幻想崩壊、「私は中国人じゃない」 露骨な政治介入、悪化し続ける対中感情

幻想崩壊、「私は中国人じゃない」 露骨な政治介入、悪化し続ける対中感情


香港市内にあふれる、中国の通貨「人民元」両替ブースの前を歩く男女=5日(河崎真澄撮影)香港市内にあふれる、中国の通貨「人民元」両替ブースの前を歩く男女=5日(河崎真澄撮影)

 「これじゃ買い物する気分になれないわ」。香港の九竜半島南端、チムサチョ
イ(尖沙咀)の広東道ぞいに並ぶ高級ブランド品の店舗の前で、日本人の女性観光客数人が顔をしかめていた。中国本土からの観光客が入店待ちの長い行列を作り、大声で騒いでいた。


 一時の“爆買い”ブームは落ち着いたとはいえ、人口約740万人の香港を訪れる中国本土からの入境者は昨年、延べ4257万人だった。自由貿易港で消費税などもかからず、買い物は本土よりずっと安い。


 香港の街中のあちこちにある民間両替所では人民元の現金両替はもちろん、中国本土の電子マネーやカードからも香港ドルや米ドルなどが引き出せる。「ここ数カ月で中国本土のお客が急増した」と両替所の係員はぶっきらぼうに話した。


 銀行の正式な両替レートに比べると不利だが、資本流出懸念から、中国当局が昨年来、海外送金を厳格に規制していることが背景にある。両替所で個人は特定されず、資金持ち出しの隠れミノにもなっている。


 1997年に英国から主権返還された後も、中国本土の住民は香港入境に「通行証」などの事前取得が必要。自由な往来はできないが、その“別の国”扱いが逆に、買い物や金融面では使い勝手のいい足場にもなった。


香港から見ればお金持ちの賓客と映り、かつての上客、日本人など外国人観光客は後回し。「中国人の観光客サマサマ」だ。


香港は中国本土への経済的依存度を高めたが、一方で対中感情は悪化の一途という「矛盾」も起きた。


 香港大学が香港住民を対象に行った昨年12月の民意調査では、自分を「中国人だ」と考える人が16.3%。10年前と比べてほぼ半減した。


 若者に「自分は中国人ではない」と考える傾向が強く、ある18歳の女子大学生は、「『中国人か?』と人に聞かれると侮辱されたと思う」と言い放った。


返還後に「中国人」と答えた割合は一時上昇したが、09年前後から下がるようになった。自分の帰属先を示すアイデンティティー問題はこの20年で大きく揺れた。


 「そこには2008年からの『対中幻想の崩壊』があった」。香港中文大学の張●(=或のノを三本に)●(=民の右に攵、下に日)(ちょう・いくまん)講師はこう話す。


 返還直後、「祖国」への期待感が高まったが、「08年の北京五輪で中国にナショナリズムが高まり、北京から香港への政治介入が一段と露骨になった。


肌感覚で『自由』が侵されると香港住民が意識して尊厳に目覚め、幻想の崩壊が始まった」とみる。膨張した経済や軍事力への自信から中国が香港を見下し始めた。


 さらに「14年秋に若者が中心の(選挙制度民主化要求デモの)『雨傘運動』が起きて幻想は完全崩壊。全体主義の中国と自由主義の香港は、そもそもが『中港矛盾』だった」と話す。


□    □


 香港は7月1日、中国返還から20年を迎える。「一国二制度」で保障されたはずの民主的な社会は、北京と対峙しながらどこに向かうのか。現地を歩いた。


トウ小平氏に操られた「鉄の女」


 1997年7月に香港の主権返還を定めたのは、英国のサッチャー首相と中国の趙紫陽首相(いずれも当時)が1984年12月に北京で調印した「中英共同宣言」だ。


だが、いま振り返れば、サッチャー氏は実際の交渉相手だった最高実力者、トウ小平氏の戦術に極めて巧妙に操られたのではないか、との疑念が残る。


 そもそも英国が返還する必要のない「香港島」「九竜半島」まで主権を一括して渡してしまった点だ。


 アヘン戦争(1840~42年)で清朝に勝利した英国は、1842年の「南京条約」で香港島の割譲を受けた。さらに60年には九竜半島も割譲させて、いずれも英国の領土となった。


 加えて英国は九竜半島の北側一帯を清朝に要求。98年に「新界(ニューテリトリー)」と呼ぶ地区を99年間、租借することに成功したが、その期限が1997年6月末に迫ってきた。


 サッチャー氏は当初、租借地のみの返還を打診したが、「祖国統一」を信念とするトウ氏は、香港島と九竜半島の同時返還も要求。香港の生命線だった広東省からの水の供給停止や、軍事介入までチラつかせた。


