植民地支配をしていた地域を開放した。

途中、マレー沖開戦では、日本軍の攻撃によりイギリスが誇るプリンス・オブ・ウェールズとレパルスが撃沈された。

進撃があまりに急であったため、いたるところでインド兵が捕虜としてとらえられた。当時F機関と称する、藤原大佐を長とする民間人を交えた一握りの工作機関が、このインド兵捕虜を編成して「インド独立国民軍」を創設した。

難攻不落を誇ったシンガポール攻略戦には、インド国民軍は非常なる勲功をたてた。シンガポールのインド兵を加えて、国民軍は総勢4万5千に膨張した。

ラス・ビバリ・ボースを主席とするインド独立連盟がバンコクに旗揚げするや、国民軍はこの中に移管されたが、

やがてインドの革命児チャンドラ・ボースが出現するに及び、国民軍はあげて彼の指揮下に入るとともに、ビハリ・ボースの独立連盟も彼の手にゆだねられ、1943年7月3日、自由インド仮政府が誕生した。

進撃があまりに急であったため、いたるところでインド兵が捕虜としてとらえられた。当時F機関と称する、藤原大佐を長とする民間人を交えた一握りの工作機関が、このインド兵捕虜を編成して「インド独立国民軍(INA)」を創設した。

難攻不落を誇ったシンガポール攻略戦には、インド国民軍は非常なる勲功をたてた。シンガポールのインド兵を加えて、国民軍は総勢4万5千に膨張した。

ラス・ビバリ・ボースを主席とするインド独立連盟がバンコクに旗揚げするや、国民軍はこの中に移管されたが、

やがてインドの革命児チャンドラ・ボースが出現するに及び、国民軍はあげて彼の指揮下に入るとともに、ビハリ・ボースの独立連盟も彼の手にゆだねられ、、1943年7月3日、自由インド仮政府が誕生した。



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チャンドラ・ボースという偉大なる指導者を得て、インド国民軍は奮い立った。精鋭1万5千に選りすぐり、これを三連隊に分けて徹底的な訓練を施した。



1944年4月、ビルマのポパ山の戦闘において、インド国民軍は初めてイギリス軍と交戦し、これに大打撃を与え、初戦において凱歌をあげた。

やがてインパール作戦となるのであるが、ボース率いるインド国民軍は、お粗末な装備であったが、三連隊雁行して、祖国へ向かった。

合言葉は「インド万歳」「征け、デリーへ」であった。国民軍はこれを口々に唱えて、意気まことに軒昂たるものがあった。

雨期にたたられたインパール作戦は、日本軍の惨憺たる敗北に終わり、終戦がやってきた。
チャンドラ・ボースは、終戦の詔勅が発せられてから三日目、1945年8月18日、台北飛行場で、搭乗機の事故のため死亡。

三連隊長はじめ生き残ったインド国民軍将兵は、ビルマでイギリス軍に捕らえられ、ニューデリーで軍事裁判にかけられた。

  ニューデリー軍事裁判

1944年4月には、インド国民軍は初めてイギリス軍と交戦し、これに大打撃を与え、初戦において凱歌をあげたが、雨期にたたられたインパール作戦は、日本軍の惨憺たる敗北に終わり、終戦がやってきた。

チャンドラ・ボースは、終戦の詔勅が発せられてから三日目、1945年8月18日、台北飛行場で、搭乗機の事故のため死亡した。

三連隊長はじめ生き残ったインド国民軍将兵は、ビルマでイギリス軍に捕らえられ、ことごとくニューデリーに護送された。

イギリスは東京裁判に倣って、インド国民軍将兵約2万人を「宗主国イギリスの女王陛下に対する反逆行為をした犯罪人」として裁こうとした。

しかし、この裁判は逆に、インドの独立を決定的なものにしてしまった。

裁判に反発したインドの民衆は、インド国民軍を「侵略国日本に協力し、イギリスに対する反逆行為をした犯罪人」などではなく、「インド独立の英雄」として迎えた。

彼らは、崇拝するチャンドラ・ボースのもとで、祖国解放のために戦ったことを、この上ない誇りとした。

この裁判において裁かれたのは、イギリスの二百余年間にわたる侵略の歴史であり、数々の暴虐と圧政と搾取と略奪の事実であり、イギリス軍の不条理であり、非人道性であった。

