1911年 - 改正日米通商航海条約調印。不平等条約を撤廃し関税自主権を確立。
今日は何の日 2月21日 1911年 - 改正日米通商航海条約調印。不平等条約を撤廃し関税自主権を確立。

小村寿太郎 1855年(安政2年)9月16日、日向国飫肥藩(現在の宮崎県日南市のほぼ全域および宮崎市南部)の下級藩士・小村寛平と梅子の長男として生まれる。明治3年(1870年)、貢進生として大学南校(東京大学の前身)に入学。第1回文部省海外留学生に選ばれてハーバード大学へ留学し、法律を学んだ。
帰国後は司法省に入省し、大審院判事を経て、1884年に外務省へ転出する。陸奥宗光に認められて、1893年に清国代理公使を務めた。
明治政府は帝国主義列強から無理やり不平等条約(安政の五ヶ国条約)を結ばされ、関税自主権がなく、治外法権を課せられていた。これを払拭して列強と対等な条約を締結することが明治政府の悲願だった。
我々の先人はそれこそ血みどろの努力を重ね、明治の最後の年である明治44(1911)年に日米通商航海条約を改正して関税自主権を回復した。
https://www.pref.miyazaki.lg.jp/contents/org/kenmin/kokusai/senkaku/pioneer/komura/
![b]o](https://blog-imgs-134-origin.fc2.com/p/r/i/prideofjapan/20200221071035539.jpg)

小村寿太郎 1855年(安政2年)9月16日、日向国飫肥藩(現在の宮崎県日南市のほぼ全域および宮崎市南部)の下級藩士・小村寛平と梅子の長男として生まれる。明治3年(1870年)、貢進生として大学南校(東京大学の前身)に入学。第1回文部省海外留学生に選ばれてハーバード大学へ留学し、法律を学んだ。
帰国後は司法省に入省し、大審院判事を経て、1884年に外務省へ転出する。陸奥宗光に認められて、1893年に清国代理公使を務めた。
明治政府は帝国主義列強から無理やり不平等条約(安政の五ヶ国条約)を結ばされ、関税自主権がなく、治外法権を課せられていた。これを払拭して列強と対等な条約を締結することが明治政府の悲願だった。
我々の先人はそれこそ血みどろの努力を重ね、明治の最後の年である明治44(1911)年に日米通商航海条約を改正して関税自主権を回復した。
https://www.pref.miyazaki.lg.jp/contents/org/kenmin/kokusai/senkaku/pioneer/komura/
![b]o](https://blog-imgs-134-origin.fc2.com/p/r/i/prideofjapan/20200221071035539.jpg)
1858年に締結された日米修好通商条約は日本国内で大きな反発を招き、討幕運動を巻き起こしてしまいます。
修好通商条約に対して国民の反発を招いた理由は3つです。
1.天皇の勅許を得ずに締結された条約であること
2.関税自主権がなかったこと
3.領事裁判権を認めたこと
通商条約のこうした不平等条項が国民の反発を招き、明治維新に対する原動力となったと考えられます。
明治新政府は1871年に条約改正のため岩倉具視を団長として使節団を派遣するなど、積極的に交渉を行っていきます。
しかし領事裁判権の撤廃は1894年を待たなければ実現せず、さらに関税自主権の回復においては1904年の日露戦争での実質的勝利を待たなければいけなかったのです。
そして、この念願の関税自主権の回復を実現させたのが当時の外務大臣・小村寿太郎でした。
小村寿太郎とはどのような人物だったのでしょうか。
小柄な苦労人・小村寿太郎
小村寿太郎は1855年、日米和親条約が締結されおよそ200年続いた鎖国に終止符が打たれた翌年に日向国飫肥藩(現在の宮崎県)に生まれました。
1870年には藩の推薦を受け貢進生として東京大学の前身である大学南校に入学、その後第1回文部省海外留学生に選ばれアメリカ・ハーバード大学へ留学し、法律を学んでいます。
小村は当時の日本人としても身長が低かったようで、ハーバード大学留学時のパスポートには五尺一寸(約156cm)とあったそうです。
