韓国メディア悔しい「謝れ」米議会演説終わっても「安倍、安倍」連呼…日本はぶれず、米国で強まる“韓国疲れ”

1 0
韓国メディア悔しい「謝れ」米議会演説終わっても「安倍、安倍」連呼…日本はぶれず、米国で強まる“韓国疲れ”

prm1505070006-p1.jpg
米上下両院合同会議での安倍晋三首相の演説では、何度もスタンディングオベーションが起こった。その回数は韓国の朴槿恵大統領よりも多かったという=4月29日、ロイター

 安倍晋三首相が米上下両院合同会議で行った演説に対し、韓国では“予想通り”の強い批判や反発が、政府やメディアを中心に起きている。

終結から70年となる第二次大戦について、安倍首相は「反省」の言葉を使い、「アジア諸国民に苦しみを与えた事実から目を背けてはならない」とまで明言した。

日本の戦争の相手国だった米国での演説にもかかわらず、韓国政府は「遺憾の声明」(外務省報道官)まで発表し、韓国への謝罪と反省を強く求めている。韓国の謝罪要求は執拗(しつよう)に続いている。(ソウル 名村隆寛)


日本以上に“しつこく”注目

 韓国での安倍首相演説に対する主な批判は、メディアの主張を見ると、次の三点にしぼられる。

(1)「侵略」や「植民地支配」の表現がなかった(2)慰安婦問題に触れなかった(3)村山、河野談話のような近隣諸国への謝罪や反省、哀悼がなかった。主要紙やテレビのほとんどが演説後の4月30日以降、ほぼ同じような演説への批判報道を繰り返している。

 「アジア諸国民に苦しみを与えた事実」を口にした安倍首相に対し、「一言で過去の歴史にフタをした」(中央日報)、「安倍首相は歴史的な機会を逃した。

アジア諸国との不幸な過去を整理し、未来に進む絶好のチャンスを逃した」(同)、「こうした政治指導者を相手にしなければならないのは、今日の韓国に与えられた宿命であり、不幸だ」(朝鮮日報)などと非難のオンパレードだ。
これらは、演説への批判や不満のほんの一部分に過ぎない。テレビのニュースでは朝から晩までくどいほどの報道ぶりだ。

米国から招待された日本の首相が米国に語りかけた演説なのに、ここまでも関心を持ち、執着している。安倍首相演説への注目度は、むしろ日本よりも韓国メディアの方が高いかもしれない。奇妙な“熱心さ”さえ感じられる。

 以前にも書いたことだが、少なくともこの2カ月間、韓国メディアは安倍首相の演説が決定する前から、演説への否定的報道を繰り返してきた。日本の対米ロビー。演説阻止。演説で謝罪すべし。慰安婦問題に言及せよ…。「安倍、安倍」の毎日だったといってもいい。


何を言おうが認めず

 安倍首相が演説で、「アジア諸国に与えた苦しみ」や「思いは歴代首相と全く変わるものではない」と語ったことは、特に村山談話と河野談話にこだわり反省を求める韓国をも、念頭に置いたものと考えられる。

 ただ、演説の場所は米国の首都ワシントンであり、あくまでも米国を対象に行われたものだ。にもかかわらず、こうした内容が演説内容にあえて取り込まれた。

韓国メディアが不満をあらわにしている(韓国への)侵略、植民地支配、慰安婦問題、謝罪の言葉が演説の中になかった理由は簡単。演説が米国で行われ、米国に対するものであったからだ。

安倍首相は、真珠湾や硫黄島などの名を出して、70年前まで敵であった米国に反省し謝罪した。過去を謙虚に振り返った未来志向的な演説内容だった。

その思いは米国には伝わっている。演説を聞く人々の反応や様子から、強くうかがえた。立ち上がって拍手を送る場面が十数回あった。

 言うまでもなく、演説の場での主人公は日米だった。万一ここで、韓国が要求するような「慰安婦問題」や「侵略」にまで安倍首相がわざわざ踏み込んで発言し、韓国に対し謝罪していたとすれば、相手側の米国はどう感じていたであろう。

 米国政府や政界での、歴史にこだわり続ける韓国への“疲労感”については、最近、一部の韓国メディアでも指摘されている。演説で、場違いな慰安婦問題にまで触れなかったことは、妥当であり当然のことだ。もし触れていれば、むしろ困惑した反応があったかもしれない。


広がる謝罪の間口

 それでも、「(安倍首相は)スピーチのほとんどを米日関係に使った。日本の侵略と植民地支配でアジア各国が受けた苦痛には一言述べる程度に終わった。

隣国の人々への心からの謝罪と反省の心が込められるべきだった」(中央日報社説)と、すでに終わった演説への“注文”はくどくどと続く。注文は演説の1カ月以上前から続いていたのだが。

 安倍首相は今回の訪米中に、ハーバード大学での講演の場で韓国系米国人学生から突然、慰安婦問題について聞かれた。日米首脳会談後の記者会見でも慰安婦についての質問にあったという。