世論はあげて、これを強力に支持したばかりか、インドの民衆は一斉に実力行使に立ちあがった。

日本軍に対するイギリス軍の勝利は、インド民族にとって敗北の日であると受け止められたのだ。裁判を勝ち取るためのストライキや、ボイコットや、デモは、

次第に全国的な盛り上がりを見せ、新聞やラジオは、被告たちの戦場における英雄的行為を報道し、反面、イギリス軍のインド兵に対する偏見や弾圧や残虐な行為をあばきたてた。

焼打ち事件はいたるところで起き、集会とデモは連日連夜、波状的に行われた。そしてついに警察官やインド兵が動揺し始め、流血の惨事はますます拡大した。イギリス軍の軍司令官はデリーやカルカッタに戒厳令をしいた。

イギリスとしては、二百余年間の主権者としての威信を保持し、インドの当時を盤石ならしめるためには、反逆者に対してはこれを徹底的に懲らしめる必要がある。

憎むべき日本と手を結んで仮政府を作り、堂々とイギリス軍に歯向かい、多数のイギリス人を殺戮し、あるいは捕虜としてはずかしめたインド国民軍の指導者を、今後の見せしめのためにも、厳罰主義をもって処断する必要がある。

英印軍の軍法では、上官侮辱、抗命、通謀、利敵、反逆は、文句なしの銃殺刑となっている。

ところが、この全インドに巻き起こったすさまじい民族的抵抗に逢着して、イギリス政府も総督も軍司令官も狼狽した。

慌てふためいた彼らは、ついに軍事裁判の最高責任者をして、反乱罪は取り下げる、たんなる殺人暴行罪として起訴すると声明せしめたが、インド民衆の怒りは、それもなお、治まらなかった。

軍事裁判の判決は、三人の被告に対し、殺人暴行罪として15年の禁固刑のいい渡しを行ったが、それはイギリスのメンツ上の形式で、軍司令官命により、

同日付をもって「執行停止、即日釈放」の宣言を下したのである。まことに政策的とも言うべき珍妙な裁判に終わった。さすがの大英帝国の威信も、厳格を誇った軍法も、燃え上がるナショナリズムの烽火の前には、あえなく屈したのである。

それにしても情けないのは、終戦後の日本国民の事大主義である。

鬼畜米英などと言って野郎自大的になっていた態度もさることながら、ひとたび占領軍が進駐してくるや、占領軍に平身低頭したばかりか、唯々諾々として占領政策に忠誠を誓い、日本の弱体化政策、愚民化政策、骨抜き政策に奉仕し、みずからの手をもって、これを短時日の間に成就した。

その情けない態度、そのさもしい根性を、パール博士の日本無罪論の作者である田中正明氏は指摘している。

国民は騙されたといい、指導者は責任のなすりあいをやり、いわゆる文化人は勝者にこびへつらって、牛を馬に乗り換える。これが当時の風潮であった。

日本の官僚、政治家をはじめ、学者やジャーナリストの多くは、戦時中は軍部に、敗戦後はアメリカに、占領が終わると親ソ反米に傾く。この風潮は今日なお尾を引いて、日本の社会心理を極めて不安定にしている。

広島・長崎に投下された原子爆弾の悲惨極まりない禍害も、日ソ中立条約を一方的に破棄して満州になだれ込んで暴虐の限りを尽くしたソ連軍の侵入も、そもに日本の侵略戦争を終わらせるための正当なる手段で、悪いのは日本の軍閥である。