さらに、頭は大きく、鼻の下から口の辺りに両端の下がった貧相な髭を生やし、目はくぼんで頬は落ち、眉は太めで垂れ下がっていたとか。その上行動はすばやかったので、「ねずみ公使」「小村チュー公」というあだ名があったともいわれています。
しかし、そこは頭のキレる小村ですから、周囲からの外見に対する揶揄を上手に切り返した逸話が残されています。
海軍大臣・西郷従道が「その身体で外国人の中にまじったら、子どものように思われましょう」と言った時のこと。小村は「大丈夫です。私は日本を代表して行くのですから、日本は小さくても強いですからね」と答えたそうです。
また、下関条約締結の全権大使としても知られている李鴻章に「この宴席で閣下は一番小そうございます。日本人とは皆閣下のように小そうございますか?」揶揄されたときのこと。
「残念ながら日本人はみな小そうございます。無論閣下のように大きい者もございます。しかし我が国では『大男 総身に智恵が回りかね』などといい、大事を託さぬ事になっているのでございます」と返したという話もあります。
そんな小村寿太郎ですが、苦労人としての一面もありました。父親の借金返済に終生追われており、見るに見かねた有志たちが債権者に掛け合い、借金の一部帳消しを迫ったり、減債基金を設けたりしたという話が残っています。
40歳のころにも翻訳の内職をしていましたが、これにより紡績の知識を得、それが後の外務大臣で、領事裁判権の撤廃を成功させる陸奥宗光の目に留まるきっかけになったといわれています。
関税自主権とは
「関税自主権がない」というのは、協定関税率制度のことを示しています。関税とは自国の製品を保護する目的で輸入品に対し課せられる税なので、本来輸入先が決定するものです。
しかし、協定関税率制度となると、輸入先と輸出先が共に話し合いで関税率決定するので、輸入先にとって不利益となる可能性があります。
条約締結当初、は輸出関税は5%、輸入関税は20%で合意していました。しかし、1866年孝明天皇は諸外国と改税約書を調印し、通商条約で開港の約束をしていた神戸を開港しない代償として、輸入税率を5%に引き下げてしまいます。
こうして日本には欧米から安価な商品が流れ込む状況が生まれていました。
もともと貿易を4つの窓口に制限し、幕府の管理下においていた状況から突然開国したわけですから、国内の流通機構は混乱、さらに1866年まで輸出超過だったことで物不足に悩まされ、国内の諸物価は高騰しています。
その上、金銀交換比率の違いにより金が大量に海外に流出すると、物価高騰にさらに拍車がかかり、日本は経済的打撃を被ることになったのです。こうした経済的混乱が国民生活を圧迫し、以後日本は明治維新という大きな変革を遂げていくことになります。
なぜ関税自主権が認められなかったのか
そもそもなぜ関税自主権が認められなかったのでしょうか。それは、日本が国際法における「文明国」として認められなかったことが原因です。
国際法上では、世界は欧米などの「文明国」、それには及ばない「半文明国」、さらにアフリカなどの「未開国」の3つに分類され、「文明国」はそれ以外を指導する立場にあるとされていました。
そのため、「文明国」は自国民の安全を確保するため領事裁判権を認めさせ、的確な関税を設定するために協定関税制度、つまり関税自主権を認めないという条約を結ぶことになるのです。
しかしこうした縦の区別はあるものの、文明国と認められれば、国家の大小に関わらずその国家間は法的に平等で対等であるとされています。
では「文明国」とは何なのか。端的に言ってしまえば、欧米のような国です。つまり、その国がどこまで欧米に近いかということが目安になっています。そのため、日本は以後欧米文化を積極的に取り入れ、国を挙げての西洋化が進められていくのです。
なかなか回復されなかった関税自主権
当初、領事裁判権については重要視されておらず、1873年から外務卿・寺島宗則により行われた条約改正交渉ではまず関税自主権の回復が目指されました。
しかし、1877年のハートレー事件でイギリス人のアヘン密輸に対してイギリス領事館が無罪判決を下したことから、領事裁判権撤廃の必要性を痛感した日本は、ひとまず領事裁判権の撤廃を目指すことになります。