 韓国メディアはその様子を逐一伝え続けた。ソウルでの報道に接していると、安倍首相はまるで慰安婦問題で反省させられるために訪米したかのような錯覚さえ覚える。

 インドネシアでのアジア・アフリカ会議(バンドン会議)で安倍首相が4月22日に行った演説の時もそうだった。

韓国に直接関係のない場所でも、安倍首相が行く所では韓国(メディア)からの反省・謝罪要求が待ち受けている。演説に謝罪が盛り込まれないと韓国は気が済まないのだ。

 冗談ではない。これは最近の傾向なのだ。これまで日韓首脳会談が行われるごとに、日本から韓国に何らかの反省や謝罪の言葉が伝えられた。すでに“恒例”となっている。しかし、今や謝罪や反省は日韓一対一の場だけではなくなっている。

 日本の首相が行く先々で、韓国が納得するように謝罪をしなければ、韓国は許さない。“謝罪の間口”は、いつの間にか広げられてしまった。


広まる韓国の特殊性

 声明や抗議の発表、デモ、新聞広告…。米国で安倍首相を非難し続けた韓国系米国人団体の執拗な活動や、韓国メディアによる反安倍演説への報道は、自らの主義、主張が絶対であると思い込み、そうした動きをする韓国の特殊な姿を見せつけた。

 自分の要求や主張を押し通すため、徹底的に固執し、嫌というほどしつこく訴える。相手にされる側は、そのくどさに閉口し、ウンザリし、疲れ、いやになる。先述の「米国の疲労感」も、まさしくこれに当てはまるだろう。

 米議会で演説する安倍首相に、場違いな謝罪を要求し、演説内容が気にくわないと水を差し、徹底的に非難する。

国際社会で日本をさらし者にしたかったかのようだが、かえって韓国のこの特殊な“しつこさ”が、安倍首相を迎えた米国社会を舞台に、またしても世界に向けてさらされた。

 安倍首相を拍手で迎えた米国が、演説内容を肯定的に受け入れ歓迎しているのに、そこにまで干渉し、執拗にネガティブキャンペーンを張る。こうした行動が現地や世界では、どう受けとめられているのか。

 韓国メディアが、歴史認識問題をめぐって日本を非難する際、「世界が日本を非難」「国際社会からも批判」などとの表現を好んで頻繁に使う。

私論としては、韓国が言うところのこの場合の「国際社会」や「世界」は韓国のことだ。勝手に「国際世論」と決めつけ、韓国の主張に国際社会や世界を引き込もうとしているに過ぎない。


2年前、同じ場所で演説

 安倍首相の演説からほぼ2年前の2013年5月初旬、韓国の朴槿恵大統領は就任後初の海外訪問先の米国でオバマ米大統領との首脳会談に臨み、安倍首相と同じように米上下両院合同会議で演説した。

この時、朴大統領は「過去に盲目的な者は未来も見えない」と演説。名指しは避けつつも日本を批判したことは明らかだ。朴大統領は「過去に何が起きたかを正直に認めなければ、未来もない」とまで述べた。

上下両院合同会議で「過去」を持ち出すことは異例で、朴大統領は韓国の主張を強く印象づけようとしたようだ。

 “言論の自由”が保証される民主主義国家で、何を主張し、論じようが本人の自由だ。ただ、この時、朴大統領は暗に日本を批判した。ここでの「過去」についての言及は、場違いだと感じた。米韓関係とは直接関係のない話だからだ。

 この演説があったとき、筆者は東京本社の編集局で、ワシントンからの映像を見ていたのだが、後輩記者に「大統領、言っちゃったねえ」と語ったことを鮮明に覚えている。

「世界が注目するあんな場で言う必要があるのだろうか」「日本人が見たらどう思うか考えてしゃべっているのだろうか」と思った。

 筆者の心配は不幸なことに当たってしまった。大統領の演説後、日本人の韓国に対する感情はさらに悪化した。

翌年3月のオランダー・ハーグで行われた日米韓首脳会談の場で、韓国語で話しかけた安倍首相を、朴大統領はぶぜんとした表情で無視した。この時の映像は日本にも伝えられた。

 韓国を訪れる日本人観光客の数はその後、激減。その傾向は現在も続いている。韓国政府や財界では、景気低迷のなか、悩みの種となっている。

批判は続く、どこまでも

 国のトップの言動が内外に及ぼす影響は、良きにつけ悪しきにつけ大きい。2年前と今回の、日韓首脳によるそれぞれの演説を振り返り、そう思う。

 安倍首相は第三者を批判することなく、自ら(日本)を顧みて、場をわきまえた演説をした。韓国での批判にもかかわらず、安倍首相演説は米国で好意的に受け入れられた。極めて妥当で、よく練られた歴史的な演説だった。

 安倍首相が演説を通し、ぶれない日本の姿を鮮明に示した。もし、韓国が要求するような演説を安倍首相がしていたならば、どうなっていたか。演説内容にかかわらず、韓国の批判は今後も続くのだろうが。
関連記事
ページトップ