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ヴァスコ・ダ・ガマが第一次航海で喜望峰に到達。

1497年 - ヴァスコ・ダ・ガマが第一次航海で喜望峰に到達。

1469年頃に生まれたポルトガルの航海者・探検家で、ヨーロッパからアフリカ南岸(喜望峰)を経てインドへ航海する、いわゆる「インド航路」の開拓者として歴史に残る人物です。

このインド航路開拓によってポルトガルは莫大な利益を得ると同時にポルトガル海洋事業の更なる発展の礎を築いたのです。

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ヴァスコ・ダ・ガマ

「インド」といっても単純に現代のインドを想像するのは間違いです。

当時インドと言う場合は現代のアジア全域を指し、東南アジアも含め中国や日本も「インディアスの一部地域」と捉えられていました。
中世欧州の人達にとってアジア地域は神秘の地であると同時に魔界でもあって、伝説上の様々な妖怪や怪物などもアジアにいるものと考えられていました。インディアスに行くという事は当時の人達にしてみれば魔界に迷い込むかもしれない命がけの大冒険でした。

ガマの艦隊は魔界に迷い込むこと無くヨーロッパとアジアの航路を開拓し、大量の香辛料を持って帰還したわけですから、その功績は単に貿易上での発展を促したのみならず、コロンブス同様に本格的な大航海時代の幕開けを告げるに相応しい快挙だったのです。

<コロンブスの成功とポルトガルの焦り>

もともとポルトガルは大航海時代の扉を最初に開いた国であると言っても過言ではありません。

エンリケ航海王子の登場以後常に海洋事業において欧州諸国の先頭を走ってきました。

バーソロミュー・ディアスによるアフリカ最南端「喜望峰」の発見によって、以後の海洋事業にも明るい兆しが見え、順風満帆と思えた、ちょうどそのころ・・・・・

イタリア、ジェノバ出身のクリストファー・コロンブスなる人物が「西廻りによるアジア到達」という絵空事のようなアイデアを持ち込んできました。

しかしポルトガルには大西洋を横断しアジアに到達するなどという航行距離すら正確に解っていない危険な航海に莫大な投資をする必然性はありません。

そのためポルトガルはコロンブスの提案を却下しますが、そのコロンブスはライバルのスペインに同じ提案を持ち込みスペインはこれを採用しました。

結果的にコロンブスは1493年「西廻りでインディアス到達」という途方もない成果を引っ提げてその栄誉をスペインにもたらしたのです。

実際はインディアス到達は間違いで、後にそこはアメリカという新大陸だった事が判明しますが、いずれにしても欧州から見れば未開の地であり、その可能性は無限大であるかのように感じられました。




スペインはコロンブスの成功を武器に海洋における自国の影響力を強化すべく動きますが、それに焦ったポルトガルのジョアン2世は海軍力を駆使しながらスペインと交渉し1494年6月7日トルデシリャス条約の締結に漕ぎつけ、何とかポルトガルの活動範囲を確保しました。




その翌年の1495年10月にジョアン2世は病没し、甥のマヌエル1世が国王に即位します。

マヌエル1世はポルトガルの海洋事業の更なる発展を望み、即位2ヶ月後にはインドへの艦隊派遣案を議会に提出しますが、議会での反応はまちまちでした。

確かに成功した場合の利益は計りしれませんが、外交上のリスクを考えると簡単には賛成できない現実がありました。

インド(アジア全般を指す)に行く事の第一の目的は「香辛料」です。

現在でこそ低価格で手に入る香辛料ですが、当時の欧州では銀と同等の価値があり、一粒単位で取引されるほどの高級品でしたが、それは「希少品」であるがゆえの高価格ではなく、単にイスラム勢力によって法外な利益を乗せられていただけであって、アジアでは現代同様に低価格で大量に手に入るような物だったのです。




船でインドに行くという事は、イスラムが牛耳っている香辛料の市場に参入するという事でもあり、それは場合によってはイスラム勢力との全面戦争も覚悟しなければならないほどの重大な検案事項だったのです。