その間も日本では文化の西洋化が図られるとともに、法律の整備や徴兵制による軍隊の強化、殖産興業による経済的発展を重ねていきますが、1894年に領事裁判権が撤廃される直接のきっかけとなったのは、日清戦争でした。
朝鮮を巡り日本と清が対立すると、清に植民地を広げていたイギリスは日英通商航海条約を締結。これにより領事裁判権を撤廃するとともに、関税率の一部引き上げを認めました。
アヘン戦争以後清国内に多くの権益を確保していたイギリスとしては日清戦争で清が勝利し、勢力巻き返しを図ることをおそれたと考えられます。しかし、この時もイギリスは関税自主権を完全に認めることはせず、しかもイギリスからの輸入品の約70%は協定税率のままでした。
そして念願の関税自主権の回復は1911年、日露戦争での実質的勝利の後でした。
日露戦争の実質的勝利は日本の国際的地位を格段に向上させており、しかも1889年に大日本帝国憲法が成立して以降、立憲政治の充実が知れ渡っていたので、順調に交渉が進められました。これにより関税自主権は完全に回復し、日本は欧米と並ぶ文明国の一員となっていくのです。

日英通商航海条約と小村寿太郎
日露戦争で日本は実質的に勝利したといわれていますが、その講和条約であるポーツマス条約は日本の期待したものとはなりませんでした。「臥薪嘗胆」のスローガンのもと増税に耐えた国民にとって、賠償金が一円も取れなかったこの条約は受け入れがたいものでした。そして、このポーツマス条約の日本全権大使も小村寿太郎だったのです。
講和会議の行われるアメリカ・ポーツマスに出発するとき、小村は首相・桂太郎に、「(自分が)帰って来る時には、人気はまるで正反対でしょう」と言ったといいます。
小村はロシアとの交渉が難航することを最初から予見していたのでしょう。小村の予感は的中し、ロシアとの講和交渉は難航します。ポーツマス条約が結ばれた深夜のこと。
ホテルの一室から泣き声が聞こえてくるのを不審に思った警備員がその部屋を訪ねると、小村が大泣きしていたそうです。帰国すると、出発前の発言通り、怒り狂う右翼団体から容赦無い罵声が浴びせられました。
泣き崩れた小村を両脇から伊藤博文と山縣有朋が抱えて首相官邸へ連れて行ったといいます。こうした状況下で小村の妻・マチは精神的に追い詰められ、小村は家族と別居することを余儀なくされたそうです。
こうした状況の中で小村が実現させたのが、明治政府20年来の課題である関税自主権の回復だったのです。
修好通商条約に対して国民の反発を招いた理由は3つです。
1.天皇の勅許を得ずに締結された条約であること
2.関税自主権がなかったこと
3.領事裁判権を認めたこと
通商条約のこうした不平等条項が国民の反発を招き、明治維新に対する原動力となったと考えられます。
明治新政府は1871年に条約改正のため岩倉具視を団長として使節団を派遣するなど、積極的に交渉を行っていきます。
しかし領事裁判権の撤廃は1894年を待たなければ実現せず、さらに関税自主権の回復においては1904年の日露戦争での実質的勝利を待たなければいけなかったのです。
そして、この念願の関税自主権の回復を実現させたのが当時の外務大臣・小村寿太郎でした。
小村寿太郎とはどのような人物だったのでしょうか。
小柄な苦労人・小村寿太郎
小村寿太郎は1855年、日米和親条約が締結されおよそ200年続いた鎖国に終止符が打たれた翌年に日向国飫肥藩(現在の宮崎県)に生まれました。
1870年には藩の推薦を受け貢進生として東京大学の前身である大学南校に入学、その後第1回文部省海外留学生に選ばれアメリカ・ハーバード大学へ留学し、法律を学んでいます。
小村は当時の日本人としても身長が低かったようで、ハーバード大学留学時のパスポートには五尺一寸(約156cm)とあったそうです。
さらに、頭は大きく、鼻の下から口の辺りに両端の下がった貧相な髭を生やし、目はくぼんで頬は落ち、眉は太めで垂れ下がっていたとか。その上行動はすばやかったので、「ねずみ公使」「小村チュー公」というあだ名があったともいわれています。
