昭和11(1936)年 - 日本がロンドン海軍軍縮会議から脱退。

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今日は何の日 昭和11(1936)年 - 日本がロンドン海軍軍縮会議から脱退。

大正11(1922)年に締結したワシントン条約でアメリカは日英同盟を廃棄させる工作をして成功していた。アメリカは明らかに日本を仮想敵国視し始めていた。

ワシントン条約が結ばれた後の大正13年(1924)には絶対的排日移民法が成立し、日本の世論が激昂していたときに、このロンドン軍縮会議が開かれた。

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ロンドン軍縮会議反対運動 昭和5年4月3日 『図説国民の歴史』15所収

ワシントン条約では、巡洋艦以下の補助艦艇は建造数に関しては無制限であったため、各国とも巡洋艦を建造していた。

そして日本の建造した巡洋艦が他国のものより性能がよかったため、それを抑えるためにイギリスがこの会議を提唱した。
スポーツで日本が強くなると勝手にルールを変えるという今日の白人のやり方とまったく同じだ。

当時の五大国(アメリカ、イギリス、日本、フランス、イタリア)が集まって会議が開かれ、軍縮のために補助艦の保有比率が決められた。

日本は元首相・若槻礼次郎を全権として会議に派遣、アメリカ、イギリス、日本のあいだで10:10:7という建艦比率が決められた。

補助艦、特に潜水艦に対して制限が加えられるのは当時の海軍にとっては由々しいことだった。

当時の日本海軍はアメリカの大艦隊が日本を攻めてくることを仮想していて、ハワイを出たアメリカ艦隊をマーシャル群島やトラック諸島に基地を置く日本潜水艦隊が迎撃し、

敵が小笠原群島近くに来るまでに日本艦隊とほぼ同じくらいに減らすというのが日本海軍の基本戦略だったからである。日本は潜水艦を増やせなくなってしまった。

それでも日本はこの会議で大規模な軍縮に同意せざるを得なくなる。

明らかにアメリカの日本攻撃を有利にするための決定と考えられたのだが、国際世論や英米との力関係のため日本は締結せざるを得なかった。

ワシントン会議でも主力艦の保有比率はアメリカ、イギリス、日本のあいだで5:5:3とされていたものだから、再度の軍縮に海軍サイドや右翼陣営が強い不満をいだいて政府を激しく糾弾した。

「二度もつづけて日本の建艦比率が抑えられたのではわが国の防衛に支障をきたす。米英との軍事力に差が開くばかりではないか。この条約締結は納得できない」という主張だった。

そのため政府と枢密院のあいだの議論もなかなか決着せず、条約が枢密院を通ったのはようやく3ヵ月後だった。

それでも加藤寛治・海軍軍令部長(国防・用兵・作戦担当のトップ)や末次信正・軍令部次長の怒りは収まらなかった。

そこで彼らは「軍令部の承知しない軍縮条約は無効である」と主張し、統帥権干犯問題という重大事件が引き起こされたのだ。世論も軍部寄りだった。

統帥権干犯問題

昭和5(1930)年、ロンドン海軍軍縮条約に調印した浜口雄幸内閣に対して、軍部と野党政治家が政府を激しく攻撃した。

明治憲法(大日本帝国憲法)の第11条には「天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス」、第12条には「天皇ハ陸海軍ノ編成オヨビ常備兵額ヲ定ム」、とあり、これは天皇の統帥権、編成大権と呼ばれていた。

陸海軍の兵力を決めるのは天皇と書かれているではないか。その天皇をさしおいて、政府が兵力数を決めてきたのは憲法違反である。天皇の統帥権を犯すものだ、と言い出した。

これを政争の具にして議会で「統帥権干犯!」と騒ぎ出したのが野党・政友会の犬養毅や鳩山一郎(鳩山由紀夫・邦夫兄弟の祖父)だった。

浜口雄幸首相は議会で、「一応天皇が最終的な権限を持っているけど、実際上は責任内閣制度なのだから内閣が軍縮条約を結んでもかまわない。



新造艦艇を条約の制限内に納めるための無理な設計の結果、日米では重心があがったトップヘビー構造の艦が建造され、日本国内で友鶴事件・第四艦隊事件を引き起こす原因となる。

1935年12月に第2回の会議が開催されたが、日本は翌1936年1月15日に脱退し、軍縮時代は終わった。

条約の内容

日本側は若槻禮次郎元総理を首席全権、斎藤博外務省情報局長を政府代表として派遣、また英国もマクドナルド首相、米国もスティムソン国務長官を派遣して交渉に当たらせた。先のジュネーヴ会議では軍人を主としたため高度な政治的判断による妥協が望めなかったことを反省しての人事だった。それでも交渉は各国の意見が対立して難航したが、前条約を基本としつつ最終的に以下のように決定した。

戦艦艦建造中止措置の5年延長、及び既存艦の削減。これにより、米国の「ユタ」「フロリダ」「ワイオミング」、英国の「ベンボウ」「マールバラ」「アイアン・デューク」「エンペラー・オブ・インディア」「タイガー」、日本の「比叡」(日)を廃艦とした。ただし「ワイオミング」「アイアン・デューク」「比叡」の三艦は武装・装甲・機関の一部を軽減することを条件に練習戦艦としての保有が認められた。

航空母艦従前は条約外であった1万トン以下の空母も前条約の規定の範囲とした。巡洋艦上限排水量は前条約のままだが、下限排水量は1850トンを上回ることとなり合計排水量も規定。その種類もはっきりと分けることになる。 重巡洋艦主砲は6.1インチより大きく8インチ以下。合計排水量は、米18万トン、英14万6800トン、日10万8000トン。

比率で10.00:8.10:6.02とした。軽巡洋艦主砲は5インチより大きく6.1インチ以下。合計排水量は、米14万3500トン、英19万2200トン、日10万0450トン。比率で10.0:13.4:7.0。駆逐艦主砲は5インチ以下。排水量は600トンを超え1850トン以下。1500トンを超える艦は合計排水量の16パーセント。

合計排水量は、15万トン(米)・15万トン(英)・10万5500トン(日)比率、10:10:7駆逐艦にのみこのような複雑な規定となっているのは、日本が保有する吹雪型(特型)駆逐艦のような大型駆逐艦を制限するためである。潜水艦上限排水量は2000トン、備砲は5インチ以下。3艦に限り2800トンで6.1インチ以下。

合計排水量は、各国とも5万2700トン3艦のみの特別措置は、米潜水艦「ノーチラス」「ノーワール」「アルゴノート」の保有を維持するためである。その他日本の補助艦全体の保有率を対米比、6.975とすること。排水量1万トン以下、速力20ノット以下の特務艦。排水量2000トン以下、速力20ノット以下、備砲6.1インチ砲4門以下の艦。排水量600トン以下の艦は無制限となった。

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