しかしポルトガル議会はこういった外交リスクを理解したうえで、それでも成功した場合の利益の大きさと天秤にかけインド艦隊の派遣を決定しました。

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その総司令官に任命されたのがヴァスコ・ダ・ガマです。

ガマ、リスボン出向

<なぜにガマが総司令官に?>

先にも紹介したようにポルトガルは当時の欧州では最先端の海洋国家であり、航海技術に長けた人物などゴロゴロいたはずです。

例えば喜望峰を発見したディアスにしてもインドへの航海は自信も意欲も十分だった(喜望峰発見時に実際にインドに向かう気だった)し、他にも著名な航海者はたくさんいます。

そんな中でなぜガマが選ばれたのでしょう?

おそらく、当時著名な航海者たちの多くは冒険心に溢れ行動力のある、いかにも「キャプテン」といったタイプの人物が多かったのだと思いますが、ガマの人物像をみるとそういった冒険家・探検家といった豪快なイメージより「優れた政治家」といった落ち着いた雰囲気を感じさせてくれます。

ポルトガルにとって今回のインド航行の目的の一つに

・東方の支配者たちと友好関係を結ぶこと

がありました。

それによってポルトガル商人の貿易の道しるべを作らねばなりません。

つまり未開の地に上陸した際の折衝能力こそ最も求められる能力であり、冒険や探検といった未知の航海を乗り切る精神力より、現地での実務能力が重視されての人選だったように思います。

<ガマ出航>

1497年7月8日ガマを司令官とするインド派遣船団がリスボンを出航しまし、ヴェルデ(アフリカ北西部の諸島)までは通常の航路を行きました。

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ところがそれ以降は通常の沿岸航行とは全く違う、大西洋を大きく西に迂回するようなルートを行きました。ガマの航海ルート

ヴェルデ岬を出航したのが8月3日でセントヘレナ湾(喜望峰の北約200㎞地点)に到達したのは11月4日なので、実に3ヶ月の間、大西洋を漂った事になり、コロンブスが最初に新大陸に到達した時間より永く海上にいたことになります。

これはガマが大西洋上の未知の島を探していたとも、赤道上の無風地帯を避けたかったのだとも言われていますが真意は判りません。

ポルトガルにとって、と言うより欧州人にとって喜望峰からアフリカ大陸の東海岸を北上する航行は未知の航海です。

ただここで勘違いしてはいけないのはアフリカ東海岸が「欧州人にとって未知」と言うだけであって、けっして未開の地では無かったことです。

紀元前からすでに現代の中東とアフリカでは交易が盛んであり、インド洋を挟んだアジアの文化まで取り入れつつ発展したアフリカの東海岸諸国の都市はハッキリ言ってしまえばイスラムによって閉じ込められていたヨーロッパ諸国より遥かに洗練され成熟した文化が形成されていました。

ガマの艦隊は行く先々でカルチャーショックを受けながらの航海だった事は容易に想像がつきます。

したがってガマがインドまでの航路を開拓するには、時には現地の人達と対話を通して融和の精神で、時には武力を行使して高圧的に抑え込みながら、極めて高度で政治的な外交力が必要だったのです。

そういった意味で、冒険者と言うよりは実務家タイプであるガマの人選は大正解だったと言えます。

ここでひとつ疑問が生じます

そんな高度な文化を有したアフリカ東海岸諸国が、彼らから見れば発展途上国とも言えるポルトガルの思い通りになるものでしょうか?

当然ガマの行く先々で摩擦は生じ、武力で訴えるような事態になる事もありましたが、その時の現地の人達の武器は槍や短刀など、ヨーロッパ人から見れば一時代前のあまりにも貧相なものでした。