しかし、そこは頭のキレる小村ですから、周囲からの外見に対する揶揄を上手に切り返した逸話が残されています。
海軍大臣・西郷従道が「その身体で外国人の中にまじったら、子どものように思われましょう」と言った時のこと。小村は「大丈夫です。私は日本を代表して行くのですから、日本は小さくても強いですからね」と答えたそうです。
また、下関条約締結の全権大使としても知られている李鴻章に「この宴席で閣下は一番小そうございます。日本人とは皆閣下のように小そうございますか?」揶揄されたときのこと。
「残念ながら日本人はみな小そうございます。無論閣下のように大きい者もございます。しかし我が国では『大男 総身に智恵が回りかね』などといい、大事を託さぬ事になっているのでございます」と返したという話もあります。
そんな小村寿太郎ですが、苦労人としての一面もありました。父親の借金返済に終生追われており、見るに見かねた有志たちが債権者に掛け合い、借金の一部帳消しを迫ったり、減債基金を設けたりしたという話が残っています。
40歳のころにも翻訳の内職をしていましたが、これにより紡績の知識を得、それが後の外務大臣で、領事裁判権の撤廃を成功させる陸奥宗光の目に留まるきっかけになったといわれています。
関税自主権とは
「関税自主権がない」というのは、協定関税率制度のことを示しています。関税とは自国の製品を保護する目的で輸入品に対し課せられる税なので、本来輸入先が決定するものです。
しかし、協定関税率制度となると、輸入先と輸出先が共に話し合いで関税率決定するので、輸入先にとって不利益となる可能性があります。
条約締結当初、は輸出関税は5%、輸入関税は20%で合意していました。しかし、1866年孝明天皇は諸外国と改税約書を調印し、通商条約で開港の約束をしていた神戸を開港しない代償として、輸入税率を5%に引き下げてしまいます。
こうして日本には欧米から安価な商品が流れ込む状況が生まれていました。
もともと貿易を4つの窓口に制限し、幕府の管理下においていた状況から突然開国したわけですから、国内の流通機構は混乱、さらに1866年まで輸出超過だったことで物不足に悩まされ、国内の諸物価は高騰しています。
その上、金銀交換比率の違いにより金が大量に海外に流出すると、物価高騰にさらに拍車がかかり、日本は経済的打撃を被ることになったのです。こうした経済的混乱が国民生活を圧迫し、以後日本は明治維新という大きな変革を遂げていくことになります。
なぜ関税自主権が認められなかったのか
そもそもなぜ関税自主権が認められなかったのでしょうか。それは、日本が国際法における「文明国」として認められなかったことが原因です。
国際法上では、世界は欧米などの「文明国」、それには及ばない「半文明国」、さらにアフリカなどの「未開国」の3つに分類され、「文明国」はそれ以外を指導する立場にあるとされていました。
そのため、「文明国」は自国民の安全を確保するため領事裁判権を認めさせ、的確な関税を設定するために協定関税制度、つまり関税自主権を認めないという条約を結ぶことになるのです。
しかしこうした縦の区別はあるものの、文明国と認められれば、国家の大小に関わらずその国家間は法的に平等で対等であるとされています。
では「文明国」とは何なのか。端的に言ってしまえば、欧米のような国です。つまり、その国がどこまで欧米に近いかということが目安になっています。そのため、日本は以後欧米文化を積極的に取り入れ、国を挙げての西洋化が進められていくのです。
なかなか回復されなかった関税自主権
当初、領事裁判権については重要視されておらず、1873年から外務卿・寺島宗則により行われた条約改正交渉ではまず関税自主権の回復が目指されました。
しかし、1877年のハートレー事件でイギリス人のアヘン密輸に対してイギリス領事館が無罪判決を下したことから、領事裁判権撤廃の必要性を痛感した日本は、ひとまず領事裁判権の撤廃を目指すことになります。
その間も日本では文化の西洋化が図られるとともに、法律の整備や徴兵制による軍隊の強化、殖産興業による経済的発展を重ねていきますが、1894年に領事裁判権が撤廃される直接のきっかけとなったのは、日清戦争でした。