8月15日の終戦は、「日本の黎明であった」---このような意見が、日本人自身の口から、臆面もなく堂々と放送されたのである。同じ敗戦国のドイツやイタリアでは、とうてい信じられないことであった。

ラダ・ビノード・パール博士は、東京裁判を通して、戦勝者の思い上がった傲慢な態度に痛棒をくらわせると同時に、日本国民よ卑屈になるな、劣等感を捨てよ、世界の指導国民たる自負をもって、平和と正義のために戦ってほしいと訴えている。

われわれはパール博士の権力に対する不服従の精神を通して、二百年間イギリス帝国の統治下にあって、なおかつインドの宗教と文化の伝承を完全と守りぬ抜き、少しもこれを損なわなかったのみか、これによって独立を勝ち取ったインド民族の、その強靭なる土性骨に学ぶべきだろう。




かつて日本はうつくしかった

チャンドラ・ボース




ガンジーは語られるがボースは語られない戦後の言論空間。

S


平成19年(2007年)8月、安倍総理(当時)はインドを訪問し、インド国民軍を率いて日本と一緒に戦ったチャンドラ・ボース(ネタージ)の遺族と会いました。

安倍総理
「英国統治からの独立運動を主導したボース氏の強い意志に、多くの日本人が深く感動している」

ボースの姪にあたるクリシュナ・ボースさん
「日本の人々がボースの活躍を覚えていてくれるなら、私たちインド人も、英国の植民地支配に抵抗するため、ボースがインド国民軍を組織したことを支援したのが日本だったことを思い出すべきだ」

日本のマスコミはほとんど報道しませんでした。

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1919年、全学生中2番の成績でコルカタ大学哲学科を卒業したチャンドラ・ボースはケンブリッジ大学に進学します。翌1920年9月には最難関とされるインド高等文官試験に合格しました。そして彼はインド独立運動に人生を捧げることに決意します。

昭和16年(1941年)、ボースはベルリンに潜入。駐独陸軍武官補佐官の山本敏大佐と大島浩大使はボースと接触し、昭和18年(1943年)2月、ボースはUボートでひそかにフランス大西洋岸ブレストを出港し、インド洋で日本の伊29潜水艦に乗り換え、5月16日に東京に到着します。秘密保持のため「松田」という偽名を使いました。

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ボースは東条英機首相に会見を申し込みましたが、東條首相はなかなか会おうとしませんでした。東條首相は何らかの先入観を持っていたようです。6月に入ってようやく会見しました。

東條首相はボースの熱誠あふれる理知的な論議に完全に魅せられ、二回目の会見のときインド独立への支援を約束しました。そしてボースは「松田」の覆面を取り6月19日、内外の記者にはじめてその姿を現しました。

この頃、インド独立連盟総裁とインド国民軍の指揮権はビハーリー・ボース(中村屋のボース)が持っており、二人のボースの対立が心配されましたが、中村屋のボースはチャンドラ・ボースに指揮権を移譲し、ビハーリー・ボースは名誉総裁への就任することになりました。

インド国民軍は昭和19年(1944年)にインパール作戦で「チェロ・デリー(進めデリーへ)」を合言葉に日本軍とともに戦うことになります。ただ、すんなりとはいかず、ビルマ人はボースの自由インド臨時政府をラングーンに置くことに難色を示しました。

英国はインド人を手先に使ってビルマ人を痛みつけてきたからです。ビルマ国防軍のアウンサンも父をインド人に殺されました。インドのライフル部隊はビルマ人を殺しまくりました。

このインド人とビルマ人の対立は結構根が深く、戦後、ビルマでの日本兵抑留者の周りでも頻繁に対立があり、抗争などがあると「マスター(日本兵のこと)はこっちに味方してくれ」と双方から言われて困ったそうです。