 トウ氏の巧みな交渉術はそこで真価を発揮する。サッチャー氏に返還後50年となる2047年6月末まで言論の自由や司法の独立を保障し、資本主義経済の維持など高度な自治を認めるとの、前代未聞の「一国二制度」を提案したことだ。アメとムチの戦術だった。


東京都港区と世田谷区を合わせた79平方キロほどの香港島だが、国際金融センターとして英国が領土を保全する理由は十分あった。


 一方で、サッチャー氏は1982年、大西洋の英国領フォークランド諸島の領有をめぐり、アルゼンチンと戦火を交える決断を下した経緯がある。小国のシンガポールを考えれば、九竜半島と香港島を領土に独立させる選択肢もあった。


 老獪さにおいてトウ氏に劣らぬサッチャー氏も、「一国二制度」の“口約束”に乗せられた格好だった。


 実際、2014年秋の大規模デモ「雨傘運動」をめぐり、現地調査を計画した英議員代表団の香港入りを拒否した際、中国外務省は英国側に、1984年の共同宣言は「現在は無効」と通告した。


主権をもつ香港の問題は「全て内政」であり、英国の動きに「内政干渉だ」と譲らなかった。


 それも氷山の一角。国際公約の「一国二制度」は形骸化が進んでいる。返還後50年を待たず、反故にされる危険性すらある。サッチャー氏の対中判断は甘かったと言わざるを得ない。



 1997年7月に香港の主権返還を定めたのは、英国のサッチャー首相と中国の趙紫陽首相(いずれも当時)が1984年12月に北京で調印した「中英共同宣言」だ。


だが、いま振り返れば、サッチャー氏は実際の交渉相手だった最高実力者、トウ小平氏の戦術に極めて巧妙に操られたのではないか、との疑念が残る。


 そもそも英国が返還する必要のない「香港島」「九竜半島」まで主権を一括して渡してしまった点だ。


アヘン戦争(1840~42年)で清朝に勝利した英国は、1842年の「南京条約」で香港島の割譲を受けた。さらに60年には九竜半島も割譲させて、いずれも英国の領土となった。


 加えて英国は九竜半島の北側一帯を清朝に要求。98年に「新界(ニューテリトリー)」と呼ぶ地区を99年間、租借することに成功したが、その期限が1997年6月末に迫ってきた。


 サッチャー氏は当初、租借地のみの返還を打診したが、「祖国統一」を信念とするトウ氏は、香港島と九竜半島の同時返還も要求。香港の生命線だった広東省からの水の供給停止や、軍事介入までチラつかせた。


 トウ氏の巧みな交渉術はそこで真価を発揮する。サッチャー氏に返還後50年となる2047年6月末まで言論の自由や司法の独立を保障し、


資本主義経済の維持など高度な自治を認めるとの、前代未聞の「一国二制度」を提案したことだ。アメとムチの戦術だった。


 東京都港区と世田谷区を合わせた79平方キロほどの香港島だが、国際金融センターとして英国が領土を保全する理由は十分あった。


 一方で、サッチャー氏は1982年、大西洋の英国領フォークランド諸島の領有をめぐり、アルゼンチンと戦火を交える決断を下した経緯がある。


小国のシンガポールを考えれば、九竜半島と香港島を領土に独立させる選択肢もあった。


 老獪さにおいてトウ氏に劣らぬサッチャー氏も、「一国二制度」の“口約束”に乗せられた格好だった。


実際、2014年秋の大規模デモ「雨傘運動」をめぐり、現地調査を計画した英議員代表団の香港入りを拒否した際、中国外務省は英国側に、


1984年の共同宣言は「現在は無効」と通告した。主権をもつ香港の問題は「全て内政」であり、英国の動きに「内政干渉だ」と譲らなかった。


 それも氷山の一角。国際公約の「一国二制度」は形骸化が進んでいる。返還後50年を待たず、反故にされる危険性すらある。サッチャー氏の対中判断は甘かったと言わざるを得ない。



【用語解説】一国二制度
 
1997年に香港の主権が英国から中国に返還された際に導入された制度。1つの国の下に置かれたが、外交と国防を除く「高度な自治」と資本主義制度の維持が返還後50年間、「特別行政区」と位置づけられた香港に認められ、共産主義と2つの制度が併存している。香港の憲法といえる「基本法」では言論や集会の自由が保障され、共産党一党独裁への批判や抗議デモも合法的に行える。だが、同法は中国人民代表大会(全人代)常務委員会に「解釈権」があるため、選挙制度改革や立法会議員の扱いなど政治課題の最終決定権は事実上、共産党指導部にある。

 (香港 河崎真澄)

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