朝鮮を巡り日本と清が対立すると、清に植民地を広げていたイギリスは日英通商航海条約を締結。これにより領事裁判権を撤廃するとともに、関税率の一部引き上げを認めました。
アヘン戦争以後清国内に多くの権益を確保していたイギリスとしては日清戦争で清が勝利し、勢力巻き返しを図ることをおそれたと考えられます。しかし、この時もイギリスは関税自主権を完全に認めることはせず、しかもイギリスからの輸入品の約70%は協定税率のままでした。
そして念願の関税自主権の回復は1911年、日露戦争での実質的勝利の後でした。
日露戦争の実質的勝利は日本の国際的地位を格段に向上させており、しかも1889年に大日本帝国憲法が成立して以降、立憲政治の充実が知れ渡っていたので、順調に交渉が進められました。これにより関税自主権は完全に回復し、日本は欧米と並ぶ文明国の一員となっていくのです。

日英通商航海条約と小村寿太郎
日露戦争で日本は実質的に勝利したといわれていますが、その講和条約であるポーツマス条約は日本の期待したものとはなりませんでした。「臥薪嘗胆」のスローガンのもと増税に耐えた国民にとって、賠償金が一円も取れなかったこの条約は受け入れがたいものでした。そして、このポーツマス条約の日本全権大使も小村寿太郎だったのです。
講和会議の行われるアメリカ・ポーツマスに出発するとき、小村は首相・桂太郎に、「(自分が)帰って来る時には、人気はまるで正反対でしょう」と言ったといいます。
小村はロシアとの交渉が難航することを最初から予見していたのでしょう。小村の予感は的中し、ロシアとの講和交渉は難航します。ポーツマス条約が結ばれた深夜のこと。
ホテルの一室から泣き声が聞こえてくるのを不審に思った警備員がその部屋を訪ねると、小村が大泣きしていたそうです。帰国すると、出発前の発言通り、怒り狂う右翼団体から容赦無い罵声が浴びせられました。
泣き崩れた小村を両脇から伊藤博文と山縣有朋が抱えて首相官邸へ連れて行ったといいます。こうした状況下で小村の妻・マチは精神的に追い詰められ、小村は家族と別居することを余儀なくされたそうです。
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■憲法改正の早期実現を求める国会議員署名について
賛同国会議員441名(10月18日現在)
■国会における憲法議論の推進と国民的議論の喚起を求める意見書採択について
地方議会にて43都道府県 /112市区町村(令和3年1月10日)
■石川、熊本、愛媛、千葉、香川、富山、兵庫、鹿児島、群馬、栃木、岡山、大分、宮城、山形、高知、佐賀、埼玉、山口、長崎、宮崎、和歌山、岐阜、神奈川、大阪、福井、京都、茨城、東京、徳島、静岡、新潟、秋田、山梨、福岡、滋賀、長野、福島、北海道、島根、鳥取、青森、奈良、広島
【北海道1】恵庭市【東北3】 三沢市、野辺地町(青森県➋) 二本松市(福島県❶)【関東32】 常総市(茨城県➊)/千葉市、酒々井町(千葉県➋)/久喜市、三芳町(埼玉県➋)/荒川区 中野区、目黒区、足立区、日野市、府中市、町田市、調布市、狛江市、小笠原村 (東京都➓)/横浜市 藤沢市 茅ケ崎市 逗子市 大和市 海老名市 座間市 秦野市 伊勢原市 厚木市 横須賀市 愛川町 寒川町 川崎市 平塚市 小田原市 箱根町(神奈川県⑰)【北陸8】舟橋村 立山町 入善町 滑川市 富山市(富山県➎)/羽昨市 七尾市 内灘町(石川県➌)【東海2】坂祝町(岐阜県❶) 飯島町(長野県➊)【近畿7】綾部市、伊根町、与謝野町(京都府➌)/大阪市 和泉市・貝塚市(大阪府➌)/田原本町(奈良県➊)【中国 1】 岩国市(山口県) 【四国 4】 松山市・今治市・四国中央市・東温市(愛媛県❹)【九州 46】 川崎町 遠賀町 大川市 篠栗町 芦屋町 行橋市 春日市 糸島市 大木町 北九州市 柳川市 福岡市 大野城市 大牟田市 久留米市 筑紫野市 那珂川市 八女市 新宮町 須恵町 遠賀町 糸田町 大仁町 嘉摩市 宗像市 豊前市 うきは市 飯塚市 直方市 宇美町 東峰村 香春町(福岡㉜)/鳥栖市・神埼市(佐賀県➋)/佐世保市・大村市・対馬市(長崎県➌)/合志市 多良木町 熊本市 八代市 玉名市 荒尾市 菊地市 天草市 菊陽町(熊本県➒)