日本の特務機関の光機関は必死にビルマ政府を説得し、ボース自身もビルマ政府首相バー・モーの娘の結婚式に豪華な贈り物をしてビルマ人の反インド感情の懐柔に努めました。

結局、インパール作戦ではビルマ軍はそっぽを向き、インド国民軍の声に同調して寝返ってくるイギリス側のインド軍は期待したほどおらず、アラカン山脈の中で苦戦し、国民軍兵士はくしの歯がこぼれるように脱落していきました。そしてインパール作戦は中止になります。

昭和20年(1945年)8月15日、日本敗戦。ボースはインド独立闘争の継続を期してソ連行きを決断します。8月17日、サイゴンからツーラン(ダナン)を経由して台北の松山飛行場に到着します。

しかし、ボースを乗せた陸軍97式重爆は台北を飛び立った直後に墜落してしまいます。全身火傷を負ったボースは陸軍病院で治療を受けますが、同日午後八時に帰らぬ人となりました。臨終間近の床でボースはこういいました。

「天皇陛下と寺内さん(南方軍司令官)によろしく」

「同志があとで来るから」

ボースの遺骨は東京杉並の連光寺に収められ、現在もあります。ボースの遺骨が祖国に帰っていないのはインド人、特に彼の出身地カルカッタの人々がボースの死を認めなかったからと言われています。



参考文献
PHP「日本はどれほどいい国か」日下公人・高山正之(共著)
オークラ出版「世界に愛された日本」『二人のボースとインド独立の理想』坪内隆彦
「歴史通」2009.7『神のごとく振舞った英国人が青ざめた』高山正之
中公文庫「アーロン収容所」会田雄次(著)
展転社「世界から見た大東亜戦争」名越二荒之助(編)
吉川弘文館「特務機関の謀略 諜報とインパール作戦」山本武利(著)

参考サイト
WikiPedia「スバス・チャンドラ・ボース」

添付写真
マハトマ・ガンディー(左)とボース(右)昭和13年(1938年)(PD)
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チャンドラ・ボース

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  • Author:日本会議地方議員連盟
  •  日本会議(会長 三好達元最高裁長官)は、平成9年5月、各界代表や都道府県代表が参加して設立されました。元気で誇りある国づくりをめざして、超党派の国会議員懇談会(会長 平沼赳夫前経済産業大臣)の皆さんとともに全国で国民運動を推進しています。

     このたび、日本会議に所属する全国の地方議員が連携し、地方議会から「誇りある国づくり」を発信するため日本会議地方議員連盟を設立しました。(平成17年3月6日)

     議員連盟では、外交、防衛、教育、文化などの国の根幹に関わる基本問題に連携してとりくむネットワーク作りを進め、「憲法・教基法」の改正をめざします。

     議員会員(年間1万円)には、会員専用サイトを設け、国会の動き、時局問題に対する見解、全国地方議会の動きなど国民運動情報を提供します。
    皆さんどうぞご入会ください。

    入会はこちらから

     ●日本会議地方議員連盟へのご入会の案内20070112155311.jpg

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     近年、新教育基本法の制定、国民投票法案の成立、さらには防衛賞昇格など、戦後体制を脱却する動きは注目すべきである。しかしながら、その潮流はまだ大きなものとはなっていない。

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    〈基本方針〉
      
    1、皇室を尊び、伝統文化を尊重し「誇りある日本」の国づくりをめざす。

    2、わが国の国柄に基づいた「新憲法」「新教育基本法」を提唱し、この制定をめざす。

    3、独立国家の主権と名誉を守る外交と安全保障を実現する。

    4、祖国への誇りと愛情をもった青少年の健全育成へ向け、教育改革に取り組む。

    私たちはめざします。
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…………………………………………………………………………

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…………………………………………………………………………

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①自治基本条例の問題点について

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……………………………………………………………………………

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……………………………………………………………………………

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●外国人参政権に反対する意見書採択について

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慎重首長署名568自治体(7県知事221市区340町村長・同年9月1日現在)

………………………………………………………………………………

 

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