大砲や鉄砲を駆使するポルトガル軍艦に勝てるはずがありません。

ヨーロッパは古くからイスラムとの戦いのみならずヨーロッパ同士の争いの中に常時身を置いていた、いわば戦いのプロフェッショナルでした。

逆にアフリカ東海岸の人々に武器の発展は必要なかったのでしょう。

こと「戦い」と言う一点においては圧倒的にガマが優位に立っていたのです。

<インド到達>

ガマの航海は「文化的な都市を巡る優雅な船旅」などではなく、各地で様々な軋轢と衝突を繰り返しながらの命がけの航行でした。

現地の人を人質にとって港に入港する事もあれば、水先案内人として次の港まで無理やり同行させる事も多々ありました。

そのため現地の人々の中にはガマの事をポルトガルの正使などではなく「実は海賊なのではないか?」と疑う人も多かったようです。

敏感なイスラム商人などは「自分たちの権益に食い込んでくるかも」といち早く察し、現地の有力者にガマの一行を襲うよう仕向ける事も少なくありませんでした。

様々な困難を克服しつつガマの艦隊はインドに向かい、1498年5月カレクト国(現在のカリカット)に到達し5月28日にはカレクト国王に謁見を許されました。

カレクト国王との初謁見は極めてスムーズに進み、ガマ一行はカレクト国王から歓待を受けましたが、翌日ちょっとした騒動に巻き込まれます。

それは国王への献上品をカレクト市の役人が検閲したときの事です。

ガマが持参した献上品は帯・帽子・頭巾・珊瑚の玉など身につける物を数点と油・砂糖・蜂蜜をそれぞれ1樽~2樽・鉢が6個というものでした。

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これを見た市の役人は唖然とし、のちに吹き出します。ガマ、カリカット上陸

「貧しい商人でももっとましな物を持ってくるぞ」

騒ぎを聞きつけてイスラム商人も見に来たのですが皆が品々を見て爆笑しました。

当時のカレクトは年間で600隻を超える商船が行き来するインド洋沿岸地域の一大拠点でした。

このような日常品を国王に献上するなど彼らの常識からすればあり得ない事だったのです。

ガマは手を抜いたのでしょうか?

でも前述したようにガマの目的の一つに「東方の支配者たちと友好関係を結ぶこと」がある以上、大都市国家カレクト国王に対する献上品の準備を怠るなど考え辛く、ガマなりに精一杯の贈り物がこの程度だったと考える方が自然です。

つまり、当時の貧しかったヨーロッパと豊かだったインドの差だったのでしょうか・・・・・

手を抜いたのか?精一杯だったのか?真相は判っていません。

この件について翌日にガマは不機嫌な国王に向かってこう言っています

「自分が献上品を持ってこなかったのは今回の訪問は探検が目的である為です、後日ポルトガルからご満足いただける贈り物が来るはずです」

そう弁解すると同時にポルトガル国王の親書を渡し、なんとかカレクト国王の機嫌を直してもらったと言います。

この後もカレクト側とガマの間では大小様々なトラブルが絶えませんでした。

そしていよいよ出発のときガマ艦隊に同行していたディエゴ・ディアス(バーソロミュー・ディアスの弟)が出発の挨拶に行くと、カレクト側が彼を拘束し市内の建物に監禁しました。

激怒したガマは19人のカレクト市民を人質にとり、ポルトガル人の解放を要求します。

カレクト国王は市民の安全が第一であるとしてこの要求に応じて人質を解放すると同時にポルトガル国王に対して

「ヴァスコ・ダ・ガマが当地を訪れた事を喜ばしく思う、今後両国の友好的な交易を望む」とい内容の書簡まで渡しましたが、逆にガマの方が約束を守らず人質の解放をしませんでした。

ガマは彼らを将来ポルトガルがインドに進出する際の使節にする為に本国に連れ帰ることにしたのです。

人質を載せたままガマ艦隊は出航し、帰国の途に就きました。

カレクトとの友好的な関係を築くことは出来ませんでしたがガマのインド航行は大成功で終えました。

夢と可能性を持って帰って来たコロンブスに対し、ガマはヨーロッパでは高価な「香辛料」を船に大量に詰め込み帰国した事で、夢物語ではない現実的な利益をポルトガルにもたらしたのです。

ガマ帰国の後インド航路を利用して多くのポルトガル人が訪れ、様々な交易がはじまります。

ガマはカレクトとの友好関係締結には失敗しました。

しかしインドに数多く存在する都市の中にはカレクトをよく思わない都市国家も多く存在し、中にはコチン王国のように「心ならずもカレクトの属国に・・・」などという国もいくつかありました。