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『1911年 - 改正日米通商航海条約調印。不平等条約を撤廃し関税自主権を確立。』に対する意見
http://prideofjapan.blog10.fc2.com/blog-entry-7005.html
>明治政府は帝国主義列強から無理やり不平等条約(安政の五ヶ国条約)を結ばされ、関税自主権がなく、治外法権を課せられていた。これを払拭して列強と対等な条約を締結することが明治政府の悲願だった。
今では、この条約は不平等条約ではなかったという論調が大半なんだよ。
『[異文化交流の開拓者たち] 第6回「幕末の条約は本当に不平等条約だったのか」』
https://www.elec.or.jp/teacher/communication/essay/print/kaitakusha_6.html
http://prideofjapan.blog10.fc2.com/blog-entry-7005.html
>明治政府は帝国主義列強から無理やり不平等条約(安政の五ヶ国条約)を結ばされ、関税自主権がなく、治外法権を課せられていた。これを払拭して列強と対等な条約を締結することが明治政府の悲願だった。
今では、この条約は不平等条約ではなかったという論調が大半なんだよ。
『[異文化交流の開拓者たち] 第6回「幕末の条約は本当に不平等条約だったのか」』
https://www.elec.or.jp/teacher/communication/essay/print/kaitakusha_6.html
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プロフィール
- Author:日本会議地方議員連盟
- 日本会議(会長 田久保忠衛・杏林大学名誉教授)は、平成9年5月、各界代表や都道府県代表が参加して設立されました。元気で誇りある国づくりをめざして、超党派の国会議員懇談会(会長 古屋圭司)の皆さんとともに全国で国民運動を推進しています。
このたび、日本会議に所属する全国の地方議員が連携し、地方議会から「誇りある国づくり」を発信するため日本会議地方議員連盟を設立しました。(平成17年3月6日)
議員連盟では、外交、防衛、教育、文化などの国の根幹に関わる基本問題に連携してとりくむネットワーク作りを進め、「憲法・教基法」の改正をめざします。
議員会員(年間1万円)には、会員専用サイトを設け、国会の動き、時局問題に対する見解、全国地方議会の動きなど国民運動情報を提供します。
皆さんどうぞご入会ください。
入会はこちらから
●日本会議地方議員連盟へのご入会の案内
■設立趣意書
戦後わが国は、日本の弱体化を企図した占領政策の桎梏から抜け出せないまま、外交、防衛、教育、文化などの国の根幹にかかわる基本問題について、多くの病弊を抱えたまま今日に至っている。
近年、新教育基本法の制定、国民投票法案の成立、さらには防衛賞昇格など、戦後体制を脱却する動きは注目すべきである。しかしながら、その潮流はまだ大きなものとはなっていない。
この時にあたり、今こそ発言し行動する真正保守の結集が問われている。ここに志しある地方議員は「誇りある国づくり」をめざす日本会議と連携し、地方議会よりその動きを起こし、日本の国柄に基づく新憲法制定へ向け日本会議首都圏地方議員懇談会を設立する。
全国の良識ある地方議員が我々の趣旨に賛同され、あまたの先人が築いてこられた、この祖国日本を再建するため、我々は、下記の基本方針を掲げて献身することを誓うものである。
(平成十九年十月六日)
〈基本方針〉
1、皇室を尊び、伝統文化を尊重し「誇りある日本」の国づくりをめざす。
2、わが国の国柄に基づいた「新憲法」「新教育基本法」を提唱し、この制定をめざす。
3、独立国家の主権と名誉を守る外交と安全保障を実現する。
4、祖国への誇りと愛情をもった青少年の健全育成へ向け、教育改革に取り組む。
私たちはめざします。
全国に3000名議員集団を!