コチンの支配者達はポルトガルと友好を結ぶ事でカレクトからの独立を目指し、積極的に自国領土をポルトガルのインドでの拠点として提供しました。

「敵の敵は味方」という論理がポルトガル有利に働いたのです。

ポルトガルはコチンを拠点として、優秀な司令官をどんどんインドに送り込み1505年にはセイロン島を制圧し1510年にはゴアに総督府を設立。

翌年1511年にはマラッカを占領しポルトガルが世界最大の帝国へと躍進する足掛かりを作りました。


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ガマの像

ガマの航海は大成功と一言で言うには足りないほどの成果をポルトガルにもたらし、ガマ自身も他で例えようも無いほどの栄誉を手にしました。

そんなガマのその後ですが

帰国後この航海の大成功によって「終身インド艦隊総司令官」に任命されました。

ガマは一回目の航海の後も2度インドを訪れます。

ポルトガルの英雄ヴァスコ・ダ・ガマは1524年インドのゴアで病没しました。

下記を参照しました
http://taleofpirates.info/gama.htmlhttp://taleofpirates.info/gama.html
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ラウドネス[LOUDNESS] その4

里美です。

ラウドネス[LOUDNESS] その4

Loudness - Jalometalli Oulu 2014 [Suomi / Finnland / Finland]
[Taestae puuttuu muutamia paetkiae.] = [Aus diesem fehlen manche Stummel.]
https://www.youtube.com/watch?v=34DqbbTYB48

【私がお勤めしている会社の女子社長の旦那様からの説明の要約】
1. 私がお勤めしている会社の女子社長[50歳手前]の旦那様[50歳台前半]のお勧めのLOUDNESSです。
2. LOUDNESSは、天皇陛下と御皇室を深く敬い、日本国の伝統、文化などを深く敬っています。
3. LOUDNESSは、英国、米国、ドイツ、オーストリア、スイス、オランダ、北欧諸国、フィンランド、モンゴル、インドネシア、インドなどをはじめ世界各国において、物凄く有名であり憧れであり尊敬されています。
4. LOUDNESSのメンバーの高崎晃(lg)殿と山下昌良(bg)殿は、世界的演奏者です。
5. LOUDNESSのメンバーであった故樋口宗孝(d)殿は、世界的演奏者でした。
6. LOUDNESSのメンバーの鈴木政行(d)殿は、故樋口宗孝(d)殿の後継者として、物凄く努力しています。
7. LOUDNESSのメンバーのニ井原実(v)殿の名「実Minoru」をセカンドネームとして子供に付ける英国人が多いです。
8. 平成2年10月3日(=1990年10月3日)ドイツ再統一(西ドイツによる東ドイツ吸収併合)以前、旧東ドイツのドイツ人たちは、西ドイツのハンブルクなどの諸都市、スイスのチューリヒ、フィンランドのヘルシンキ、英国のロンドンなどのラジオから聞こえて来るLOUDNESSの様々な曲を聴いて強く勇気付けられていました。
9. LOUDNESSの楽曲の中には、コピー演奏することが音楽技術的に不可能な楽曲が多いです。
10. LOUDNESSのメンバーは、自民党の安倍晋三、高市早苗、稲田朋美、西田昌司、次世代の党の山田宏などの各氏と年齢、出身地、出身大学所在地などが近く、友人知人関係であるかもです。

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アングロサクソンは、帝国日本が東南アジアに植え付けたような優れた現地システムをそのまま使い、優秀な現地人には本国でエリート教育を受けさせて登用した。

領土拡大を東南アジアに限定して国内の日本国民に富の分配を行い、
【満州】への巨額国富横流しを行わなければ
日本の統治システムは上手くいっていた。

身の丈に合った国家観を持ち、【満州】の利権を独り占めしなければ、対米開戦によって悲惨な敗戦や被ばくをせずにすんだ。
戦後処理で世界から半殺しにされることもなかった。

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