「誇りある国づくり」を掲げ、皇室・憲法・防衛・教育等の課題に取り組みむ日本会議と連携し、地方議会を拠点に、次のような運動を推進します。
①改正された教育基本法に基づき、国旗国歌、日教組、偏向教科書問題など、教育改革に取り組みます。
②青少年の健全育成や、ジェンダーフリー思想から家族の絆を守る運動を推進します。
③議会制度を破壊しかねない自治基本条例への反対など保守の良識を地方行政に働きかけます。
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憲法改正早期実現国会議員署名
■ 422名 (11月21日現在)
憲法改正早期実現意見書採択可決
■36都府県 /59市区町村議会
■石川、熊本、愛媛、千葉、香川、富山、兵庫、鹿児島、群馬、栃木、岡山、大分、宮城、山形、高知、佐賀、埼玉、山口、長崎、宮崎、和歌山、岐阜、神奈川、大阪、福井、京都、茨城、東京、徳島、静岡、新潟、秋田、山梨、福岡、滋賀、長野
■【神奈川県】横浜市、川崎市、横須賀市、藤沢市、茅ケ崎市、逗子市、大和市、海老名市、座間市、秦野市、伊勢原市、小田原市、厚木市、愛川町、寒川町、箱根町【東京都】荒川区、小笠原村、日野市、中野区、府中市、町田市、調布市【千葉県】酒々井町【茨城県】常総市【京都府】綾部市【石川県】羽昨市、七尾市、内灘町【富山県】舟橋村、立山町、入善町、滑川市、富山市【大阪府】大阪市、和泉市【奈良県】田原本町【愛媛県】松山市、今治市、四国中央市【福岡県】福岡市、北九州市、川崎町、遠賀町、大川市、篠栗町、芦屋町、行橋市、春日市、糸島市、大木町、柳川市、【佐賀県】鳥栖市、佐賀市【長崎県】佐世保市、大村市、対馬市【熊本県】合志市、多良木町、菊陽町で可決
辺野古移設賛同 地方議員署名
■現在署名数 1812名(231議会)
私たちのめざす 方針と活動
一、新教育基本法に基づいた教育改革と教科書採択を推進する
一、議場への国旗掲揚を推進し、地方から誇りある国づくりを提唱する
一、議会否定につながる自治基本条例を阻止し、議会活動を活性化する
一、ジェンダー思想を相対化する、家族の絆を守る運動を推進する
一、時局問題への対応を敏速に行う
一、研修会、講演会を開催し、会員相互の見識と親睦を深める
一、全国に3千名の地方議員ネットワークを形成する
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■【人権救済法案問題】
●人権侵害救済法案に反対する意見書案
※人権侵害救済法案の問題点について
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■【自治基本条例問題】
●議会否定につながる自治基本条例の阻止を
①自治基本条例の問題点について
②外国人に対する住民投票権の付与について
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■【議場の国旗掲揚推進】
●地方議会議場での国旗掲揚について
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■【外国人参政権問題】
●外国人参政権に反対する意見書採択について
①反対決議は362市町村議会(H22年9月1日現在)
②慎重議員署名4071名・535議会(同年9月1日現在)
③慎重首長署名568自治体(7県知事221市区340町村長・同年9月1日現在)
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